17.アトロの本心を守るために(1)


 ――コウタたちは、大都市アラードラにおもむくことになった。

 街道が整備されているとはいえ、距離を考えるとちょっとした旅である。


 出発を前に、パーティは街へ買い物に出かけた。

 エナたち女性陣は、服装選びではしゃぐ。

 だが、ひとりアトロ=スクルータは店には入らず、生徒たちの様子をじっと見守るだけであった。


 彼女はゆったりとしたフード付きのローブで全身をすっぽり覆っていた。

 もっさりした印象で――イスナだけは高評価だったが――エナとサラァサは「もっと着飾れば良いのに」と不満を言っていた。


 だがこれは、魔人の特徴を表に出さないためだ。

 いくら学園内で人気だと言っても、一歩外に出ればどういう扱いを受けるかわからない。

 何より、魔人だとわかることで自分の生徒にあらぬ誤解の目が向けられることを、彼女自身が良しとしなかったのだ。



 ――ある店先で、コウタとアトロは並んで立っていた。

 なかなか店に入ろうとしないコウタに、アトロは言う。


「ほら、トランティア君。可愛い同僚たちが呼んでいるぞ」

「ですが」

「私は教師。教師はあくまで脇役で、主役はお前たちなんだ。私がでしゃばるわけにはいかない。この見た目だしな」

 背中を押され、コウタは店の中に入っていく。

 振り返ると、アトロが小さな手を振っていた。



 ――コウタは気付いていた。

 街を歩く間、アトロが時折、衣料品店の陳列棚ちんれつだなうらやましそうに見ていたことを。


 そのときの表情が、わずかに頬を染め、楽しそうであったことも。

 すぐに我に返ってフードを目深にかぶり直し、自分に言い聞かせるように耳を――魔人独特の長い耳を触ったことも。


 コウタは気付いていたのだった。



 ――ウェールの街を出発する。

 途中で野宿もできるよう、頑丈な馬車を学園長は用意してくれていた。


 御者台ぎょしゃだいで馬を操りながら、コウタはずっと考え事をしていた。



 ――夜。

 皆が寝静まった後で、コウタはこっそりサラァサを呼んだ。


「ああっ、マスター。ついに私を夜の相手に選んでくださるので――」

「手伝って」

「――は、ないのですねわかります。はあ……。で? 今度はどんな企みごとですの?」


 従順なサキュバスは、主の願いを叶えるために全力を尽くすと心に決めている。

 だから――コウタが提示した材料を聞いたときでも、「無理」とか「困難」とかいったことは一瞬たりとも思わなかった。


 それどころか。

 あくまでも動こうとする主の姿に、サラァサは誇らしさすら感じるのであった。



 ――数日後。

 街道から少し外れた川のほとりで、メンバーが休憩していたときのことである。


「アトロ先生。ちょっといいですか?」

「どうした」

「そちらに座ってもらえたら」


 コウタに促され、切り株の上にちょこんと腰掛けるアトロ。

 そうすると、パーティの中で一番小柄な彼女の目線は、ようやくコウタと同じくらいになる。

 彼女は可愛らしく小首を傾げた。

「何か相談事か? トランティア君」


 コウタがアトロの正面に立つ。

 懐から小瓶を取り出し、ふたを開けると、指先ほどの大きさの水滴が、ふわりと浮き上がった。


 それは、コウタがサラァサとともに数日かけて創り上げたものであった。


「じっとしててください」

「あ、ああ……」

 無意識のうちに、アトロは身構える。

 エナとイスナも、何事かと近くに寄ってくる。

 サラァサだけが、にんまりとした笑みを崩さない。

 サキュバスの表情がどうにも不安をあおるのか、アトロは表情を曇らせる。


 だが――数秒後には顔色が変わった。

 コウタの顔が、なんの躊躇ためらいもなく近づいてきたからだ。


「え……ちょ……」

 エナの声。

 止める間もなく、二人の間は鼻先数センチしかなくなる。


「ちょ……ちょっと待ったぁぁっ!」

「こ、こ、こっ、コウタさん! 相手は先生ですよっ!」


 止まる。

 形の良い鼻が、ほとんど触れ合うほどに近い。


 アトロは完全に硬直してしまっていた。

 互いの瞳と瞳が、真正面から向かい合う。


「コウタッ! あなた――って、サラァサ!? 何するの離して!」

「はぁいストーップ。余計な邪魔はしないでねえお二人さん」

「サラァサさん、邪魔って一体何が……そ、それと私の胸、つかまないでください……やっ!?」

「私のも! 地味に痛いんだけど!」

「くっふっふ。『たわわん』と『肌着つけない』の両手に花だねえ。役得、役得。そーれぇ、よいしょお、ほらどうだぁ!」

「きゃあああっ!」


 なにやってるんだ、とコウタに言われ、エナたちは我に返る。


 いつのまにか、コウタとアトロの距離は離れていた。

 熱い接吻せっぷん――を交わしたようには見えず、エナとイスナは呆けたようにまばたきした。


 一方のアトロも、自分の身に何が起こったのか理解できないといった様子で、しきりに首を傾げている。

 彼女は何度か目をこすり、それから両手を開いてじっと見た。


「特に……何かが変わったようには感じないが……に何をしたんだ? トランティア君」

 コウタは腕組みし、満足そうに何度もうなずいていた。


「あっ!? 先生、目が!」

「なに? やはり何か異常があるのか?」

「目の色が変わってます。魔人の赤目が、綺麗な紫水晶アメジストに……!」


 全員の視線がコウタに向いた。

 これなら街を歩いていてもすぐには魔人だとわかりませんよ、と彼は言った。


 サラァサがふわりと浮き上がり、コウタの肩にしなだれかかる。

「ふふふ……これぞ私とマスターの、努力と愛の創造物。接触色晶カラーコンタクトよ! 魔人の最大の特徴である赤目を誤魔化す画期的発明! 一度装着の儀式を行えば、後は呪文ひとつで着脱自在。いつでも好きな時に瞳の色を変えられるわ。すごいでしょ?」

「……何であなたが偉そうに説明するのよ」

「だぁって、私も手伝ったのは事実だしぃ?」

「あの……最近のサラァサさん、だんだん便利屋になってませんか?」

「べ……!? イスナちゃん。アンタも最近言うようになったわね……」

 良い気分を台無しにされて渋面じゅうめんを浮かべるサラァサ。


 そんな生徒たちのやり取りを、穏やかな笑みでアトロは見つめた。

「まったく。相変わらずだな、このパーティは」

 ちらりとコウタを見上げる。


「そして相変わらず……コウタ=トランティアという生徒は読めないよ。ありがとう。君はすごいな」

 


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