6.サラァサとエナ


 サラァサは、どんなときでもコウタに付いてきた。

 授業中。

 食事中。

 果ては入浴中や就寝中にも。

 彼女は魔法で姿を消せるので、騒ぎになることはなかった。魔力が完全に回復していなくても、そのぐらいの芸当は軽くこなしてしまうほど、サラァサは高位のサキュバスであった。


 コウタは苦笑いを浮かべながらも、邪険じゃけんにはしなかった。

 それが嬉しかったのか、サラァサはずっとニコニコと幸せそうにしている。

 ただ、入浴中にタオル一枚で乱入しても、ベッドに全裸で同衾どうきんしても、主がまったく動じないのが彼女は不満であった。



 ――この日も主の寝床にうすぎぬ一枚で潜り込んでいた。

「マスターって鋼の精神力をしてるわよね。ひょっとして、どこかに想い人でもいるのかしら?」

 豊満な肢体したいからめながら妖艶ようえんにささやくサラァサに、コウタは遠い目をした。


「どこかに……そう、遠く……だね。本当に遠い」


 主の声音に孤独を感じ取るサラァサ。絶対の忠誠を誓う下僕は、悪ふざけをやめ、身を整え、コウタの手を握る。

「ごめんなさい。マスター。愚問ぐもんでしたわ」

「いや、いい。それより君も休め。まだ魔力が完全には回復しきっていないだろう」

「はい。マスター」

「それから。手、ありがとう」

「……はい。マスター」

 そう答えながら、サラァサは一晩中、ベッドの横でコウタの手を握り続けるのだった。



 ――ある日。

 学園の中庭で、偶然、エナとイスナのふたりと雑談する時間が取れた。

 辺りに生徒の姿はない。


 コウタの隣には、いつものようにサラァサがいた。

 いつもと違うのは、姿を消す魔法を使わず、コウタの左腕にぴったりとくっついていることだった。

 これ見よがし、である。


 エナは感情を抑えていた。隣では、イスナがしょんぼりとした表情をしている。

「で、コウタ。少し見ない間に人が増えてるんだけど……そこにいるのはどちら様かな?」

 エナの問いに、サラァサはくすくすと笑った。

「あらぁ。気になる?」

「気に……って、別に」

「私の名はサラァサ。至高の存在たるコウタ=トランティアの、忠実な下僕よ。よろしくね、人間の戦士さん」

「いつの間に使い魔なんて……」

「失礼ね。私をあんな下等な魔物と一緒にして欲しくないわ」

 サラァサの瞳があやしく光る。

「その気になれば、私は一国だって滅ぼしてみせるわよ。ましてや、マスターに群がる悪い虫を消すなんて赤子の手をひねるような――」

 やめろ、と強い口調でコウタに叱られ、サラァサは黙り込んだ。コウタから離れ、膝を抱えて座り込む。


 飲み物を取ってくるから、その間ちゃんと仲良くするように――とコウタは言ってその場を離れた。


 いきなりびっくりするほど大人しくなったサキュバスに、エナもイスナも毒気どくけを抜かれた。

「……あなた、本当にコウタの言うことは絶対なのね」

 サラァサは唇を尖らせて答える。

「そうよ。マスターに嫌われたら死ぬしかないじゃない。アンタだってそうでしょ?」

「いや、死にはしないけど……」

「嫌われたくはない。でしょ?」

 エナとイスナは顔を見合わせる。


 サラァサはなげいた。

「ああっ。マスターと離ればなれの時間なんて、私には拷問にも等しいわ。湯浴ゆあみもベッドも同じなのに」

「ちょ……!? あなたそんなことしてるの!?」

「羨ましい?」

「羨ましくない! ちっとも! ねえイスナ!?」

「うえぇっ!? わ、私に振らないでください、エナ……」

「想像してご覧なさいな。あの逞しい腕に寄り添う一夜……最高に幸せで、気持ちよくて、満たされるのよ」

「そ、想像なんて……。……そんなに?」

「うふ。興味持った?」

「持ってない! ぜんぜん、持ってない! ねえイスナ!?」

「だから振らないでくださいぃ……」

 真っ赤になって顔を押さえるイスナ。


 サラァサは苦笑した。

「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫よ。マスターはきっと、あなたたちも受け入れてくださるわ」

「う、うう、受け入れ……なんて、そんなっ」

「あのね。アンタたちが考えているようなことはないわよ。だって、サキュバスの私が全力で迫っても、マスターはまったく普段通りなんだから。は何もなし。ただ、そばにいて包み込んでくれるだけ。私としては、になって頂いても構わないし、むしろ望むところなのだけれど、ね」

「……サキュバスって……」

「ふふふ。ま、受け入れてもらう以前に、あの方のそばに居ようと思ったら、相応の実力は身につけないと。それは、アンタたちもよくわかってるでしょ?」

「……」

「ちなみに、嫉妬するのは構わないけど、マスターに八つ当たりするような真似をしたら、私は容赦ようしゃしないからね? マスターに生意気を言うのは、せめて私の攻撃をしのげるようになってからになさいな」



 ――夕方、自室への帰り道。

 エナは空を見上げ、ぽつりとつぶやいた。


「相応の実力、か」



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