8.イスナの努力は無駄にしない

 最近、イスナは思う。

 助けてもらって以来、コウタにろくなお返しができていない。

 なにか、お礼ができないだろうか――と。

 

 イスナはコウタの行動を思い返した。

 彼は、どちらかというと一人で過ごす方が好きなタイプだ。

 のんびりと日向ぼっこや昼寝をする姿をときどき見かける。

 かく言う自分も、あまり活動的ではない。

 ならば、どうしよう。コウタのために、なにが自分にできるだろう。


「そうだ。お弁当を作って持っていくのはどうでしょう」

 弁当なら、好きなタイミング、好きな場所で食べてもらえる。

 いい考えだと思った。

 自室で調理するのもいいが、どうせなら道具や材料も良い物を揃えたい。

 イスナは、以前世話になった学園食堂の厨房長に相談することにした。

 自分でもびっくりするほど行動的になっていた。

 

 厨房長は、あっさりとOKをくれた。

 ただ――。

「その代わり、イスナちゃんに頼みたいことがあるんだけど」

「はい。私にできることなら、何でも」


 

 ――学園は巨大なので、食堂も複数ある。

 イスナが手伝いに入ったのは、水辺のお洒落な建物だった。


 厨房で、エプロン姿に着替える。

 防汚に防臭、加えて耐熱と耐刃の効果が付与されたエプロンは、厨房の戦闘服だ。

 しかもイスナのそれは、わざわざ食堂側が用意した特注品であった。


 身が引き締まるような純白の生地に、控え目だが品の良いレースの刺繍。特に胸元は精緻を極めていて、平均を遙かに超えたイスナの胸囲によって、迫力のある一枚の絵画になっている。


 戦闘服エプロンに身を包んだイスナに付けられたあだ名が――『風見堂かざみどう白女神しろめがみ』。



 ――イスナの集客効果は絶大だった。


 学園のアイドルが厨房に立っていると伝わると、またたく間に長蛇の列ができた。


 単なる手伝いにもかかわらず主戦力とされたイスナは、しかし不平不満を一切言わず、一生懸命働いた。

 

 彼女の人気の秘密は、その立ち居振る舞いにあった。

 材料を切る。焼く。盛り付ける。そんな動作のひとつひとつがしなやかで柔らかい。背筋が伸びているので、ただ立っているだけもさまになる。

 なにより、全身からにじみ出る慈母神じぼしんのようなオーラ。


 カウンターに並ぶ生徒たちは、その様子に見惚みほれた。男子生徒だけでなく、女子生徒の姿も多かった。

 彼女が作っただけでもレア度が高いというのに、料理も美味とくれば、人気が出るのも当然であった。

 風見堂の白女神は伊達だてではない。


 唯一の欠点は、イスナが意外と頑固でしょうのため、作れる皿の量に限りがあることだ。

 それでも、イスナが手ずから作ったスペシャルメニューを求める学生はあとを絶たなかった。昼休憩の時間を考えているのかと心配になるほどであった。

 


 ――あ、とイスナはつぶやく。

 一瞬だけ手を止め、客席の方を見た。


 隅っこの席に、コウタの姿があった。隣にはエナもいて、小さく手を振ってくる。

 なぜか制服姿のサラァサまでいた。

 イスナと目が合うと、彼女はいつものつやのある笑みで、コウタのあごを指先ででた。


 少しだけ、むか、となった。


 イスナはいっそう調理に没頭した。

 コウタの前でみっともない姿を見せるわけにはいかない――強く、そう思った。



 ――夜。

 厨房と食材を自由に使って良いと言われ、イスナは弁当を作った。

 夜食にどうだろうと思ったのだ。

 気に入ってもらえたら、お昼も作ろう。


 寮への道を歩いていると、暗闇の中でうずくまっている男を見つけた。

「大変」

 放っておけず、イスナは声をかけた。


 だが、それは人間ではなかった。

 黒い影が人の形をとった、魔物だったのだ。

 しかも、かつてイスナをストーキングしていた男の姿に、それはよく似ていた。

 男の情念と魔力が生み出した亡霊だ。


 魔物はイスナの名を呼びながら飛びかかってくる。

 とっさに聖杖ヴァーリヤで応戦し、魔物を打ち破るが、その拍子に持っていた弁当が宙を舞った。

 

 放物線を描き、落下していく先は、夜の闇に染まった川。

 手は、届かない。


 ああ、どうして私はいつもこうなのだろう。

 肝心なところで、失敗してしまう。

「これでは、コウタさんの隣に並ぶなんて……」

 諦めとともに、目を閉じる。


 しかし、いつまで経っても水音は聞こえない。


 ふわり――鼻腔をくすぐった食べ物の匂いに、イスナは目を開けた。

 驚きのあまり、固まった。


「大丈夫?」


 月と星を背景に、コウタが宙に浮かんでいた。

 その手には、イスナの作った弁当。

 尻餅をついたまま、ぱくぱくと言葉が継げないイスナ。

 コウタは頬をかいた。

 そして少し気恥ずかしそうに、もらってもいいかな、とたずねた。


 固まっていたイスナの表情が、まるで雪の下から現れた花のようにやわらいだ。

 えくぼを作り、タレ目がちな両目を細め――文句の付けようがない『満面の笑み』で、「はい!」とうなずいた。



 ――草地にぽつんと立っている樹の下で、二人並んで座った。

 戦闘に巻き込まれたせいか、弁当の中身は大変なことになっていた。

 半泣きで慌てるイスナを横目に、コウタはひとくち、ひとくち噛みしめて食べた。


 きれいに、食べきった。


「ごちそうさまでした。美味しかったよ」

「おそまつ、さまでした」

「それから。ありがとう。頑張って作ってくれたことが、嬉しい」

 イスナは、感激でうまく言葉が返せなかった。


 この人は、ちゃんと見てくれている。

 頑張ってよかったと、イスナは心から思った。

 

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