7.エナの努力を支える


 相応の実力――。

 たとえば、エナが最も得意とする剣術ならば、どうか。

 胸を張って、コウタの隣に立つことができるか。私は隣に立てるんだと、はっきりと言えるか。


 自信はなかった。

 

 たとえ学園最高ランクの『五ツ星』だともてはやされていても、コウタを前にすれば何の意味もないように思える。

 彼はそれほどまでに強いはず。

 サラァサをしんすいさせ、従えているのがその証拠。

 あのサキュバスが只者ではないことは、彼女からにじみ出る魔力の強さでわかる。


 だから。


 エナは、もっと自分を鍛えると決めた。

 基礎的な身体作りから見直し、反復練習も嫌な顔ひとつせず取り組んだ。

 実戦形式の稽古は、特に力を入れた。


 もっと速く。

 もっと強く。


 

 ――学生寮から少し離れた、人気ひとけのない草地。

 魔法で強化した木組みの人形を前に、エナは打ち込み稽古をしていた。

 荒い息を繰り返す。額に浮かんだ玉の汗が前髪をきゆうちやくし、強く甘い匂いを放つ。

あつ……」

 人の目がないことを幸いに、シャツの胸元を大胆に開く。彼女はをつけない主義だった。

 手の甲で顎先あごさきをぬぐう。


「いつか……コウタに必要とされたときに、隣にいられるだけの力を身につけておかないと」

 気合いの声とともに、聖剣エッシェルリングが打ち込み人形を断つ。

「頑張るんだ。私」



 ――エナが努力を重ねていた、ある日。

 彼女は学園外のとあるダンジョンに潜っていた。現地で集めたパーティと一緒だ。

『星付き』の優秀な生徒は、ときにこうした指示を学園から受けるのだ。


 だが、エナはそこで不慮の事態に遭遇した。

 突然、ダンジョンの一部が崩落したのだ。


 てつ退たい余儀よぎなくされた一行だったが、皆を逃がすため最後尾で奮闘していたエナはひとり、はぐれてしまった。

 取り残された場所は、ダンジョン内の地底湖。崩落によって新しく現れたエリアである。


 しかも悪いことに、そこは珍しい種のゴブリンが巣くうところであった。

 ライトブルーの美しい湖面から、大量の敵が現れてエナを襲う。

 エナはかんに迎え撃った。

 

 彼女の頭にある考えはひとつ。

「コウタなら、きっと退かない。なら私も、退かない」

 そのために頑張ってきたのだ。

 彼女の神経は研ぎ澄まされ、ゴブリンを一体ほふるごとに、剣筋は冴え渡っていった。


 だがいかんせん、相手の数が多すぎた。

 囲まれるエナ。

 棍棒を振りかぶった一体に、背後を取られる。

 唇を噛みしめるエナ。

 

 そこへ、一陣の風が吹き抜けた。


「エナ!」

「……コウタ!」

 ゴブリンを斬り捨て、コウタがエナの背後に立つ。隣にはサラァサもいた。

 二人で背中合わせになる。


 どうしてここに、とたずねると、いつものように曖昧な笑みを浮かべ「エッシェルリングが教えてくれた」とコウタは言った。

 エナは微笑んだ。


「まったく。本当にあなたは、何者なのよ。こっちはどこまで努力すればいいんだか、わかったもんじゃないわね」


 サラァサがエナの顔をのぞきこんだ。

「エナ。アンタはよくったわ。さあ人間の戦士。下がってなさい。私の力を見せてあげる」

「サラァサ」

 エナはサキュバスの目をじっと見返した。

「ごめん。ここは私にやらせて。お願い」

「ちょっと。なに言ってるのよ」

 サラァサが呆れる。

 そこへコウタが助け船を出した。サラァサに一言、二言、声をかける。


「……はあ。了解。マスターのおおせのままにいたします」

 じろり、とエナをにらんでから、サラァサは二人から距離を取った。


 コウタが剣を構える。

「手伝うよ。頑張ってるの、見てきたから」

「見てたの!?」

「うん。凄いと思った。今も。だから、手伝わせて」

 エナは目を見開いた。

 

 もう、仕方ないなあ……、と口の中で言葉を転がす。下手に声に出すと、嬉しさがだだ漏れになってしまうと思った。


 地底湖のほとり。くるぶしほどのごく浅い水辺に二人は立つ。

 ライトブルーに染まる水面にさざなみが起こる。

 十体の地底湖ゴブリンが、エナとコウタの――攻撃が届く範囲に近づいてくる。

 

 この汚らしい魔物たちは、無表情であった。全身から異臭と膿を垂れ流し、その歩みはいっそ鈍重とも言えるのに、灰色に濁った瞳には、下級魔物が持つような下卑た欲望や興奮が一切ない。

 エナは思った。

 本能を剥き出しにした相手は恐ろしいが、それをまったく感じない相手もまた、恐ろしいのだと。


 不気味なほどゆっくりと近づいてくる敵。

 地底湖の美しい水面を、ざぶん、ざぶんと踏み抜いて、奴らが、来る。

 

 エナは、背中に感じる人肌の温かさから、大きな勇気を得た。


 互いに声かけはなかった。

 と、直感した。


 あと――五歩。


 地底湖の空気が、ふいに、

 二振ふたふりの剣先が走り、くうを裂いたのだ。

 衝撃で大きな水柱が上がり、一拍遅れて、轟音が鳴った。


 エナとコウタ。背中合わせに、完璧な息の合わせ方で、三百六十度の回転斬り――。


 ゴブリンたちの身体に一筋、二筋、三筋と切れ目が入る。胴体から分離した直後に細切れになる。


 エナとコウタの剣がぴたりと止まるのと。

 ゴブリンの残骸が光となって消えるのと。

 同時であった。


 聖剣エッシェルリングを鞘に収め、エナは大きく息を吐いた。

 視界の端に、コウタの拳が入る。


「お疲れ。さすが」

 グータッチの合図。

 エナは吸い寄せられるように右手を掲げ、拳頭けんとうを当てた。

 固く鍛えられたコウタの手と合わせた瞬間、エナの胸の奥に、これまでに感じたことのない充実感が湧いてきた。


「ふふっ」

 照れくさくなって、笑う。

 コウタが首を傾げていた。


 サラァサの表情に気付く。

 目つきはいつも通りだったが、わずかに頬を膨らませ、口を曲げている。


「……ふふん」

「あ。エナ、アンタ。今、勝ち誇ったでしょ!」

「そんなことないわよー」

「その言い方が気に入らない!」

 エナは声に出して笑った。



 ――その後。

 ひとつ、胸のつかえが下りたように。

 エナは何かにつけてコウタと一緒に行動するようになった。



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