第6話

『重みを分かち、支える幾重にも』


 ロナルド・ベーコンの補佐をしていた複数の魔術師が叫ぶ。その中にはエリックの同窓であったジョエル・イーサンも含まれている。彼らは塔に入った亀裂を補強するために地面に魔法陣を描くと呪文を唱える。塔の建材として搬入されていた予備の石材が塔を支えるために何本もの柱へと姿を変える。しかし、ロナルドが築き上げた巨大な塔に入った亀裂は大きくなるばかりで彼らの努力は空費されていく。


「どうしてだ……。私は第一迷宮の構造を解き明かしたはずなのに」


 呆然とした表情でロナルドは地面に座り込み、傾斜が増す塔を眺めていた。彼には必死で塔の崩壊を止めるための努力を繰り返す弟子たちの姿は見えていない。見えているのは目の前いっぱいに広がった絶望だけなのであろう。若き天才と呼ばれるエリック・コーウェンの鼻っ柱を折ってやった、という達成感。それが一気に悪夢へ変わったのだ。


「あなたの足りない点を教えてあげましょう。一つは重さを考えなかったこと。二つは上層と下層で構造を変えなかったこと。そして、最後に石材という剛構造だけで高層ビルを設計したことです。いいお勉強になりましたね」


 神様は天使のように微笑むと悪魔のようにロナルドの作り上げた塔を痛烈に否定した。

 彼女の言葉はロナルドには届かなかった。彼には塔の崩壊という目の前の現象だけしか見えず、考えられなかったからである。だが、この言葉は直前まで敗北感に打ちひしがれていたエリックには聞こえていた。


「くそ、俺たちだけじゃどうにもならない」


 残された予備の石材などを使って塔を支えていたジョエルが叫んだ。彼らの必死の努力にもかかわらず、塔に生じた損傷は加速度的に広がっている。このまま倒壊すれば、塔は王宮だけでなく市街地を巻き込んでしまう。王宮の周辺には貴族の邸宅や商館、そこで働く人々のために小さな露天商がひしめき合っている。塔が倒壊すれば、これらの人々に被害が出ることは避けられない。


『土を集めてつくる。守山を』


 地面が大きく揺れたと思うと塔の根元を覆う形で土の山が生じた。


「エリック!」

「ジョー! もう塔自体の崩壊は防げない。ならせめて人が逃げる時間を稼ぐしかない」

「確かにそうだけどな。根元から倒れるのを抑えられても、塔が真ん中から折れても被害は出るんだぜ」


 ジョエルは土の山の近くに魔法陣を描くとさらに大きくするように魔法を唱えた。土山はさらに一回り大きくなる。ほかの魔術師たちも同じように土山を作るが、塔の高さには到底及ばない。


「神様! 何とかしてもらえませんか!」


 魔法陣を描きながら、エリックは傾く塔をのんびりと眺めている神様に叫ぶ。神様は少し困った、という顔をすると短かく言った。


「うん、無理」

「動く屍やコインにしたみたいなことはできるんじゃないですか!?」

「あれは分解しただけ。塔を分解することはできるけど同じ質量は残る。つまり、倒壊によって圧死するか分解で生じた物質で圧死するか、という二択なるけどいい?」


 神様は前後に屈伸すると、「さぁやるか」、とばかりに両手を構えてみせた。エリックは理解した。どちらを選択しても自分たちを待ち受けている未来には希望がないことを。だが、彼はこのまま死ぬわけにはいかない。まだ夢を叶えていない。神様はロナルドが用いた工法は否定しなかった。だが、設計は否定したのである。それは、設計さえ改めれば第一迷宮のような高い建物をつくれる可能性をしめしたのである。


「嫌だ。俺はまだ誰も作ったことのない建物を作りたい。死ねません!」

「なら、ここから離れなさい。塔の崩壊で死者も被害もでるでしょう。だけど、それは馬鹿な設計をした建築士(ロナルド)が背負うべき業(ごう)。あなたのものじゃない」


 神様は冷たく言った。ロナルドの身体が一瞬、大きく震えた。

 彼女の言うことは正しい。だが、エリックにはそれが正しいからといって逃げ出せなかった。周囲ではすでに数人の魔術師が逃げ始めている。確かに土山で傾きが緩やかになったいまが逃げ時と言えた。


「避けろ!」


 ジョエルの叫びにエリックが後方に飛び退く。次の瞬間、豪音と共に彼のいた場所は崩れた外壁の破片が突き刺さっていた。エリックはジョエルの傍に駆け寄るとお互いの顔を見合わせた。ジョエルは無言で顔を左右に振った。その表情のない顔には「逃げるしかない」、と書かれていた。だが、いま彼らが立ち去れば崩壊は一気に進むのである。


