22.アトロの本心を守るために(6)
――シャンテには、大都市アラードラに想い人がいる。
だが、彼は都会育ちで腕力にはまったく自信がなく、また誰とも喧嘩をしないような穏やかな性格だったので、とてもではないが村に受け入れてもらえそうになかった。
思い悩み、村を出奔することすら考えたシャンテを、幼少からの友人であった白フクロウは
シャンテが想いを遂げられるまで協力しよう。
森の異変は、他ならぬ守護獣自身がもたらしたものだったのである。
コウタたちと出逢い、アトロの行動を見て、シャンテは決意を固めた。
これからは想い人と一緒にアラードラで生きていく。
だから、友人とはこれでお別れ――。
話を聞いたコウタは、彼女たちの願いを叶えるべく護衛を申し出た。
そして、その代わりに――。
――薄暗闇に支配された森に、月そのものが降り立ったような、輝き。
守護獣、白フクロウ――。
「ああ……」
アトロは力のない声を漏らした。
ついに、出会ってしまった。
思い出すまい、と強く念じても、次から次へと恐怖体験が
顔面は真っ青になり、嫌な汗が額と背中から湧きだしてきて、止められない。
それでも――アトロは唇を噛みしめて前へ進んだ。
白フクロウのもとへ、一歩一歩近づいていく。
切り株の上にとまった守護獣は、身動きひとつせず、じっとアトロが来るのを待っている。
あと三歩半。
そこで、アトロの足が止まる。止まってしまう。
頑張って白フクロウを真正面から見ていたのに、そこで、視線を外してしまう。
「……やはり、私は……私には……!」
――そのとき。
周囲の地面が、にわかに白く輝きだした。
闇が勢いよく払われる。
驚きのあまり、アトロの恐怖心がわずかに薄れた。
光の蝶が羽ばたくたび、風鈴が鳴るような音がした。
ゆらり、ゆらりとたゆたう蝶を見つめ、涼やかな音色を聞いているうちに、アトロの動揺は潮が引くように消えていった。
改めて、白フクロウと目を合わせる。
アトロには、守護獣が表情を変えたように見えた。
穏やかな微笑み。あるいは、励まし。
アトロの足は再び前へ進み出す。
そしてついに――白フクロウの身体を抱きしめることに成功した。
恐怖の記憶とはまったく異なる、花のような香り。どこまでも包み込むような柔らかさが両腕に広がる。
恐怖は――完全に消えたわけではない。まだ指先は震え、肩には力が入ってしまっている。
けれど、前進した。間違いなく、前に進めたのだ。
アトロの頬は、トラウマをひとつ乗り越えた達成感と喜びで、緩んだ。
――コウタの指先から、魔法の輝きがゆっくりと消えていく。
驚きの表情で見つめてくるシャンテに向かって、コウタは「しーっ」と指を立てた。
――無事、白フクロウを連れてきたアトロを、村長はいつものぼんやりした顔で出迎え、
「むにゃ。それでは、さっそく式に取りかかるかのう。あー、アトロさん。あなたさまが花嫁役をやりなされ」
「……は?」
「婿役は生徒さんでええじゃろ」
「……はあぁっ!?」
「資格のある者が主役になるのが儀式の肝。この村のだーれも資格がないのなら、あなたさまがやるのが最も相応しい。むにゃむにゃ」
とんでもないことを言い出した村長に、一部の者を除いて、その場にいた全員が驚愕の声を上げる。
「長老ッ! いくらあんたでも、それは承諾できない!」
アンドラスがいきり立って、村長につかみかかる。
石仏のように突っ立っていた村長の服に手をかけた瞬間――倍以上体重のあるアンドラスは投げ飛ばされた。
軽々と。まるで
「この未熟者め。そこでしばらく頭を冷やすがいい」
振り返りもせずに村長が言い放つ。
村の泉に盛大な水柱が立ったのは、その直後であった。
コウタはしみじみとつぶやいた。
「もしかしたら、全部村長さんのはかりごとだったのかもしれないなあ。……さてと。じゃあ先生」
「なっ……ト……ティアく……え? あの……?」
「よろしくお願いします」
ぱくぱくと、酸欠の魚のように口を動かすアトロ。その彼女を、嬉しそうにシャンテが連れて行く。
コウタも村長に連れられ、準備に向かう。
残されたエナ、イスナ、サラァサは、完全に彫刻と化して、しばらくその場から動けずにいるのだった。
――『主役たち』の登場に、場がどよめいた。
赤、緑、白――色とりどりの染糸で織り上げられた花嫁衣装は、アトロの白い肌と重なり、神秘的で、
彼女自身が大輪の花になったように――。
儀式の場に居並ぶ者たちの中でもっとも小柄な彼女が、今このとき、もっとも華やかで強い輝きを放っていた。
そんなアトロを横抱えにして、ゆっくりとコウタが歩いて行く。
「……ト、トランティア君。本当に、これは必要だったのかな……?」
声を上ずらせながら、アトロが小声でたずねてくる。刺繍入りの手袋をはめた手で、彼女は何度も耳を触っていた。
一時的に外した鎧の代わりです、と言ってからコウタは微笑んだ。
「綺麗ですよ、先生」
「…………っ!」
アトロはぎゅっと
白い肌だから、顔の
「私は……教師なんだぞ……!」
アトロの口元は
本人も意識していない、喜びの表情だった。
この真面目で努力家の担当官が、周りに秘していた『可愛く、美しくなることへの憧れ』――それが少しでも叶えられたのなら。
コウタは満足気にうなずいた。
なぜなら、アトロ=スクルータは頑張ったのだ。
生徒のために、トラウマを乗り越えようとしたのだ。
「先生」
「な、なんだい」
「ありがとうございます。僕たちのために頑張ってくれて」
アトロは目を大きく開けた。
それから、コウタの言葉を噛みしめるようにひとつ、大きく深呼吸をして――。
「私は、教師だからな」
喜びと、誇らしさと、安堵のこもった、たおやかな微笑みであった。
「あー、うー……気持ちはわかるけど。そういうことを言うべきじゃないってわかってるけど!」
「羨ましいです……」
「マスター! それ終わったら私も抱っこを! 是非に!」
外野で騒ぐ仲間たちに、アトロとコウタは揃って苦笑いで応える。
アトロは空を見上げた。
ちょうどそのとき、村の守護獣たる純白のフクロウが頭上を
これからはもっと穏やかに眺められるだろうと、アトロは思った。
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