第5話
「エリック君、経験の差というものはそう簡単に埋まるものではないのだよ。まぁ、陛下の期待に応えられなかった君にはこれから経験を積む場も与えられないだろうがね」
優越感を浮かべたいやらしい目つきでロナルド・ベーコンは笑った。それは帝国学術院建築学顧問という仰々しい地位にはふさわしくない言葉であった。だが、彼にとってエリック・コーウェンのような頭角を現しつつある若者は脅威であった。そのエリックがここで失脚してくれれば良い、というのがロナルドの素直な気持ちであった。
「先生の考案されたという新しい工法を見て勉強させていただきます。成功の母はどこにいるかわかりませんので」
エリックは王宮の南宮を見渡すと微笑んだ。
彼にとってロナルドは帝国学術院時代の恩師ということになるが、顧問と呼ばれるような大御所が直接的に指導を行うことはほとんどなく希薄な印象しかない。ロナルドの設計は良くも悪くも伝統的であり、華美とも言える装飾と重々しい石造りは権威と権力を誇示するとともに圧迫感の強いものが多かった。
第一迷宮のような誰もが見たことのない建物を作りたいと願うエリックにとってロナルドの建築は限界の象徴であるように見えた。その彼が、従来の建物を超える高さの建物を築く工法を編み出した、と聞いたときのエリックの驚きは並大抵のものではなかった。
「成功の母は見つからなくても、別の女は見つけたようだな。負けを悟ったにしても女連れで勉強とは熱心なことだ」
エリックが眉をひそめた瞬間であった。彼の後ろでキョロキョロと王宮に見入っていた神様が口を開いた。
「第一村人」
「第一村人はいい加減やめてください。エリックです」
「では、エリック。この人は女と一緒だと勉強もできないのか? インテリこじらせて女性と素直にお話できない口の人かな」
ロナルドを指差すと神様は冷たい眼差しをおくった。ロナルドは一方的な悪口に対して肩を震わせる。
「イン……? この女はなんだ! 帝国学術院建築学顧問である私を侮辱するとは」
「肩書きに頼らないと怒ることもできないオジサンは侮辱されてもしかないよ。うん、カッコ悪い」
にへらと神様は微笑むと顔を赤くしているロナルドなど見えていないように歩き出した。彼女の興味はロナルドよりも王宮に移っているらしく、柱や装飾を凝視している。
「装飾や塗装も魔法でしているの?」
「半々です。石材は魔法で加工できますが、木材は魔法で加工できませんから」
矢継ぎ早にエリックに問いを投げかけると神様は「ほー」、「なるほど」などと口を開けたまま感嘆の声をあげる。
「神様。そっちじゃありません。いまから俺たちが行くのは南宮の庭園です」
エリックは神様の服の袖を引くと庭園へ続く回廊を指差した。神様は少しがっかりした顔をしたが彼の指示に従ってみせた。彼らに無視された形となったロナルドはふん、と大きく鼻を鳴らすと怒りを踏みしめるような足取りで庭園へ向かった。
庭園ではすでに今日のために多くの石材などの材料が搬入され、それらの周りでは帝国学術院の生徒や教員が魔法陣を地面に刻んでいた。エリックは魔法陣をまじまじと見たが、特別に変わったものではなかった。ただ、違うのは作ろうとしている高さが通常の倍ほどもあるということであった。
だが、一人の魔術師が扱える魔力ではそれほど長大な建築物を作れるとは思えない。魔力は術者から離れれば離れるほど弱くなる。ゆえにあまりに高い、あるいは広いものを作ろうとすると末端まで魔力が届かず。うまく魔法が生じないことがある。
複数の魔術師が協力すればより遠くまで魔力を流せるが、その場合は魔術師の魔力をそろえる必要がある。二人の魔術師が協力して建物を作る場合、一方の魔力が強すぎると強い魔力は弱いもう一方の魔力にまで流れ込み石材の結合が歪になったり結合箇所が脆くなることがある。
それを防ぐために王宮のような広大な建物を作る際は、魔術師ごとに区画を決めて建築を行うことが普通である。区画同士の隙間は工事の最後に埋めることになる。だが、魔法で作った壁や柱は、魔法で再結合させることが困難なために石膏や粘土、煉瓦などで埋めることになる。
「エリック!」
作業をしていた魔術師の一人がエリックに近づいてくる。エリックが彼へ手を伸ばすと彼もそれに応じて手を伸ばした。
「久しぶりだな。ジョー!」
「お前の方こそ! 売れっ子建築士にもなったと途端に連絡もしなくなりやがって!」
二人はがっしりと手を握ると微笑んだ。
「講師の仕事が忙しいって手紙を送ってきたきり、返事を返さなくなったのは誰だよ」
「次席卒業のお前さんと違って第三席の俺は建築士だけでは食っていけないんだよ」
エリックとしたしように話す魔術師は、くせっ毛の強い濃い赤髪をした青年であった。
「エリック、その赤毛は誰だ?」
「彼は」
「ジョエル。ジョエル・イーサンです。黒髪のお嬢さん。不思議だな君とは初めて会った気がしない。もしかしたら前世からの運命の糸が繋がっているのかもしれないね」
