第7話
「ほんと、ようございました。ロナルド様は怪我でしばらくは動けない、という話ですし。新宮殿建設はこれで旦那様に決まったようなものです」
あからさまに目をお金に曇らせた笑みを浮かべるチェルシー・ゴッドリッチに対してエリック・コーウェンは嫌悪感のこもった目を向けた。それは、エリックがロナルドに対して持っていた気持ちに変化が起きたためで、以前であれば聞き流せたことであった。
「喜ぶのはいいけど、まだ俺達は第一迷宮よりも高い宮殿を建てることはできない。工法はあれで行けるのかもしれないけど、設計に関してはまだわからないことだらけだ」
エリックはため息を静かに吐くと横目で神様を見た。当の神様はといえば、チェルシーが持ってきた焼き菓子に夢中で一枚また一枚と絶え間なく口に放り込んでいる。この焼き菓子はウーブリーと呼ばれるものでパン屋が残った種無しパンの生地を無駄にしないように水で溶いて焼いたものが始めといわれている。
パリパリした食感だけの食べ物だったが、最近では砂糖や香辛料が入るようになり人気を博している。
「銅貨二枚でこんなに喜んでいただけるとは得した気持ちでございますね」
「なんでも金額で判断すると心の豊かさが失われるよ」
口をもごもごと動かしながら神様は笑う。チェルシーは舌を鳴らして横を向いた。そこで、小さいが聞こえる声で「詐欺師のくせに」、と悪態をついた。神様はそれさえも面白いようで、ウーブリーを片手に目を細めた。
「神様、どうしてロナルド先生の建てた塔は崩れ落ちたのか教えてくださいよ」
エリックは真面目くさった顔で神様の顔を覗き込んだ。
めんどくさいとばかりに顔をしかめる神様の手からウーブリーを奪うとエリックはそれを頬張った。バリバリと咀嚼(そしゃく)する音を立てて彼はもう一度尋ねた。
「どうして、塔は崩れたんですか?」
「あのとき言った」
神様は机の上に置かれた紙袋から新しいウーブリーを取り出すとエリックに取られないように背を向けた。
「それだけでは分からないから聞いているんです!」
業を煮やしたエリックは、ウーブリーの入った紙袋を掴むと三、四枚のウーブリーをまとめて口に入れた。神様はどんどんと数を減らしていくウーブリーを悲しそうに見ていたが、とうとう我慢できなくなったのかエリックから紙袋を奪い返すと、「分かった」、と泣きそうな声で言った。
「まず、メイドさんにお茶を入れてもらおう。ウェハースとクッキーの子供みたいなお菓子だったせいで口の中が乾いて話しにくい」
「だから、あっちはメイドって名前じゃありませんよ。チェルシーですって」
「いいじゃない。大して変わらないよ。さぁ、メイドさんはお茶を入れるもんだ。なんじお茶を入れる。ゆえにメイドなりだよ」
神様はチェルシーから苦情など気にしないとばかりに片手をひらひらとふった。むっとするチェルシーにエリックは無言で手を合わせた。彼女はまだ何か言いたそうであったが、渋々といった様子で食堂から厨房へと出て行った。
「で、本当に教えてくれるんですか?」
「エリック。疑り深いね。私は神様よ、二言はない」
黒髪をかきあげると神様は起伏を感じさせない平和な胸を張った。
「では、簡単なところから答え合わせをしようか。まず、高い建物を作るとどうなると思う?」
「第一迷宮のように何階にも分かれた建物になります」
「ピンポーン。そうだね、高層の建物になる。そういう風にね」
神様はウーブリーを一枚、二枚と重ねて十枚重ねのお菓子の塔を作ってみせる。
「ウーブリー一枚が一階ってことですね」
「そう、君たちが言う第一迷宮は四十八階建てだから屋上や機械室も含めてだいたい五十階建てだと思って欲しい。このお菓子の塔で言えば五倍ということになる。いま一番下のウーブリーは九枚の重さに耐えるだけでいい。だけど、この上にあと四十枚の重さが加わればどうだろう」
