19.アトロの本心を守るために(3)


 ――決闘は、村の広場で行われることになった。


「下が黒土な理由がわかるか? 怪我をしないためじゃない。どれだけ血を流しても目立たないからだ」

 アンドラスが不遜に言った。


 仲間たちは思い思いの表情でコウタを見ている。

 エナは怒り。

 イスナは心配。

 サラァサは冷笑。

 そしてアトロは憮然ぶぜんとした表情を浮かべている。


 決闘が始まる前、コウタはアトロに言った。ここで強さを見せなければ、シャンテさんの立場は悪くなったままです、と。

 村に入るのに相応しい男であるとコウタが証明できれば、余所者よそものを連れてきたシャンテの汚名はすすがれる。

 それが理解できたから、アトロは不承不承ふしょうぶしょう、コウタの決断を容認した。

 まさかこういう形で表舞台に立つことになるとは、とアトロは思った。



 ――村の男たちははやし立てている。

 示威行為デモンストレーションのつもりか、かたわらに転がっていた石を引っ掴み、握力で砕くアンドラス。


 取り巻きがコウタに言った。

「よう、小僧! 今日の旦那は調子が良いみたいだぜ。怪我しないうちに帰ってお勉強してな! その方がお似合いだぜ」

「まあ落ち着けお前ら。ここに立っただけでも、とりあえずは褒めてやるべきだ」


 手に付いた石粉せきふんを払い落とし、アンドラスは指を鳴らす。

「ここにいる男どもが判定者だ。お前が思う強さとやらを、俺に見せてみろ。もっとも、その前に気絶しては元も子もないが」

「……」

「だんまりか。可愛げがねえガキだ。それとも緊張で声も出せないか」

 無言でじっと見つめるコウタ。


 これ以上挑発しても、面白い反応は返ってこない――アンドラスはつまらなそうに眉根を寄せると、一歩、前に進み出た。


「始めようか、ガキ」


 ゆらり――さらに近づいてくるアンドラス。

 巨体が蛇のようににじり寄ってくる。徒手空拳としゅくうけんでも十分な威圧感。


 互いの間が二歩に詰まった。コウタからは、見上げる位置に相手の目がある。


 癖、なのだろうか。アンドラスは口の中で何かを噛む仕草をしていた。

 痰を吐きかけられる。

 あやまたず、汚い粘液がコウタの頬に付着する。

 コウタは表情を変えない。

 アンドラスは口端くちはしを引き上げた。


 大男は不意に、ひょい――と左手で首筋をく仕草をした。

 直後。

 右手を鞭のようにしならせて、コウタの頬を張りにくる。

 不意打ちフェイント。明らかに喧嘩慣れした者の動き。


 ――コウタは前を向いたまま、拳骨げんこつでそれを受けたガードした

 相手が舌打ちとともに、一気に攻撃を始める。コウタも動く。


 左拳の打ち下ろし――を避ける。

 腹への突き上げ――を避ける。

 絞め技へと繋げるつかみかかり――を避ける。


 アンドラスが繰り出すパワーあふれる攻撃を、コウタは全て避けきってみせた。


 最初こそ余裕を見せていた大男だが、次第に顔面を紅潮こうちょうさせ、犬歯けんしをむき出すようになる。

「この臆病者め! 避けるだけなら誰でもできるわ! そんなざまで俺が貴様を認めると思ったか!」

 怒鳴る。


 コウタは表情を変えない。いや――少しだけ、眼光の鋭さが増す。

 そうか、これでは駄目かと、彼はつぶやいた。


 アンドラスの右ストレート。隆起した筋肉がうなりを上げる。

 コウタは両脚を広げた。腰を落とす。決闘開始から初めて、迎撃の姿勢を取る。

 大男の右拳に向けて、左拳を突き上げる。


 ごっ――岩同士をぶつけ合ったような音がした。


 アンドラスは笑っていた。

 その笑い顔に、大量の脂汗あぶらあせが浮かぶ。


 大男の拳は弾き飛ばされていた。コウタの拳と接触してから一秒――いや、コンマ一秒も拮抗きっこうできなかったのだ。

 自分の意志に関係なく右腕をバンザイさせられたアンドラス。腕は痙攣けいれんし、拳は力なく半開きになっている。


 アンドラスはえた。思考のリミッターを解除したように、猛烈な勢いで打撃を繰り出してきた。


 コウタは。


 全ての打撃に対して、同じ攻撃で迎え撃った。

 拳には拳で。

 蹴りには蹴りで。


 ――その場にいた村の男たちは、喧嘩けんか慣れしているからこそ、理解した。アンドラスもまた、同じく理解した。


 こいつ、手加減してやがる……!


「こ……のクソガキがああぁぁっ!」

 唾を飛ばしながらの絶叫。すでに全身がボロボロになっていて、ろくな打撃技を繰り出すことができない。

 この怒りと屈辱くつじょくを晴らすためには、体格差を利用した絞め技で――。

「背骨へし折ってくれる!」


 あと数センチで指先が届く。


 不意に、アンドラスの視界からコウタが消えた。

 地面の感触も、消える。


 突進した勢いを完璧に利用した投げ技が、容赦ようしゃなく、決まる。


 受け身を取る間もなく土の地面に叩き付けられたアンドラスは、肺から息を根こそぎ吐き出す。


「き……」

 貴様、何者だ――。

 言葉にすることは叶わず、彼は意識を手放した。


 ――決着。

 あまりにも一方的な、決着。


 大男を足下に転がしたまま、コウタは傍観者ぼうかんしゃの男たちに目を向けた。

 最後まで表情をほとんど変えず、コウタは告げた。


「判定を聞こう」


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