13.クインテ=レーンスハイルとともに(2)


 ――クインテには五歳の娘がいる。

 正確には――娘が


 魔物に食い殺されてしまったのだ。


 治安が良いはずの街で起こった惨劇。

 当時、クインテを恨む人間が、犯罪組織と結託して仕組んだ犯行と公表された。

 この突然の悲劇と困難に――クインテは、敢然と立ち向かった。

 娘を喪った悲しみを乗り越え、涙を力に変え、彼女は先頭に立って犯罪組織と対決した。

 秀でていたのは容姿だけでない。その実力も、胆力も、女神と呼ぶに相応しいものだったのだ。

 

 結果、アラードラは平穏を取り戻した。


 住人は彼女を称賛し、「さぞ辛い思いをしただろう」と同情して――そして、「なんて強い女性だ」と驚いた。

 クインテ=レーンスハイルは、身体も心も、強い。そう周囲から見られている。


 だが、実際は違った。

 彼女は今でも、娘の遺影いえい肌身離はだみはなさず持ち歩いている。

 そして自室で一人になると、遺影を胸に抱き、密かに嗚咽おえつらすのだ。

 他人に悟られないようにしているだけで、クインテはまだ、絶望のすぐ隣に立っていた。


 彼女の心には、大きな影がふたつ、まとわりついたままであった。



 ――学舎の一画に設けられた、クインテの部屋。

 コウタは彼女に食事を届けに来た。

 かねて学園長に言い含められていた通り、気配を殺して部屋に入る。

 相対したクインテの頬には、まだ涙の跡が残っていた。学園に足を踏み入れた懐かしさが、過去の辛い記憶まで引きずり出してしまったのだろう。


 ノックもせず入ってきたコウタを、クインテは叱責しなかった。むしろ、こうなることをあらかじめ知っていたかのように言った。

「あーあ。見られちゃったねえ。ま、しょうがないか」

 パーティの姿からは想像できないほど、砕けた態度である。

「キミがコウタ=トランティアかい? グレジャンが『面白い子』だと言ってたが、本当だな。この私が、なんて」


 途端、強烈なプレッシャーがクインテから放たれた。

 並の人間ならそれだけで卒倒そっとうしてしまうような、圧。

 固定された家具が、はめ込みの窓ガラスが、びりびりと細かく震動する。


 だが、コウタは冷や汗一つ流さない。


 飲み物と軽食をせた台車をテーブルの脇に止め、慣れた手つきで配膳はいぜんしていく。

 家具たちの悲鳴は、ゆっくりと収まっていった。


「やれやれ。無遠慮ぶえんりょに殺気を叩き付けた私が馬鹿みたいだな」

「すみません。あなたには、悲しみと寄り添う時間が必要かと思って。できるだけ邪魔をしたくないと」

「生徒が副市長に語る言葉じゃないね。その図々しさ、気に入ったよ。さっきは試すような真似をして、悪かった。おおかた、グレジャンの差し金だろう。まったく、自分の生徒をこんなふうに使うとは。あいつめ」

 クインテは椅子の上で大胆に足を組んだ。

 もう涙の跡を隠そうとはしない。


「キミも座りなよ。そういえば、パーティのときにくっついてたあの娘はどうした。使い魔か何かだろう?」

「サラァサは仲間です。茶化ちゃかすと困るので、置いてきました」

「あんな高レベルのサキュバスを飼い慣らすとはねえ。だから、グレジャンはキミを私に寄越よこした、ということか」

 さらりとサラァサの正体をかんしつつ、カップに手を伸ばすクインテ。

「それほどの人間なら、このクインテ=レーンスハイルの悲哀にも寄り添える――と。まあ、ひねくれ学園長様がいかにもやりそうな、えんな励ましであるな」

 クインテが視線を落とす。

 うれいが、にじんだ。

「だが、寄り添ったところで過去が変わるわけではないのだ。この悲しみは、私がずっと背負っていかねばならない。背負わないといけないのだよ」



 ――それから二人は、他愛たあいのない世間話をした。

 その間、クインテの目が、心が、どこか遠くに向いている様子を、コウタはじっと見つめていた。単に話し相手がいるだけでは埋められないせきりようかんを、彼女から感じ取る。


 やがて、時がくる。


 席を立つコウタを、クインテは「楽しい時間だったよ」と表向きにこやかに送り出す。

 ありがとうございます、とこたえてから、コウタは台車の二段目に保管していた菓子の皿を取り出した。

 様々な動物をかたどったクッキーの山を、テーブルに置く。

 首をかしげるクインテ。


 コウタは、さっきまで自分が座っていた椅子に手をかざした。

 優しい魔力が、あふれる。

 みどりの輝きが椅子の上に集まり、人の姿を取って――あどけない顔の少女になる。


『ママ……』

「ラフィア……? ラフィアなのか!?」

『ずっといっしょだったけど、ようやくお話、できたね。ママ』

 半透明の少女が――魔物に襲われて命を落とした娘ラフィアが、涙を流して母に手を伸ばす。

 クインテはその手を取り、両手でさすり、己の頬に当て、次いで右手で――かつて毎朝そうしたように――愛娘の柔らかい髪を撫でた。

 女神と呼ばれた実力者であるクインテだからこそ、目の前の輝きの正体を――と、悟った。

 女傑の顔が、母に変わる。

 母娘は、抱き合った。

 そして、これまでずっと言いたかった言葉を、クインテは捧げた。


「あなたを守れなくて、ごめんね。ずっと愛してるよ」

『私も。ママ、ずっと……ずっとだいすき』

「ラフィア……!」


 クインテにとってそれは――ゆるししであった。

 乾いたばかりの頬に、新しい涙の筋ができた。何本も、何本も。


 母娘の束の間の再会に、自分は不要。コウタは静かに部屋を出ようとした。

「コウタ=トランティア……」

 呼ばれて、振り返る。

 副市長の、喜びと、感謝と、困惑が入り交じった顔があった。

「なんと礼を言ったらよいかわからない。だが、まさか本当に、亡くなった子の霊と話ができるなんて……。そんな術者がこの世にいるなんて。キミは、いったい何者なんだ……?」

 コウタは微笑み、テーブルを示した。

「そのクッキー、仲間が作ってくれたんです。自信作だそうですよ。では、ごゆっくり」


 

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