第8話

「北塔の最上階なんて無理だ。少し地下に潜っただけであのざまだ。忘れたとはいわせねぇぞ。調査官殿」


 つり上がった目でエリック・コーウェンと神様を睨みつけるとアルフレッド・アクロイドは厳しい声を出した。元来、彼は気難しい人間ではない。どちらかといえばその場の空気やノリに大きく左右されるお調子者だといえる。だが、その彼でさえ第一迷宮の最上階を目指すとなるとおよび腰にならざるを得ない。


 アルフレッドが団長を務める傭兵団『赤椿の団』は規模こそ大きくはないが、戦場で立てた多くの功績と勇名から王都でも名の知られた傭兵団であった。だが、一年前にルークラフト帝国が大陸を統一し、彼らが活躍できる戦乱は姿を消した。いま彼らの主な収入は、商隊の警護や地方にたまに現れる小規模な賊を個人や地方都市の依頼で掃討する、といったものである。数万の大軍がぶつかり合うような派手で実りの大きな仕事はもうないのである。


 そんななか降って沸いた第一迷宮攻略の仕事は戦争のなくなったこの大陸では珍しい大きな仕事、と言えた。歴代の皇帝が攻略できなかった迷宮を攻略した、という名声に加えて多額の報奨金が用意されているのである。本来なら断る理由はない。だが、アルフレッドは迷っていた。


「そうですか、俺はこの仕事を出来るのはあなたたち赤椿の団だけだと思っていました。残念です」


 エリックはとくに失望した顔もみせず、抑揚のない声で答えると粗末な木の椅子から腰を上げた。隣に座っていた神様も一緒に席を立つが、傭兵団が住まう建物に興味があるのかそわそわしている。傭兵団の本部は砦のように分厚い石で造られており、敵襲を恐れてか明り取りの窓も少ない。周囲では彼らの様子をほかの傭兵たちが見つめているようであったが、薄暗い室内では表情までははっきりしなかった。


「団長! やらないんですか!?」


 アルフレッドとエリックの話を聞いていた傭兵の一人が声を荒げる。彼はエリックが第一迷宮の地下を調査した際に二十人の部隊を率いた男でケビンという。二十代後半の彼は迷宮内でエリックによって逃がされた。動く屍の追撃を避けたケビンの部隊は急いで団長であるアルフレッドに応援を求めたのであった。アルフレッドは当初の五倍となる百人を投入して地下四階で立ち往生していたエリックと神様と呼ばれる女性を救い出した。


 このときの戦闘で死者でなかった。だが、腕や足の骨を折られたり食いちぎられたりという負傷者はかなりの数にのぼった。アルフレッドは自分の見込みの甘さを反省するとともに動く屍との戦闘が人間相手とは勝手が違うことを痛感した。


 人間と人間の争いであれば、どこかで手打ちにすることができる。だが、動く屍には手打ちという考えはない。どちらかがその動きを完全に停止するまで彼らは戦い続ける。腕を切り落とされても、体の半分が吹き飛ばされても残された腕や口で襲って来るのである。


「ケビン! おめぇは黙ってろ。地下四階を降りるだけであれだけの被害が出た。今度は最上階だ。あれの十倍じゃすまねぇ。絶対に誰かが死ぬ事になる」


 アルフレッドは木製の机を激しく叩いた。乾いた音が鼓膜を揺らした。ケビンは一瞬、肩をすくめたがすぐに反論した。


「俺達は傭兵だ。死ぬことを覚悟してない奴はいません。戦争がなくなったいま、俺たちはゆっくりと灰になろうとしている。このまま名を上げることもできずに終わるなんて嫌です!」


 数人の傭兵がケビンに同調する。


「陛下が大陸を統一して戦争はなくなった。俺は俺たちが飢えない程度で安全に仕事ができればいいと思っている。わざわざ、名を成すために死ぬなんて糞の役にもならねぇ」

「団長はいつから腰抜けになった?」

「俺はいつでも腰抜けだ。この商売では腰抜けで臆病者じゃないやつは墓の下にしかいない。ここにいるヤツはいつ矢が飛んでくるか、槍の穂先がどこで揺れているかずっと警戒してきたはずだ。違うか?」