そう言うと彼女は人差し指をお菓子の塔の上にそえると少しづつ力を込めていく。
小さな亀裂音がしてウーブリーが割れた。
「これが重さの影響」
「そう。高層建築を行う際に最初に考えることは重さ。このお菓子の塔だって倍の大きさにしようとすると、表面積は四倍に、体積は八倍になる。特に重さが集中する下層と基礎は重さに耐えられる設計ではなくてはいけない」
神様は割れたウーブリーを塔から抜き出すと、美味しそうにそれを食べた。
「先生の塔は上層の重さに耐えられなかった」
「そう。では、どうすれば重さに耐えられると思う?」
エリックは残された九枚のウーブリーを見つめる。
「はいはい、お茶が入りましたよ。口が乾いていても十分に滑りが良さそうにあっちには聞こえましたよ」
濃い琥珀色の液体が入ったカップとポットを持ってチェルシーが席へと戻る。この琥珀色のお茶はその色合いから紅茶と呼ばれている。ルークラフト帝国が神器という力によって他国を圧倒し覇権国、と呼ばれるようになったころから流通するようになった。いまではルークラフト帝国内の多くの地域で愛飲されている。
「シュガーは? 苦いのは苦手」
神様はチェルシーの言葉を無視してさらに要求を行う。流石に今度ばかりは腹に据えかねたのか、厨房から砂糖と桂皮の入った小壺を二つ持ってくると、どん、と勢いよく彼女の前に置いた。
「味の甘さでも香りの甘さでもお好きな方をどうぞ!」
「エリック。お前のところのメイドさんは元気がいいね。こんなのに萌え萌えキュンキュン、と紅茶に注入されたら胃に穴があきそう」
「萌え萌え? なんです、それ?」
胸元で両の手で歪な輪っかを作る神様にエリックは尋ねたが、彼女は「カルチャーショック」、と悔しそうにつぶやくだけだった。なぜかやけくそのように小壺から角砂糖を取り出した神様はそれをたっぷりと紅茶へ投入した。
「本当に甘党でございますね」
チェルシーはその様子を呆れたように眺めると自分は桂皮を一本、紅茶へと浸した。
「誰かさんと違って頭脳労働専門なのでオリゴ糖が必要」
「旦那様、一度この詐欺師をとっちめてもよおございますか?」
「それはちょっと困る」
拳を握るチェルシーを制止すると、エリックは自分の紅茶に一つだけ角砂糖を入れた。
「さぁ、答えはでたかい?」
「どうすれば、重さに耐えられるか……」
彼が考え込んでいると隣からチェルシーが「軽くすればよおございましょう」と言った。
「そんな安直なわけ……」
「せいかい。軽い頭のわりには賢い答えがでた。瓢箪から駒ってやつかな」
エリックの言葉を遮って神様は言う。
「誰の頭が軽いですか?」
「誰だろう。水にでも浮かべればわかるかも」
「えっ、そんな簡単なことでいいんですか?」
エリックは声をあげて驚いた。神様はすこし苦笑いすると小壺から角砂糖をたっぷり取り出すと、横五個、縦五個、高さ五段の角砂糖でできた正六面体を作った。
「これを建物としよう。この建物は全部で百二十五個の角砂糖で出来ている。だけど、一番下の角砂糖二十五個だけではうえに乗る百個の重さには耐えられない。ならどうするか? こうやって抜ける角砂糖を抜いてやればいい」
神様は器用に立体から角砂糖を抜き出す。虫食いのように穴だらけの砂糖の塔はいまにも倒れそうだった。
「でも、それだと不安定になりませんか?」
エリックが指先で角砂糖に触れると塔はもろくも崩れ落ちた。
「そこで設計だよ。例えば、一段ごとに一列づつ角砂糖を減らせば四段で二十個の角砂糖を減らすことができる。」