ジョエルはエリックの言葉を遮ると素早く神様の手を取った。神様はジョエルとエリックの顔を交互に見ると「こう言う奴か?」、と呆れ気味に尋ねた。
「そう。帝国学術院一の軟派野郎だよ」
「エリック。失礼なことを言うなよ。俺は美しいものを愛でているだけだ。お前やニコルが建築しか興味を持たないから変わって女性に声をかけているにすぎない」
赤髪をかきあげるとジョエルは白い歯を見せて笑う。
「その割には勝率は低いじゃないか?」
「出場さえしない奴が言うなよ。ゼロ戦無敗は別に無敵って訳じゃないんだぜ。で、この女性は誰なんだよ」
両手で丸を作ってジョエルが笑う。
「彼女は俺の幸運の神様だ」
「幸運の女神じゃなくてか?」
ジョエルが首をかしげながら神様を覗き込んでいると、怒鳴り声がした。
「ジョエル! 手を止めてる暇があるなら魔法陣に間違いがないか確認をしろ!」
ジョエルではなくエリックと神様を睨みつけるようにロナルドは叫ぶと、ほかの魔術師たちにもあれこれと雷を落としていった。
「お前、また変なこと言っただろ。ただでさえ、うちの先生様は権威回復を狙ってピリピリしてるんだから頼むぜ」
小走りでジョエルは駆け出すと、魔法陣の方へと去っていった。
「友達か。良いな」
神様は指先で軽く髪をいじりながら少し寂しげに微笑んだ。
「えっ、ジョーのこと好きになりました?」
「違う違う。友達というものが羨ましかっただけ」
ぴしゃり、と神様は平手でエリックのおでこを軽くたたくと彼に背を向けた。エリックは叩かれた額を押さえながら神様にも友達がいるのだろうか、と不思議に思った。神様の背中はほっそりとしていて頼りない。この世界のどこかに神様の友達がいるのだろうか、エリックが疑問を口にしようとしたとき王宮から多数のお供を連れた少女がこちらに向かってくるのが見えた。
周囲で作業に従事していた人々は少女を見ると慌てて膝をついて頭を下げた。それはエリックも同様であった。彼の後ろで自体をまだ把握していなかった神様もあたりの変化に気づいたのか、驚いた様子で膝をついた。
「あれがお前らの皇帝か?」
「そうです。絶対に陛下に変なこと言っちゃ駄目ですよ。神様が神様だって説明してもきっと信じてもらえませんから」
声を潜めるとエリックは、神様に注意を促した。皇帝であるセシリア・ルークラフトはロナルドとは格が違うのである。ロナルドがいくら怒ろうとも害は知れている。たいしてセシリアの怒気に触れればエリックは文字通りに吹き飛ばされるのである。
「任せて、私もTPOくらいは見極められる」
神様はエリックに親指を立ててみせた。エリックは少し困った。彼女との付き合いは短いものの神様の物言いが相手に合わせたものであったことは皆無に近かったからだ。この場合、どのような顔をすればいいのかエリックには分からなかった。
銀髪の少女はかしずく人々のあいだをさも当然とばかりに渡ると、エリックの前で立ち止まった。
「エリック面を上げよ」
静かにエリックが顔を上げると楽しげに微笑んだセシリアがいた。その背後には白髪の老人が油断ならない様子でエリックの動きを見張っている。もし、エリックが不穏な動きをすればすぐさま彼は消されるに違いない。
「陛下の参集に応じ参りました」
「第一迷宮では負傷したそうじゃな」
「はい、しかしそれも軽傷です。なにより第一迷宮の構造を解き明かす重要な鍵を見つけました。次に迷宮から戻るときは迷宮の構造はここに入っておりましょう」
エリックは自分の頭を指差すと自信げに述べた。セシリアは首を左右に振ると不憫なものでも見るような表情で言った。
「残念じゃが無駄骨を折らせたかもしれぬな。ロナルドは余に言った。第一迷宮の構造を解き明かした、と」
「ロナルド殿を批難するつもりはございませんが、私は彼が構造を解き明かしているとはとても思えません。真実とは違う袋小路に迷い込まれているのではないかと心配しております」
毅然とした声でエリックは言った。
「それは今から分かることじゃ。見れば明らかになろう。ロナルド、準備は出来ておるのだろうな?」
セシリアは年に合わない厳しい声をあげるとエリックとロナルドを見つめた。
「はい。準備は完了しております」
南宮庭には複数の魔法陣とそれらの中心に石材がうずたかく積まれている。ここにある石材を合わせれば、小規模な要塞がひとつできるほどである。ロナルドはその中央で胸を胸を張る。そして、「持って来い」、と部下の魔術師に言った。
魔術師たちは慌てた様子で金属でできた管(くだ)と壺を運んできた。鉛や真鍮の管は昔からあるが、目の前にあるものは人の背で二十人分にもなろうかという長物であった。
また、魔術師たちが持つ壺からは青白い光が口から漏れ出しており、それは明らかに魔力の光であった。魔術師の一人に近づいたエリックが壺を覗き込むと中には魔石と呼ばれる魔力を多く含んだ鉱石がぎっしりと詰まっていた。