 アルフレッドはケビンに賛同した数人の傭兵の胸ぐらを一人づつ指差すと鋭い目で睨みつけた。傭兵たちはバツの悪そうにしたをむくと「でもよ」、と呟いた。


「じゃー、団長は俺たちにこのままゆっくりと立枯れろっていうのか? くだらない仕事をして、今日のまんまが喰える。そんなことに安堵する。そんな生活をしろと!」

「そうだ。そんな普通の生活をしろ、と俺は言っている。ケビン、お前はなんで傭兵になった?」

「なんで? 決まってる……」


 はっとケビンは気づいたように黙り込む。それを確認したアルフレッドは静かな声で言った。


「俺が知る限りここに英雄になりたい、と傭兵になった奴はいない。どいつもこいつも戦争で家を失った、親に捨てられた、徴兵された挙句に逃げ出して故郷に帰れなくなった。そんなやつばっかりだ。そして、そんな俺らの始まりは飯を食いたい、だった。それが集まって戦場で武功を立ててまっとうに食えるようになった。それでいいとは思えねぇか」


「団長、あんたの言いたいことはわかった。でも、ちゃんと飯が食えるようになったいまこそもっといい暮らしができるよう。誰かに誇れるような仕事がしたいじゃないか! 商人どもにこき使われて商隊を守ったり、食い詰めて賊になった農民を殺したり、そんな仕事のどこが誇れる?」


「誇りだと? お前は何様だ。この王都にいるほとんどの奴がそんなもんもっていない。あったとしてそれが食えるのか! 食えねぇだろうが!」


 アルフレッドはケビンの襟首を掴むと熊のように太い腕で締め上げた。ケビンはそれでもアルフレッドを睨みつけるのをやめず、咳き込みながらも「俺は嫌だ」と叫んだ。アルフレッドは目を怒らせて腕を振るうとケビンの身体は飛ばされて石壁にぶつかった。


 ケビンはふらふらと立ち上がると「団長。俺に子供が生まれたことは知ってますよね。俺は子供言ってみたい。俺は皇帝もあがったことのない第一迷宮のてっぺんまでいったんだぞって」、と言った。


「ケビン、これで頭を冷やせ」


 アルフレッドは拳を握り締めるとケビン向けて振りかぶった。誰もが次の瞬間にはケビンが殴り飛ばされると想像していた。だが、そうはならなかった。二人の間に黒髪をなびかせた神様がたちはだかったからである。神様はパンパン、と手を叩くとアルフレッドに向かって言った。


「もうおセンチなドラマは満腹なんですけど」

「おせんち? 黒髪の姉さん……、これはうちの団の問題だ。いらない口は挟まないでもらおう」


 アルフレッドはつとめて冷静に言ったが、横槍を入れてきた無作法な神様に怒りを隠せなかった。


「神様がベストな答えを教えてあげる」

「俺はそこの調査官殿と違ってあんたが神様だとは信じてねぇ。あんたが動く屍じゃないか、とさえおもってるくれぇだ」

「しつこいね。あのとき散々話したのにまだ蒸し返すか」


 神様は呆れたように両手を挙げてみせた。

 エリックの救助に向かったアルフレッドは部下から迷宮の地下四階でいきなり女が現れた、という知らせを聞いた。アルフレッドは動く屍の亜種かもしれないと、思った。それは彼の部下も同じだったらしく彼が駆けつけたときエリックと神様は四方を槍と魔術師の杖に囲まれていた。


 アルフレッドは女が見慣れない衣服に身を包んでいることよりも彼女が言語を理解し、会話できることに驚いた。さらに驚いたことに彼女の体には動く屍のような赤紫色の変色はなかった。奇妙な装束であることを除けば限りなく彼女は普通の女性だった。


「迷宮で出会わなければ、そんな疑いしなかったよ。だが、あんたは迷宮からいきなり現れた。調査官殿はあんたを神様と断言するが俺たちにはそれを判断する頭はない。だが、警戒するに越したことはないだろうよ」

