39.霧の谷にて、彼女たちは(3)


 ――ディスが、こちらを振り返った。

 しまったと思ったときには、すでに黒尽くめの男たちが動き出していた。ディスを含めた数人が聖獣攻撃隊から抜け、こちらに走ってくる。

 カミーノが警告する。

「これはいけない。皆、逃げるんだよ」

「けど……! あの聖獣さんたちが」

「そうね。それに、ディス先生に背を向けるのも、すごいしゃくだし」

 躊躇ためらっているうちに、ディスを先頭にした黒尽くめたちが立ちふさがった。


「おやおや。誰かと思ったら、メガロアのアトロ大先生ではないですか」

 背筋に棘を刺すような相変わらずの声音で、ディスは言った。

 聖剣を抜こうとするエナを制し、アトロが前に出た。

「こんなところで会うとは奇遇です。しかし、素材採取にしては少々物々しいのではないですか。いつから聖獣狩りなど始めたのです」

「お恥ずかしながら、これが今の私の生業なりわいでして。お偉い貴女あなた様の知ったこっちゃありませんでしょう」

 すっかり自尊心を取り戻したのか、ディスはせせら笑う。


 エナが鋭い視線を向けた。

「ここに来るまでに、乱獲のあとがあった。あれ、もしかしてあなたたちがやったの?」

「早い者勝ちだ。単純な話だろう、エナ=アルキオン」

「……相変わらず、なんて奴」

「ほう! 貴様も相変わらず生意気な目をしている。しかしちょうど良い。我々の姿を見たからには、墓所ぼしょまで口を閉じてもらう必要があるからな。きついしつけをしてあげようじゃないか」

 ディスが目を血走らせる。


 アトロがさらに一歩前に出た。

「生徒たちに手は出させない」

「アトロ=スクルータ……貴様は。貴様はいつもいつも……」

 額に青筋を浮かべるディス。

 対照的に周りの黒尽くめはどこかうんざりしたような空気を出していた。


 相手は一枚岩ではない。ディスさえ退ければ活路はある。


 見抜いたアトロが撤退の算段をしていた、そのとき。

 聖獣が悲鳴を上げた。子をかばい、黒尽くめの槍に貫かれたのだ。


「イスナ、行くよ!」

「わかりました! 援護します!」

「おい、二人とも! せ。戻れ!」


 アトロの制止を振り切って、エナとイスナが飛び出した。ディスたちを飛び越え、聖獣の前に降り立つ。

「まったくあの子たちは……」

 天をあおなげくのも束の間、アトロは生徒たちに指示を出す。

「アルキオン君、ルヴィニ君! 決して無理はするな! 私が行くまで連携を崩さず、防御態勢!」

「はい、先生!」

 気合いの入った返事に、アトロはうなずく。


 生徒二人が今も努力を重ねていることは知っていた。彼女ら自身は自覚がないようだが、すでに実力は教師にも引けを取らない。

 防御に徹していれば、たとえ数的不利であっても彼我ひがの差はそうないとアトロは踏んでいた。だからこそ、独断専行どくだんせんこうを許容したのだ。

 あとは――。


「ほほう。これはこれは」

 いかにも余裕があるようにつくろっているが、ディスの声は明らかに引きっている。

「小娘二人にどうにかできると。あまつさえ、私の相手は貴女あなた一人で務まると。後ろにお荷物を背負った状態で! これは、これは」

 血管が切れる音を聞く。

「ふざけるなアトロ=スクルータ! 今度こそこの手で、貴様を血祭りに上げてやるぞ!」

「今回はあのときと違う。こちらも容赦はしない。ディス!」

 アトロが応じる。

 口の端から唾液をまき散らしながら、ディスが恨みの咆哮ほうこうを上げる。


「カミーノさん。私の後ろに隠れていてください」

「大丈夫だよアトロさんや。私だって霧の谷に出入りする魔法料冶師まほうりょうやしだ。自分の身くらいは、自分で守れる。遠慮せず思いっきりやっとくれ」

 そう言うと同時に、カミーノの周囲に濃密な魔力の壁ができる。

 アトロはうなずいた。


 魔鎧まがいシュテルケに魔力を通す。両篭手こてが輝き始めた。

 蛮刀ばんとうを抜き放ったディスが目前に迫る。

「死ねぇっ!」

「……ふッ!」

 鋭い呼気こきとともに、篭手を突き出す。振り下ろされた蛮刀が篭手と接触した瞬間、金属片が周囲に散った。大きく刃こぼれした蛮刀に対し、魔鎧シュテルケには傷ひとつ付いていない。


 舌打ちしたディスは風魔法の詠唱に移る。

 だが、ほぼ同時に詠唱を始めたアトロの方が早かった。


 圧縮された空気の塊がディスの鳩尾みぞおちをえぐる。よだれ脂汗あぶらあせと涙を散らし、ディスがうずくまる。

 アトロが低く身をかがめて、ディスの懐に飛び込んだ。小柄な体格を利用して、うつむいたディスの顔のさらに下に潜り込む。

 顎先あごさき目がけて、かかとを蹴り上げる。


 甲高い音がした。

 咄嗟にピンポイントで張ったディスの魔法防御壁が、アトロの蹴りをギリギリで防いだのだ。

 衝撃を殺しきれず体勢を崩し、その場に尻餅を付いたディスは、懐に手を突っ込んだ。つかんだものを闇雲やみくもにその場にばらまく。

 親指ほどの大きさのきのこ

 地面を転々とし、アトロの靴先に当たる。


「かあああっ!」

 ディスが魔法を発動させる。

 いくつもの茸が、突然発火した。

 爆発的な火力にまかれ、アトロが顔を歪める。ただの茸ではない。カミーノが探していた素材の一種だ、とアトロは悟った。

「だが、こんな森の中で火の魔法を増幅させるとは……!」

 ディスが裏返った声で「ざまあみろ!」と笑った。

「貴様が無様に倒れるのならば、この森なんてどうなっても構うものか!」

 


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