「駄目だ。もう少し時間だけでも」

「お前! 死ぬ気か!」


 留まろうとするエリックを強引に引き剥がそうとジョエルが彼の袖を掴んだとき、彼らのうえに巨大な影が生まれた。それは瓦礫というよりも巨岩というのが相応しいものであった。


『地の底よりすべてを持ち上げ、巨人の盾をつくらん』


 彼らの真上に落ちるはずだった巨岩は、地面から立ち上がった石の壁によって方向を変えられた。だが巨岩の衝撃によって壁は大量の粉塵をあげて崩れ落ちた。


「大丈夫か!? 君たちは逃げろ。これは私の責任だ」


 崩れた壁に半ば埋まるような形でロナルドが声を上げる。彼は瓦礫からから這い出すと、素早く次の魔法陣を書き上げると次々に土山と隆起させた。


「ロナルド先生……」

「エリック君、約束してくれ。必ず、あの迷宮よりも高い王宮を築いてみせると。私はかつてあの迷宮よりも高い建物を作りたかった。だが、できなかった。失敗ばかりだ。そして、いつしか諦めた。できないと心に蓋をして作れるものだけを作った。そんななか今回の機会が来た。私は今度こそと思ったよ。まぁ、君のような若手の鼻を明かしたいという思いもあったがね。しかし、どうも今回も失敗のようだ。彼女の言うとおり責任はとろう」


 照れくさそうにロナルドは笑うと、魔法陣の上に立った。


『支えよ、支えよ、支えよ、支えよ』


 青白い魔力の光がいくつもの柱となって塔を押し支える。だが、柱は一本また一本と折れて石塊に変わっていく。それでもロナルドは繰り返し同じ言葉を叫ぶ。


「先生!」


 エリックはロナルドに駆け寄ろうとするが、ジョエルによって羽交い絞めにされて近づけなかった。そうしているあいだにもいくつもの柱が生まれ、折れていった。ロナルドはただひたすらに呪文を唱え続けているが、生み出される柱はどんどん細くなりつつあった。


「エリック、やめろ! 行ってどうなる!」

「離せ! あの人は死ぬ気だ!」


 手足を振り回して暴れるエリックの手や脚がジョエルに激しくぶつかったが、彼は決してその手を緩めなかった。むしろ、より強く握りしめて離そうとはしなかった。


「そうだ! 先生は死ぬ。それに付き合ってどうする! お前は作りたいんだろ!」

「作りたい! だが、あの人も!」


 エリックは分かっていなかった。彼よりも長く建築に携わってきたロナルドが人知れずに挫折を繰り返してきたことを。そして、それを後ろから眺めただけの自分は勝手に決め付けて否定していただけであった。もし、もっと早く気づいていれば、その思いが後悔としてエリックの胸に浮かぶ。


「いまはできることだけを考えろ!」


 ジョエルは強引にエリックを投げ飛ばした。倒れたエリックの襟口を掴むとひきずるようにその場から離れようとした。


「それでも、俺はすべてを助けたい。町も人も先生も! 俺の夢も! 全部だ!」


 そう口にしたエリックは殴られた。

 神様であった。拳を固く握り締めた彼女は「神様にでもなったつもり?」、と突き放したような声を上げた。エリックは冷水を浴びせられたように手足の動きを止めた。


「神様……」

「できることとできないことがある。そして、それは神様も同じ。人間ならなおさら」


 そう言った彼女の顔はとても寂しそうでエリックは次の言葉を飲み込んだ。だが、飲み込まなかった者がいた。


「よかろう。ならばすべての責は余がとろう! 部下のものは君主のもの。君主のものは君主のものなのじゃからな」


 それは、ルークラフト帝国第三代皇帝セシリア・ルークラフトであった。弱冠一七歳でこの世界の至尊にたった彼女は、弱気や迷いを感じさせない自信に満ちた表情でエリック達の前に立った。彼女の視線の先ではロナルドが放つ魔法の光が遅れ蛍のように弱々しく輝いていた。


