第54話 瑠奈side
―神在総合病院・一階待ち合いロビー。
「お兄ちゃんと鋼太朗。一体何の話してるんだろ」
「あんまり明るい話じゃないのは確かよ」
「泪君。周りを気に掛けてくれる事自体は私達にとっても嬉しいけど、なにより自分で問題溜め込む事も多いもんなぁ…」
泪が話が残っているから留まると言われ、渋々鋼太朗の病室から退室した瑠奈と京香は、一階待ち合いロビーのソファーに座って雑談をしている。その京香の隣には和真と一緒に、同行者として来ていた勇羅の姉砂織も居た。砂織とは勇羅や泪を通じて何度か面識はあったものの、こうして瑠奈単独で直接砂織と話すのは初めてだ。
砂織の話では京香と一緒に和真もまた、聖龍の事件や宇都宮一族に関する情報収集の為、鋼太朗と同様先日の騒ぎで、この病院に運び込まれた聖龍被害者の事について、職員の人達へ聴き込みで来ているとの事。和真達が病院の職員と話し合いが終わるまで、砂織はこの場所で待ち合わせをしていると言う。一階の中央待ち合いロビーなら通る人も比較的多く、もし何かがあってもすぐに連絡出来る。
「?…入り口の方が騒がしいね」
「なんかあったのかな」
瑠奈達がロビー正面入り口の方を見ると、なにやら当たりがざわついている。出入り口の騒ぎの方向に目をやると自動ドア越しから、一台の黒塗りの車が見えている。遠目から見ても分かる相当な値段のしそうな高級車だった。
「あいつ……」
黒塗りの車から降りてくる、一人の小柄な見目の良い少年の姿を確認した京香の表情が、一瞬にして険しいものになる。
「宇都宮……夕妬」
夕妬と直接面識のない砂織だけが、二人の顔を交互に見ながら怪訝な顔になるが、瑠奈や京香の様子を見て、自分達に近づいてくる少年とは親しくないと判断し、すぐに表情を引き締めさせる。
「やぁ、京香。久しぶりだね…いつ見てもやっぱり君は綺麗」
「あれだけ人を人とも思わない、えげつない事やらかしときながら…。ゲームの登場人物でもホイホイと言わなさそうな、クサい台詞吐くなんて白々しい」
瑠奈達の前に当然と言わんばかりに現れた宇都宮夕妬を、敵意の篭った目で睨み付けながら、京香は歯に衣を着せぬ言葉を容赦なくぶつける。
「僕。テレビゲームには興味ないな。どうせゲームなんて、画面を見るだけで面白くもなんともないし、それ以前にゲームや漫画何て、全然つまらないじゃないか」
「…あんたが宇都宮の一族じゃなかったら、この場で思いっきり顔面殴ってるわ」
京香も情報収集の為に居合わせたので、冴木みなもの件を知っているから当然だろう。瑠奈も砂織も相手が策略にも長けているだけに、余計な情報を与えないよう黙っている。『こいつが殺人事件の犯人です!』と、口に出して言おうものなら即パニックになる。テレビゲームや漫画に、興味ないと堂々と口に出してる当たり、その手のゲームが大好きな勇羅はおろか、先程までゲームの話題でも、ちらほら話していた砂織とも完全に相性が良くない。
「ここは神在総合病院よ。まさか人が沢山居る場所で、騒ぎ起こす気じゃないでしょうね?」
「まさか」
思わぬ人物が総合病院に現れた事で、周囲もまたざわざわと話を始めている。分家とは言え、夕妬も財界で名を馳せている宇都宮一族の人間なのだ。彼も宇都宮一族の人間として、表で認知されていてもおかしくはない。
「僕はただ、愛しい君達に会いに来ただけ。みなもの事は…」
「どうせ彼女の事件なんて、何とも思ってもいない癖に。あんたと一時的に、見合いしたと思うだけで腹立たしいわ」
先日『聖域』で会った時と全く変化のない、穏やかで柔らかな微笑みを夕妬は瑠奈達に向ける。その笑みは目の前の男が冴木みなもを死に追いやったとは余りにも思えない。
「き、京香ちゃん。見合いって?」
砂織は今の状況を理解出来ず、恐る恐る京香に訪ねようとするが、京香が口を開く前に夕妬が砂織に話しかける。
「ふふっ。実は、僕と京香は結婚を誓い合った仲なんだけどなぁ…?」
「勝手に横槍入れないで。砂織さんは関係ないでしょう」