神様は角砂糖の塔を組み直す。すると階段状になった角砂糖の塔が生まれた。この塔は先ほどの虫食いの塔よりもはるかに安定を保っていた。彼女の手元には抜き出された二十個の角砂糖が残されていた。
「でも、第一迷宮はこんな階段みたいな形はしてませんよ」
「そうだね。じゃ、少し考え方を変えてみよう。一段目の角砂糖の上にはどうやっても百個までしか角砂糖を置けない。でももっと高さを増やしたい」
神様は再び正六面体を作るとエリックに積み上げてみなさい、とばかりに示した。
エリックは少し考えると二段目から五段目までの真ん中の縦列を外すと六段目としてそれらを積んだ。その形はまさに第一迷宮のような二つの尖塔を持つ建物であった。
「ブラボー。正解の一つとしては万点だね。他にも角砂糖ではできないけど、壁や柱の太さを半分にすればそれだけ重さを減らして垂直方向に伸ばしたりできる。設計がよくないと工法がどれだけ優れていても建物は自重を支えることができない。それはあのインテリおじさんの件で分かったでしょ?」
「はい、先生は一階から最上階まで同じ太さの柱に壁という均一な塔を作った。そのせいで重さに耐えられなかった。そういうことですね」
「そう。あとは材料の問題もあるけど、それは今度、話そう」
話の終わりとばかりに神様は砂糖の塔を崩すと小壺の中へとぽいぽいと放り込んでいった。エリックは紅茶に口をつける。ほのかな甘味と苦味が混じった味が広がった。
「そうだ、エリック私も知りたいことがある」
思い出したとばかり神様は、エリックとチェルシーの方を見つめると「あのマジカルカイザーは第一迷宮の頂上まで登ったの?」と尋ねた。マジカルカイザー、という言葉を聞いたことがない二人は顔を見合わせて首をひねった。
「誰ですか? マジカルカイザーって?」
「そんな知り合い存じませんけど?」
「いや。ほら、いたじゃないか。塔をずばっと斬ってごぉっと燃やした銀髪美少女ちゃん」
身振り手振りで説明する神様を見てエリックはマジカルカイザーの正体が誰か理解した。それと同時にあの場で神様が口を開かなかったことを神に感謝した。
「陛下のことですか? 皇帝セシリア・ルークラフト陛下。神様……、てぃーなんとかってやつはどうしたんですか?」
「TPOか。そんなことも言ったよね。それも遠い昔のことよ」
遠い目で彼方をみやると神様はばつがわるそうに笑った。
「笑い事じゃありません。絶対、陛下の前でマジカルカイザーとか言っては駄目ですよ。神様が言う言葉の大半は悪口なんですから!」
「はいはい、分かりましたよ。お口にチャックしておきます」
「旦那様、絶対分かっておられませんよ。早めに口を縫っておかれたらどうです」
半ば本気の口調でチェルシーが言う。神様はそれに気づいて彼女を睨みつけるがチェルシーはすました顔で紅茶に口をつけていた。
「で、陛下の何が気になるんですか?」
「マジカ……陛下ちゃんの持っていた剣あれは迷宮の南塔にあったものだろう? なら同じように北塔も登ったのかと思って」
「いいえ、第一迷宮の北塔は誰にも攻略されていません。神様はあの神器についてなにか知っているんですか?」
エリックは素直に疑問をぶつけた。だが、神様は曖昧に微笑むと「なら良い。お腹がいっぱいになったら眠くなった」、と言って食堂から自室の方へと去っていった。
「怪しいです。旦那様もそうお思いでしょう? あれは絶対に何か知っているに違いありません」
目を細めるとチェルシーはエリックの耳元で囁くように言った。それはエリックにとっても同じ気持ちであったが、それを強引に聞くと余計に話をしてくれない気がしてエリックはそれ以上の追求をしなかった。
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