1.エナ=アルキオンを助ける


 見知らぬ森を数日、さまよう。

 当てのない旅だったが、苦ではなかった。一万年ぶりの空気に、むしろ生き返る心地だった。



 ――旅を満喫していたある日。

 木陰で休憩していると、四人連れのパーティと出会った。

 彼らは制服の上に軽鎧けいがいを着けている。

 リーダーの少女が「だいじょうぶ?」と声をかけてくれた。


 彼女の名はエナ=アルキオン。


 気の強そうなツリ目に、綺麗なエメラルドグリーンの瞳が収まっている。

 髪型はポニーテールで、色は見事な金髪だ。彼女が少し小首を傾げるだけで、さらさらと毛先が流れていく。

 鎧や制服の汚れを見ると、そこそこ長い時間森を歩いていたはず。なのに、彼女の肌は日焼けひとつない。うっすらと汗が浮いて、健康的なハリ、ツヤがあった。


 腰にさげた剣に目が行く。

 柄頭つかがしらに付いた宝玉が、虹色に明滅している。強い魔力が感じられた。


 コウタが剣のことを褒めると、エナはツリ目をぱちくりとさせた。

 それから嬉しそうに頬を染め、細い指先で髪をかき上げ、ふふん、と笑う。自慢の一振りなのだろう。



 ――夜になった。

 コウタは、エナたちのパーティと一緒に野営することになった。

 仲間のひとりが、コウタが持っていた転移結晶に興味を持ち、売ってくれと言ったのだ。コウタは快く、ほとんどタダ同然で彼に譲った。その代わりに、野営に誘われたのである。

 

 エナたちは、メガロア高等魔法学園の生徒だという。

 その中でも『星付き』という指折りの精鋭メンバーとして、魔物の討伐に向かっている途中らしい。


 焚き火を囲んで楽しそうに話すエナたちを、コウタは少し離れたところで眺めていた。

 ああいうのって、いいよな。

 久しぶりの――一万年ぶりに見る人の温かさに、穏やかに微笑む。


 エナがやってきた。

「コウタも一緒に食べない? それとも、騒がしいのは苦手? 私たちのパーティ、賑やかな連中が多いから」

 コウタは笑みを浮かべたまま首を横に振った。

「こうして見ているだけでも楽しいよ。だから大丈夫」

「ヘンなやつね。あなた」

 エナは腰に手を当て、それからおもむろにコウタの隣に腰掛けた。

「それじゃあ、私の話し相手になってもらおうかな」

 にっこりと笑いかける。面倒見が良い子なんだなとコウタは思った。


 それからしばらく二人で雑談した。

 最初は当たりさわりのない話題だったが、次第にエナは、自分の役目について話してくれるようになった。

 メガロアで数人しかいない『五ツ星ファイブスター』の誇り。

 宝玉の剣――聖剣エッシェルリングの持ち主として、パーティの先頭に立たなければならないというプレッシャー。

 学生の身で魔物と戦う不安。


「……あはは。コウタがずっと聞き役になってくれたから、ちょっと話し過ぎちゃった。ごめん。さっきの愚痴は忘れてね」


 そこには。

 月夜の下で、長いまつげを伏せながら、人知れず重圧に耐える少女の姿があった。

 

 翌日。コウタはエナたちと別れた。



 ――ところが、再会のときは数時間後に訪れた。

 エナのパーティが全滅寸前まで追い詰められていたのだ。

 

 四人いたメンバーの中で、立っているのはエナひとり。

 敵は二足歩行する大熊型の魔物、一匹。しかし、未知の変異種だった。

 エナの左手には、コウタから譲り受けた転移結晶。

 右手には聖剣エッシェルリング――だったもの。


 度重なる猛攻に耐えきれず、刃のなかばから折れてしまったのだ。


 コウタは目撃した。

 恐怖と情けなさで浮かぶ涙を、目尻で必死にこらえているエナを。


 エナがコウタに気付く。

「……っ!? どうしてあなたがここに!? いけない、すぐに逃げて。逃げるのよ。あなたがかなう相手じゃないから……!」


 コウタはエナの隣に立った。

 そして彼女の手からやんわりと転移結晶を取り、魔力を流す。拡張された効果で、倒れ伏した仲間三人を一瞬にして安全な場所まで転移させた。


 エナは小さく口を開けたまま、今起きたことを呆然と眺めていた。


 変異種が、大地を蹴った。

 エナは反応が遅れた。せめて一般人のコウタは守ろうと、折れた聖剣を構える。


 まるでそよ風のように何気なく、コウタが前に出る。


 変異種が鋭い鉤爪を振りかぶる。獣の怒声。咆哮ほうこう。鼻が曲がりそうな口臭。それらに被せるように、敵は一撃を振り下ろす。


 コウタの手が変異種の腕を叩く。

 

 変異種の動きが止まる。

 鉤爪かぎつめが、空間にい止められたようにがっちりとロックされていた。

 コウタの捕縛魔法によって全身を支配され、身動きどころか息もできずに変異種はブルブルと震え、苦しむ。

 血走った深紅の眼球が、『貴様は何者だ』と訴えていた。


 コウタが、エナの右手をそっと包んだ。ぴくりと彼女は反応する。

 折れた聖剣を、彼は目を細めて見た。


「我は許そう」

 朗々と、詠唱を開始する。

「聖地に集う清き水面に」

 エッシェルリングの宝玉が白い輝きに包まれる。

「万物を称え飛沫へと変える祭壇となることを」

 輝きは聖剣の刀身に広がり――。

「そして喜ぼう」

 折れてなくなってしまった部分も包み込み――。

「穢れた肉体が今ここで浄化されることを」


 聖剣エッシェルリングは、完全なる姿を取り戻した。


 溢れ出る聖なる魔力を前に、変異種が明らかに怯える。しかし逃げられない。

 エナは、エメラルドグリーンの瞳をまん丸にして、コウタを見つめた。


「あなた……いったい……」


 コウタは聖剣を託すと数歩下がって、笑った。

「エナならできるよ。頑張って」

 曇りのない目で見つめられ、エナは赤面した。同時に、不思議な感覚に包まれた。

 根拠はない。けれど、この人が言うのならできると、そう思える。

 敵に向き直る。不安、恐れ――綺麗に拭い取られていた。


「コウタ、ありがとう。やるわ。私」

 

 剣士の誇りを胸に、聖剣を振りかぶる。

 れつぱくの気合いとともに、一撃を放った。



 ――変異種が消滅した後。

 振り返ったエナの視界に、コウタの姿はなかった。


 地面には、彼女のために残した転移結晶がひとつ、美しく輝いていた。

 


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