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14.」への応援コメント


  • 編集済

    楽園を求める人間は狂っているのかもしれませんけれども、
    楽園は狂っていないし、楽園の創造主も狂っていないと思います。

    レビューのほうで図書館を引き合いに出しましたが、
    図書館が狂っているとは思えないからです。

    図書館は、
    ひとりの人間では到底網羅できない量の知識を収蔵しています。
    しかし図書館の蔵書は、まともな人間が集めたものです。

    図書館が狂っているように見えるとすれば、
    図書館の蔵書量を、人間が自分ひとりの知識量と比べるからであって、
    図書館それ自体は狂っていないのです。

    “シコウ”もまた、
    創造主の大きなスケールにおける正気を人間が理解できないために、
    人間ひとりの視点からでは狂気の産物と見えるだけなのではないでしょうか。

    作者からの返信

    ユウグレムシ様はじめまして

    コメントだけでなく
    素敵なレビューまでありがとうございます

    「楽園」は私が学生の折に執筆致しました
    当時の私にとって必要な創作でしたが

    理解出来ない、意味不明で、おかしい
    これは本ではないと言われた作品です

    あなたの言葉を読んで
    図書館が大好きで入り浸ったこと
    そしてこの作品もまた
    図書館でうまれたことを思い出しました

    無意味だと言われ続けた言葉たちを抱いて
    図書館のパイプ椅子に座る
    幾つもの時代の私をみたように存じます

    作品に対して頂いた言葉への反応として
    正しくはないのかもしれないけれど、

    それでも

    私の言葉に居場所を与えて下さって
    本当にありがとうございます

    あなたの言葉を励みに
    私の楽園の蔵書を少しずつ増やしていこうと存じます

    どうか私の頂いた言葉の何倍も多く
    あなたに必要な言葉が送られますように

    長くなってしまいましたが、

    重ねて感謝致しますと共に

    ユウグレムシ様の創作人生が
    温かく豊かであることを
    心よりお祈り申し上げます








  • 企画から読ませていただきました。
    「愛されないなら憎まれたい」この一言が心の深いところに刺さったような気がします
    愛情も憎悪も、どちらも変わりなく対象への興味ではありますもんね。
    それであれば、「無関心」であるよりかはむしろ憎まれた方が相手の心の中、頭の中には自分が残ることが出来る。
    とても面白い物語でした

    作者からの返信

    はじめまして
    コメントありがとうございます

    お褒めの言葉、励みになります

    感情は砂粒一つで傾きますから
    正反対と呼ぶ程には
    差異を認められないと存じます

    どうにか違いを見つけようと
    砂粒をいったりきたりさせるのが
    人間なのかもしれません