砂織の名前を口に出した事で京香の顔は一気にしまった、と言った表情になる。京香の傍にいた瑠奈も表情を固め咽をゴクリと鳴らす。
「へぇ……その娘。砂織、って言うんだ。明るい君に似合って凄く可愛い名前だね」
「と、年上の先輩を呼び捨てにするなんて…。やっぱ東皇寺学園の人って、周りへの礼儀がなってないんじゃない」
年上の砂織を平気で呼び捨てにする夕妬へ、瑠奈は思いっきり嫌味を返すが、夕妬は嫌味を気にも止めず瑠奈達に近付いて来る。
「!?」
砂織の方に距離を詰めたと思うと、無防備な砂織の頬に、少年特有のふっくらとした唇を押し当てる。目を見開く砂織を余所に、夕妬は砂織から離れると、すぐに京香の方へ距離を詰め自身の唇をそっと押し当てた。自分が何をされたのか瞬時に気付いた京香は、目を見開き反射的に夕妬の、シャツ越しの華奢な脇腹へ拳を容れようとするが、夕妬は京香の拳を踊るような、ゆったりとした動作で交わしつつ、二人からさっと距離を取った。
「な、な、な、な、なっ、ななななななっ!? 何て事っ!!」
突拍子で行われた夕妬の行動に、空振りした拳を握り締め顔を真っ赤にしながら、敵意剥き出しで夕妬を睨み付ける京香に対し、いきなり頬に口づけられ茫然自失となる砂織。夕妬の毒牙からは逃れたが、すっかり蚊帳の外に置かれてしまった瑠奈は、唖然とした顔で夕妬達が行った光景を見つめていた。
「ふふっ。二人ともとても甘くて…柔らかくて…美味しかったよ。じゃあ……ね」
混乱状態の三人を余所に、夕妬は迎えの車が停められている入り口へ向けて、何事もなかったかのように一人歩き去っていった。
「……」
「……」
長い沈黙が続く。今だに呆然となっている砂織と、夕妬が去った出入り口を殺気立った表情で睨み付け、拳を震わせる京香。何か言いたいが、先ほどやられた事に対して言葉が全く出てこない。
「………せっ!!! せ、せ、せっ、せせせせせせ先輩っ!!」
長い沈黙の末。唯一我に返った瑠奈は、年上二人を落ち着かせようと慌てて声を上げるものの、今も頭が混乱状態にあるのか、言葉と言う言葉が全く出てこない。
「き、気にする事ないですよっ! あ、あっ、あっ、あんな奴の言う事。先輩達がまっ、まっ、ま、真に受けるひつ―……ひいいいいぃぃぃっ!!」
茫然自失状態の二人へ、フォローになっていないフォローを必死で続けていた瑠奈が、甲高い奇声を上げ、尻餅を突きながら視界に入ったのは男性二人。
鋼太朗が入院している病棟のエレベーターがある方向から、丁度話し合いを終えて戻って来た泪。その泪の隣には京香達と共に、同行してきた阿修羅の如き形相の……―京香の兄・水海和真が立っていた。どうも泪も和真も瑠奈達や夕妬。これまでの出来事を全て目撃していたようだ。
「か、和…真………せ……先、ぱい……?」
和真の惨事を、横目で確認し顔を引き吊らせる泪。それもそうだ。宇都宮夕妬は『和真の目の前』で、和真の逆鱗に触れる行為を行った。以前雪彦が和真から受けたカウンターは、和真もまた雪彦の性質を把握していた故に、泪の目から見ても、『雪彦へのお仕置き』はなんとも可愛いものだった。あの時は当然、雪彦自身の自業自得とも言えたが、極寒の中全裸で簀巻きにされ、一晩旅館の外へ放り出されただけならずっと温情がある。
だが多大な権力を持つと同時に、倫理観にも著しく欠け、他者への恐れを知らない夕妬は、明らかに行き過ぎている。決して他者を恐れないが、己にとって必要なければ、塵と見なし慈悲なく切り捨てる。それが宇都宮夕妬の最大の欠陥であると同時に、最大の長所なのだろう。
だが和真の鬼の形相は、一瞬にして普段の冷静な表情へ戻る。
「宇都宮夕妬……。やっと見つけた………必ず潰す」
和真の冷静で、酷く落ち着いた表情とは反対に、その呟く声は地獄の業火を思わせるような恐ろしい声だった。
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