第3話

「かみさまよ」


 黒髪の女はぼんやりした瞳でそう名乗った。エリック・コーウェンは、その言葉の意味を理解するまでしばらく時間がかかった。『かみさまよ』、と彼女はそう言ったのである。これがエリックの聞き違えでなければ彼女は自分が神様であると言ったのである。


「神様……?」


 エリックは片足を引きずりながら彼女に近づくと、柱にもたれかり座り込んでいる女の肩に手を掛けた。その瞬間、彼は自分の身体から大量の魔力が彼女に奪われるのを感じた。突き放すように強引に彼が両手を引くと、その反動で彼女の身体は地面に傾いて倒れた。


 鈍い音が地下に響く。エリックは自分の手を見ると彼女に触れた指が痺れたように痙攣していた。神様を名乗った黒髪の女は不気味なくらいゆっくりと立ち上がると大きな瞳でエリックを見つめたあと、あたりを大きく見渡すと「はぁ」と深いため息をついた。


「痛いです。謝罪を要求します」


 それは先ほどと違い明瞭な声であった。エリックに向かって進み出た彼女は明らかな感情をもって彼を責めた。その有無を言わせぬ態度にエリックは素直に「すいませんでした」、と頭を下げた。

 頭と一緒に視線が彼女の足元へさがる。彼女は短いスカートの下に黒タイツをはいていたが、倒れた拍子に裂けたらしく裂目から彼女の白い肌が所々に見えていた。


 エリックはいけないものを見たような気がしてすぐに顔をあげた。彼が顔をあげるとそこには無表情な顔はなくはにかんだような笑顔があった。


「よろしい。素直に謝るのなら許します。君は私にとって第一村人だからサービスだよ」

「ありがとうございます。本当にあなたは神様なんですか?」


 率直に彼は自分の疑問をぶつけた。彼女は少し驚いた顔をしたあと胸を張っていった。


「そうである。私が神様よ。まぁ、神様は神様でもできることなんて知れているんだけどね」


 明るい口調であったがその言葉にはどこか寂しさが宿っていた。エリックの知る神様は全知全能であり彼女のようにできないことがあるなどは言わない。世界を作り、人や動物を作り、世界の法則を定めた。それが彼の知る神である。だが、彼女は彼の知る神とはどうにも違うようであった。


「なら、何ができるんですか?」

「そうね。建築ができる。これよりも高い建物も建設することができる。それだけが私にできること」

「これよりも高い建物……。建設できる……!? 建築の神様!」


 エリックは我を忘れて彼女の手を両手で握り締めた。ひんやりとした彼女の体温が伝わる。決して暖かくはない。だが、彼女にはぬくもりがあった。エリックは、魔力を奪われなかったことよりもそれに驚いたのだった。驚いたのは神様も同じだったらしく、急に握られた手を振りほどくように慌てた顔で手を上下に揺らした。


「な、なにをする! 第一村人だからって調子にのるんじゃない!」


 顔を赤らめた神様はエリックを睨みつけた。


「すいません。でも、嬉しくて。神にも見捨てられたと思っていたら拾う神があったからつい」

「人を捨て猫のように言うのやめてくれる?」


 ようやくエリックの手を振りほどいた神様は、手櫛で乱れた黒髪をなおした。


「いえ、でも俺には神様が必要なのです。この塔を越える王宮を建てなくっちゃいけないのです」

「とう? ……ああ、塔ね。そういうことになるのか」


 一人で納得すると神様はエリックに訊ねた。


「私が本当に神様だって第一村人君は信じるの? 嘘かもしれないよ?」


 神様は意地の悪い笑みをうっすらとうかべた。それはある種、自らに向けられた問いだったかもしれない。目の前にいる男は信用に足りるのか。その答えを逆説的に求めたのがこの質問ではないのか、エリックにはそう思えた。


「神様が神様じゃなくって悪魔でも魔王でもいいんです。誰も建てたことのない建物を建てさせてくれるなら、俺は騙されたって構わない」


 エリックは真っ直ぐに神様を見つめていった。思いもよらない言葉にたじろぐのは彼女の番であった。

 そんな彼女の後ろで小石を崩すような音がした。神様が振り返ると下半身を失った動く屍が腕だけで這っていた。動く屍は濁った目で神様を見つめると腕だけとは思えない速さで彼女に向かってきた。


「神様!」


 エリックは飛び出そうとするが、さきほど足が言うことがきかず動けなかった。腰から下を失った動く屍は変色した内蔵をこぼしながら神様ににじり寄ると奇声をあげた。動く屍を見た神様は最初こそ驚いた顔を見せたが、すぐに感情を消して言った。


「ダメだったのね」


 掴みかかろうとする動く屍の頭を神様は躊躇(ちゅうちょ)なく蹴った。真っ黒な革のハイヒールに屍の体液がべっとりと張り付くが、彼女は気にする様子もなかった。動く屍は水気を含んだ鈍い音を立てて地面に打ち付けられ仰向けになった。腕をバタバタと動かして起き上がろうとするが、上半身だけの身でそれは難しいらしくその姿はひっくり返った亀のようであった。


 神様は動く屍の胸を脚で押さえつけると、右手を屍の頭に押し付けた。その瞬間、真っ青な閃光とともに動く屍はバラバラと砕けていった。腕や頭の欠片はさらに小さい欠片になり、最後にはただの砂山が残った。こうなるとそれが動く屍だったとはもう分からなかった。