「陛下……」

「お主やロナルドに命じた余こそ、すべてを守る責任があるとは思わぬか。そして、余にだけはそれを叶える力がある。そうであろう?」


 セシリアは皇帝だけが身につけられる緋色のマントを翻すと力強い声で訊ねた。

 突然のことに声を失ったエリックたちを尻目にセシリアはゆったりと堂々と前に進む。彼女の背後では一人の老侍従(ろうじじゅう)が何も言わずに控えている。白髪頭と髭は綺麗に整えられ、衣服にも乱れはない。ただ、彼の顔に刻まれた深い皺だけが彼の苦悩を表しているように見えた。


「セバス。第一神器と第三神器を出せ」


 ほっそりした白い手が老侍従に伸ばされる。彼はその手に添えるように両手を伸ばすと「セバスではありません。セバスチャンです」と抑揚のない声で応じた。


「どちらでも変わらぬではないか。それよりも急げ」

「分かりました」


 セバスチャンは諦めたように答えると『開け、境界の蔵』と唱えた。瞬間、空間がねじれたように暗闇が広がり、彼の手元に白銀の剣と緋色の篭手がどこからともなく現れた。セシリアはそれを掴むと左手に剣を右手に篭手をつけた。


 白銀の剣はセシリアの身の丈よりも長く、彼女の銀髪よりも鋭利な輝きを宿していた。


「では、始めよう。第一神器『神を切り裂く者』起動せよ。そして切り裂け、我らを隔てる壁など失わせるほどに!」


 魔力が剣に込められる。

 セシリアがおもちゃでも振り回すように剣をくるりと回してみせる。巨大な刀身から放たれた魔力は空間をも切り裂くようで剣筋が通った場所が歪んで見えた。それを確認したセシリアは満足そうに頷くと塔の根元に向かって横薙に剣を振るった。剣線が奔(はし)る。


 放たれた斬撃は刀身をはるかに超える長さで塔を根元から切り落とした。そして、返す手で剣は振り上げられた。塔は真ん中から引き裂かれ、その姿を大小の破片へと姿を変えていった。


「陛下。破片が市街へ落ちれば多くの死者が出ます」


 セバスチャンは荒れ狂う神器の斬撃など意にかえさぬようにセシリアの後ろに立ち続けている。


「分かっておる。だから、第三神器も出したのじゃ! 第三神器『炎妃の右腕』恋焦がれるほどに燃やし尽くせ」


 右手に付けられた緋色の篭手は魔力を込められた瞬間、暴力的なまでにその大きさを巨大化させた。セシリアの肩口まで食らいつくように姿を変えた篭手はその拳から真紅の炎をほとばしらせていた。


「一つたりとも落とさせぬ!」


 落下する瓦礫に向かってセシリアが拳を振るうと天を割くような炎の柱が生じた。同時に圧倒的な熱気が周辺を襲う。エリックたちは熱風から逃げるように大地に身を伏せた。あたりでは立ち昇る炎によって地面に向かっていた大小の破片が飴細工のように溶けて蒸発していた。


「どうじゃ。すべてを守ってやったぞ」


 セシリアは子供が両親に見せるような得意げな笑みをエリックたちに向けた。だが、彼女が起こしたことは少女が特技を披露して得意がるようなものではない。圧倒的な破壊であった。一年前、彼女はこの力でこの世界に唯一残っていた国を滅ぼした。それは圧勝というもので、十万の敵軍に対して彼女は一人だけで勝った。


 エリックは今更ながらに彼女がただの少女でも皇帝でもないことを思い知った。


「陛下……」


 起き上がったエリックはセシリアを見た。彼女は神器を投げるようにセバスチャンに渡すとエリックの側に立った。その姿はただ綺麗な少女にしか見えない。だが、彼女は決して普通の少女ではいられない。


「よいよい、感謝の言葉も賛美の声も余は持て余しておる。言うには及ばぬ」


 気分が高揚しているのか。単純に気分がいいのか。セシリアは上気した赤い顔で言う。エリックは彼女にどのような言葉をかけていいのか分からずにいると、セバスチャンが声をあげた。


「陛下、ここの片付けは我らが致します。先にお戻りください」


 セシリアは少し逡巡(しゅんじゅん)したが「そうじゃな」と行って去っていった。周囲では魔術師や近衛たちが集まって土山を元に戻したり、負傷者の運び出しを始めていた。エリックはその中から神様を見つけると駆け寄った。


 神様は、じっと王宮へ消えていくセシリアの後ろ姿を見つめていた。

 その薄い唇が「空間転移装置三型」と、つぶやいたのは彼には聞こえなかった。


「神様も無事でしたか?」


 後ろから現れたエリックに神様はびっくりした様子であったが「当然でしょ、私は神様よ」と薄い胸を張ってみせた。だが、その表情はあまり冴えなかった。

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