「二日酔いと一緒。百薬だろうと度が過ぎればただの害悪だよ。だから、私が教えてあげる。パーフェクトな回答を」


 アルフレッドと神様がにらみ合う。エリックや傭兵たちはそれを黙って見守っていた。


「頭のいてぇ姉さんだよ。で、なにを教えてくれるんだ?」


 長いにらみ合いの末にアルフレッドは諦めたように大きなため息をついた。


「まず、あなたは団員が飢えず、死なずいられればいい。そして、そっちの人は子供に誰かに誇れる仕事がしたい。そういう認識でオーケー?」


 神様が二人の顔を交互に見つめると、彼らは素直に頷いた。それに満足したのか彼女は少し照れくさそうに笑うと「あなたたちはこの世界で最初に高層ビルを建てるゼネコンになるの」、といった。


「こうそうびる? ゼネコン?」


 聞きなれない言葉にアルフレッドを含めて傭兵たちが首をかしげる。


「そう、あなたたちはここにいるエリックと一緒に世界初の高層王宮をつくる。王宮という大工事を手がければ、仕事が仕事を産んで向こう十年は仕事に困らない。そのうえ、国を象徴する建物である王宮をつくった、となればこれは誇りになる、と思わない?」

「いや、俺たちは全員が魔術師じゃない。むしろ使えない奴がほとんどだ。魔術師だって調査官殿のように建築に特化した魔法が使えるわけでもない。それとも今から覚えろ、とでもいうのか?」


 アルフレッドは困惑した表情で神様に問いかける。傭兵たちはふたりの言葉を聞き漏らすまいと沈黙を守っていた。


「その必要はない。魔法は便利だけど万能じゃない。それはこの間、ロベルトというおじさんが証明してくれている。人の手でやること、魔法でやること、この二つを組み合わせてはじめて高層ビルは建設することができる」


 先日、王宮からいきなり現れた巨塔が崩れ、市街に落下しそうになったことはすでに王都で知らぬ者がいないほど知れ渡っている。そして、それが新宮殿建設の実験であったことは人々の興味の的になっている。


「陛下は第一迷宮を超える王宮をつくるおつもりだ」

「でも、また崩れたりしないのかしら」

「いや、なんでもとんでもない工法が編み出されたらしい」


 などと市井(しせい)ではさまざまな噂が飛び交っている。それは傭兵団でも同じであった。


「しかし、俺たちが建築なんて……」

「団長、やりましょう。俺はこの話乗ります。武功の名声じゃない。だけど、王宮を建てるなんて誰にでもできることじゃねぇ」


 そう言ったのはケビンであった。彼は目を輝かせて声を出した。それに釣られるように数十人の傭兵が賛同する。


「お前ら……。わかった。やろう。このまま傭兵稼業をやっていても先は見えている。持つのが剣や槍から鋤(すき)や槌(つち)に変わるだけだと思えばどうとしたこともねぇ!」


 アルフレッドはなにかが吹っ切れたようにいうと、傭兵たちの間で歓声が上がった。


「大丈夫。この神様よが教えるんだからタンカーに乗った気持ちでいるといい。まぁ、それも迷宮を攻略したあとだけど」


 神様が迷宮の攻略を口にすると、傭兵たちの空気が一気に冷えた。


「だから、それをすれば死人がでるから嫌だと言ってるだろ!」


 再燃した怒りをアルフレッドが爆発させる。神様は両耳を防いで怒号を回避すると彼らの思っても見ないことを言った。


「迷宮は攻略するけど登るのはたった三階だけ」

「三階だけ? どういうことだ? あんたは北塔の最上階に行きたいんじゃないのか?」

「迷宮の四十五階まではそれと同じ高さの塔を建設してそこから迷宮に乗り移る。だから、攻略すべきは四十五から頂上までの三階分だけ。簡単でしょ?」


 神様は彼らに楽しそうに微笑みかけた。


「仮にその塔ができたとして迷宮には不死者の王がいる。皇帝陛下でさえ殺せなかった相手をどうするつもりだ?」

「動く屍も不死者の王も私が始末する。それは私の義務」


 いままでにない冷たい声で彼女はそう言うと凍てつくような瞳をアルフレッドに向けた。


「……そうか」


 短かく答えた彼は背中に冷や汗が流れるのを感じていた。それは戦場であった恐怖にも似た感覚であった。


「わかった? なら、私からあなたたちにプレゼントをあげましょう。この世界最初のゼネコンの名前。そうあなたたちの団の名前を汲んで赤椿組! すぐにでも首が落ちそうなところが不退転の覚悟みたいでいいわ」


 一人納得する神様を横目にエリックや傭兵たちは不安を隠さずにはいられなかった。

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