 エリックは神様が何をしたか分からなかった。

 魔法であれば何らかの詠唱や魔法陣が必要である。だが、彼女は口も開かず。陣も描くことはなかった。


「……神様。大丈夫ですか?」


 足を引きずりながら神様に近づいたエリックが話しかける。


「大丈夫よ。ノープログレム。何一つ問題があるわけないじゃない」


 そう言って振り返った彼女の瞳は涙がこぼれそうになっていた。神様は片手で目を拭うとエリックをじっと見つめた。しばらくの沈黙が二人の間に流れた。そして、彼女は人差し指を一本立てて言った。


「あなたに誰も見たこともない建物を作らせてあげる。だから私のたったひとつの願いをかなえてくれない?」

「たった一つの願い? 何ですか、それは」

「それは私をこの建物の最上階へ連れて行くこと。それで私の願いはかなう」


 モルドレッドがこの第一迷宮を攻略してから多くの登頂者が最上階を目指した。だが、南の尖塔を攻略できても北の尖塔を攻略できた者はいない。それは、モルドレッドをもってして不死者の王と呼ばしめた化物がいるからである。モルドレッドによって両断され、壁に打ち付けられたとはいえ不死者の王は消えたわけではない。不用意に攻撃すれば不死者の王を壁につなぎ止めている剣や槍が外れかねないのである。これが外れれば不死者の王は二つに分かれた身体を一つに戻し、かつての強さを取り戻すに違いない。


 ゆえに、誰も北の尖塔を登ろうとするものはいない。


「それがかなえば、神様は俺に誰も見たことがない。作り上げたこともない建物を作らせてくれるのですね。ならば、俺の答えは決まっている。連れて行く。あなたを絶対に最上階へ連れて行く」


 エリックが建築士になったのは純粋な好奇心であった。


 彼が生まれたとき、まだルークラフト帝国は二代皇帝エドワードの時代であった。エドワードは父であるモルドレッドが手にした数多の神器を戦争の道具に変えた。魔道士千人が束になってもかなわない威力を誇る神器を用いれば巨大な城塞も万を超える軍勢も敵ではなかった。連戦連勝によりルークラフトは一躍大陸の覇権国となる。


 子供達の多くはエドワードに憧れ、棒きれを片手に英雄の真似事にいそしんでいた。そんななかエリックの興味は王都のすぐそばにそびえる第一迷宮にあった。偉大な王が暮らす王宮よりもはるかに高く、雲にも届きそうな第一迷宮は少年にとって好奇の対象であった。


 あの塔の頂上には何があるのか。

 どんな風景が広がっているのか。

 いったい誰がどうやって建てたのか。


 そんな疑問に対して周囲の大人は教えてくれなかった。いや、より正確には誰も知らなかったのである。だからこそ、幼いエリックの問いに誰も答えることはできなかった。だが、エリックはそれが知りたかった。そして、その好奇心は彼に帝国学術院の扉を叩かせた。


 そこで彼が知ったのはいまの技術では第一迷宮のような建物は作れない、という事実であった。


 例えば塔をつくる場合、塔を作るのに必要な石材を集める。そして、作りたい塔の形状や高さを示した魔法陣を描く。そこへ魔力を込めれば石材は魔力によって結合し、魔法陣で示された形状へと姿を変える。だが、魔法によって作れる建物の大きさには限界があったのである。


 建築士の魔力がいくら強くてもその魔力が伝播できるのは、第一迷宮の五階分にも満たない。それよりも大きな物を作る場合、魔力の届く範囲ごとに分けて作り上げることになる。横へ広げるならこの方法は有効であった。だが、高さに関しては有効ではなかった。


 十階ほどの高さの塔を作りその上でさらに同じ高さの塔を繋ごうとすると、新しくつくる部分と古い部分で魔力の伝わりが異なるためにうまく石材が結合しなかった。結果としてつなぎ目の弱さからその塔は崩れた。エリックはそれでも諦めたくなかった。いつか不可能を可能に変えてみせる。


 帝国学術院を卒業した彼は、その思いを現実にすべく様々な建物を作った。石材だけではなく木材や粘土といった魔力との相性が悪いとされる材料を用いることさえあった。こうして生まれた彼の建築物は目新しさもあって多くの人々に支持された。彼は数年で天才建築士と呼ばれるようになった。だが、エリックはそれを喜ばなかった。むしろ、幼い日に見た夢から遠ざかっていくという無力感だけが彼を襲っていた。


 自分が作りたいものはこれではない。だが、どうひっくり返っても作れない。その鬱屈した思いが吹き出したのが先日のことであった。建築など何も知らない第三代皇帝セシリア・ルークラフトが言った。


「あの忌々しい双角の塔よりも高き王宮を建てよ」、という言葉はエリックにとっては皮肉以外なにものでもなかった。その結果、口から溢れたつぶやきがそれであった。


「陛下、そんな王宮つくれませんよ」


 つぶやきは、セシリアに向けられた言葉というよりもエリックが自分をあざ笑うものであった。

 だが、そんな諦めた気持ちを目覚めさせるような出来事が起きた。それが今である。エリックはこの取引が悪魔とでも神様とでもどちらでもよかった。


「ええ、あなたが嫌だと言っても建てさせてあげる。だから、あなたも私が嫌だと言ってもこの建物の頂上に連れて行って。それが私の……」


 神様は言葉を途中で切った。神様には神様の事情があり、自分には自分の事情がある。エリックはそう思いそれを追求することはしなかった。


「はい、神様。俺は誓おう。あなたを頂上へ連れて行くと」

「なら、私も誓いましょう。あなたを未知の世界へ連れて行くと」


 そう言って右手を差し出した神様は、先ほどのようにエリックの手を振り払うようなことはしなかった。優しく握り締められた手は、もう冷たさを感じなかった。暖かな手だった。

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