10.アトロ=スクルータを助ける(2)
――その日。ごく普通のダンジョン課題中に、生徒たちが予想していなかったトラブルが発生した。
本来あるはずのない魔法トラップ――効果範囲内の装備品の効果を著しく弱体化させる魔法と、強力な風圧弾の魔法が発動したのだ。
悲鳴と驚きの声を上げる生徒たちを、イスナのクラスの副担任として同行していたディスは、内心の冷や汗をぬぐいながら見つめる。
(仕掛けていたトラップの多くが何者かによって解除されていたのは想定外だったが、最後に神は味方したようだ。さあ行け!)
トラップの向かう先は、四ツ星の生徒イスナと憎きアトロ。
アトロはイスナを庇って、その直撃を受ける。
衝撃で兜が弾け飛ぶ。
(よし――なにッ!?)
小さくガッツポーズを取ったディスは、直後、驚きに目を見開いた。
――イスナがアトロに駆け寄る。
「せ、先生……ッ!」
「……ルヴィニ君。平気か?」
そう気遣ったのは、厳つい壮年男性ではなかった。
イスナよりも一回り幼い、可憐な少女。
銀色に輝くショートヘアと、鋭く尖った両耳、そして血のように赤く染まった瞳が強烈な印象を与えた。
「アトロ……先生。まさか先生は……魔人、なのですか?」
イスナのつぶやきに、周りの生徒たちはにわかに身体を強ばらせた。
魔人――人間と魔物のハーフ。その身体的特徴は尖った耳と赤い目。
彼らの放つ魔力は、人間に悪影響を与えるという。
――重苦しい空気の中。
ひとりディスは、湧き上がる暗い歓喜に打ち震えていた。
(そうか……なるほどぉ……くくく。まさかあんな小娘だったとは……。いや、それどころではない。まさかの魔物とのハーフ、忌むべき魔人だったとは。あの鎧、中から魔法で動かしていたのだな。まったく、すっかり騙された)
咳払いをひとつ。
動揺する生徒たちを鎮めるようにわざとらしく手を叩き、皆の注目を集めた。
表向き神妙な顔をして、ディスは言った。
「これは、他の先生方の耳にいれなければなりませんな。魔人――魔物と人間のハーフが学園の、それも教師だとは前代未聞です。いえいえ、決して見た目で差別しているわけではありませんぞ。しかし魔人の放つ魔力は人を狂わせると聞きますからな。これは最悪、学園を去ることも考えて頂かなければ。私としては、先生のような優秀な教師が辞めてしまうのは大変に心苦しいのですが……くっくく」
愉快すぎて、真面目な態度が
アトロは沈痛の面持ちで訴えた。
「私は……教師を辞めたくない。ディス先生。どうかこのことは内密に。鎧はすぐに修復します。生徒たちに被害がないようにしますから……お願い、します」
彼女本来の、やや幼さの混じった声。
あのアトロが自分に
「そういうわけにはいきませんなあ。ほら、生徒も見ていますし。なかったことにはできませんぞ」
「私は……教師が好き。生徒が好き。だから」
「くどいですなあ。話は職員室に戻ってからにしましょう」
勝った――とディスは確信した。
だから敢えて、アトロを引っ立てる真似をしなかった。
観念して自らの意志で出頭すればよし。
このままどこかに惨めに逃げ去っても、それもまたよし。
どちらに転んでも、ディスの心は満たされるのだ。
(私は、勝ったッ――!)
――しばらくして。
ダンジョンの入口には、アトロとイスナだけが残った。
「先生……」
「ルヴィニ君。君はもう行きなさい。これ以上私の近くにいてはいけない」
「え……?」
「私は魔人。学園長が作って下さったこの鎧がなければ、いつ魔力を暴走させてしまうかわからない。ディス先生のおっしゃる通り、ここは私が自ら辞めるべきだ」
アトロは可憐な顔を哀しく緩ませた。
「これからも頑張りなさい。それから……こんな私のために残ってくれて、ありがとう」
「そんな、先生……」
「待って下さい、アトロ先生」
その声に、二人は振り返る。
木陰に、コウタが立っていた。
ぱぁっと顔に花を咲かせるイスナとは対照的に、アトロは眉をひそめた。
「君は確か……コウタ=トランティア君だね。なぜここにいる? 今すぐ授業に戻りなさい」
アトロは教師として叱責する。だがコウタはまったく動じず、「大人しく補習を受けます」とだけ答える。
「落第するぞ」
「それもいいですね」
「おい。だから、来るな。トランティア君」
鎧先生の制止を振り切り、コウタはアトロの傍らにひざまずく。
コウタの手が魔力で輝いた。
それに反応し、無骨な全身鎧が発光を始める。
十秒と経たないうちに、鎧は光の粒子となって散った。
「な――んてことをっ! くっ……!」
自らの魔力の暴走を抑え込むように、胸に手を当てるアトロ。
鎧から解き放たれた彼女の身体は、本当に小さく、
イスナが
「短時間なら、私でもこれくらいのことができますから。大丈夫ですよ先生。コウタさんに任せましょう」
「……ルヴィニ君。これから、何が始まる?」
イスナがコウタを指差す。
彼の元で、光の粒子となった鎧が編み物のように複雑に絡まり合った。
「まさか……あの状態から再構成しようというのか? 無茶だ。そんなこと、名のある賢者でも――」
アトロの小さな口があんぐりと開く。
無骨な全身甲冑が、新たな鎧に生まれ変わったのだ。
それは虹色の軌跡を残しながらアトロの元まで飛んでいく。彼女の
胸当て。
身体の要所を覆いつつ、身体の動きは一切
アトロの髪色と同じ銀色の
可憐な少女の顔を陽の下のさらけだしたまま、かつての鎧先生は呆然と口にした。
「トランティア君。君は、一体……」
コウタは力強く応えた。
「アトロ先生。辞めないで下さい。あなたは、教師を続けるべき人です」
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