「見たところ、その管と壺がお前の見つけた真実というやつか?」
「そうです。第一迷宮には壁や天井に大小の管や金属線が張られております。ある者はそれが水を流すもの。あるいは空気を流すもの。終いには迷宮は生物で管や線は我々の言う血管や筋である、というものまでおりました。そこで、私は気づいたのです。管や線は地下に満たされた魔力を吸い上げるためのものではないのかと」
確かに第一迷宮には数多くの管や線が壁の中や床下に隠されている。エリックはそこには空気が流されていた、と考えている。それは迷宮にある窓の多くが開くことのできないものであったからである。窓は明かりを室内に取り入れる役割を持つが、それと同じくらいに重要な役割として空気の入れ替えである。窓が開かない、ということは別の方法で空気を取り込んでいたはずなのである。
「つまり、迷宮に地下室があるのは、あの塔を作るための魔力を貯めておくためなのです。まさにこの壺のように。大量の魔力があれば、人の力をはるかに超える高さの塔を築くことができるはずなのです」
「では、見せてみるが良い。余は理屈よりも結果を重んじる」
セシリアが言うとロナルドは魔術師たちに向かって「始める」と緊張した様子で言った。彼らは壺を魔法陣の中心に埋めると、その真上に長い管を差し込んだ。しばらくすると、管の先端から青白い光があふれる。ロナルドの言うとおり、管の中を魔力が登っているのである。
「では、ご覧下さい」
ロナルドは大きく息を吸い込む。
『四方を囲む重き壁、巨人をも支える石の床。天に登る力の奔流。登りて組み上げよ!』
呪文と渾身の魔力が魔法陣へと送り込まれる。魔法陣に刻まれた文字や文様が魔力を受けて青く輝き、光は目を覆うほどであった。大きな地響きとともに魔法陣の中に置かれた石材が溶け合い、結びつき次第に一つの大きな建物へ形を変えていく。
「おお、すごいすごい! どんどん伸びる!」
エリックの後ろで見ていた神様が興奮した様子で叫ぶ。地面から伸びた建物は王宮の屋根を超え、王都を囲む城壁を抜いた。そして、第一迷宮の半分位の高さでその成長を止めた。石壁はまっすぐに天に伸びている。突如現れたこの第一迷宮を細(ほそ)く小さくしたような塔は王宮の外に広がる王都からも見えているに違いなかった。
「陛下! いかがでしょう」
ロナルドは自慢げに胸を張ってみせた。セシリアはそれを満足そうな顔で見ると「見事じゃ。詳しく説明せよ」、と言った。
「あの壺の中には魔力を多く含む魔石と水が入っております。管の中を魔力を含んだ水を流すことで高い位置まで魔力を伝わることができるのです。大量の魔石とそれを伝えるための経路を用いることであの迷宮は築かれたのです。第一迷宮を走る管は魔力の経路、地下室は魔石を大量に貯蔵するために必要だったのでしょう」
エリックは自分の膝が崩れそうなほど、震えているのを感じた。
自分が古臭いと思っていたロナルドに負けた。迷宮の中をはっている管がそのような使い方をされているとはエリックは考えたこともなかった。それと同時に自分がどれだけ狭い了見で第一迷宮の構造を解き明かそうとしていたか、と思うと目がくらむ思いであった。先人につばを吐くように軽視していたことが仇となったのである。
体が揺れる。
呆然としていたエリックは、自分がこのまま地に沈むのではないかと思った。だが、揺れはおさまるどころか激しくなり、耳元で神様の叫び声が聞こえて彼は正気に戻った。
「エリック! エリック!」
「……神様。なんですか? 俺はもう駄目みたいです。負けた。負けたんです」
「勝ち負けなんてどうでもいい。魔法というのはすごいね。一瞬であんなに高い建物を作ることができる」
珍しく興奮した様子で話す神様に驚きながらもエリックは、捨鉢(すてばち)な口調で「そうですね。俺もあんなこと魔法でもできるなんて考えていなかった」、と答えた。
「インテリおじさん、やるじゃないか。少し見直した。だが、工法と設計は別だよ。落第!」
神様は悪魔のような笑みを浮かべると叫んだ。
エリックを含めセシリアもロナルドもこの場にいた誰もが彼女の発した言葉の意味を理解できなかった。
「なにを言ってるんだね、君は?」
ロナルドは目を白黒させて訊ねる。
「この塔は崩れる。分からないの? それは神に逆らって巨大な塔を築こうとしたためじゃない。なら、どうしてか? 足元が見えてないから。エリック、喜びなさい。そして、誇りなさい。あなたは足元を見たがために私と出会えたことを」
もう一度、神様が声を上げたとき、塔の根元から大きな亀裂が生じた。神様は巨石が崩れるような音も気にもせず起立していた。エリックは微笑さえ浮かべる彼女の姿を呆然と見つめていた。
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