十九 …… 十月七日、早朝
◆十九 …… 十月七日、早朝
セリーヌが目を覚まして、立ち上がった瞬間。唐突に、それはやってきた。
いつもそうだった。魔女の異能は、セリーヌの意志など歯牙にもかけはしない。そして――嘲笑うように、絶対に避けられぬ運命を見せ付ける。
時間が止まり、世界が暗転した。視界がくすみ、セピア色に染まる。
セリーヌはこの小屋の一年後……未来の姿を、垣間見る。
小屋の中は、現在と大差なかった。目に付いた違いと言えば、棚を埋め尽くす勢いで並んでいる、沢山の彫刻くらいだろうか。それから、家具の配置も若干動いていたかもしれない。
主体を失ったセリーヌの意識は、部屋の中央、二人の人影に向く。
(ダニエルさんと、私がいる……向かい合って、真剣な顔をして、何かを話している……)
話し込んでいた二人は、急に扉へと向き直った。そして、幽霊でも見たような表情をして、顔を見合わせる。
ダニエルが棚から一枚の紙を取り、壁に掛けてあった斧を担ぐ。二人はそのまま、早足で廊下に出て、セリーヌの視界から消えた。
(……裏口に、向かった?)
二人の行動の意味は、すぐにわかった。玄関扉が破られて、木片が床に散る。重々しい甲冑を身に纏った騎士たちが、小屋に踏み込んでくる。
騎士の一人が剣を振り上げ、裏口を示した。騎士たちは一斉に、二人を追って裏口へと殺到する。
絶望の余韻を残して、セピア色の世界は終わった。セリーヌは数分間、放心状態だった。
(ここに来てまで、未来を視る羽目になるなんて……この小屋が、騎士団に見付かるなんて……)
この小屋では、声が出せないからと言って、誰もセリーヌを魔女と呼んだりしなかった。ダニエルはセリーヌの味方となり、色々と気を遣い、世話を焼いてくれた。
だから、この小屋にいる間だけは、自分は魔女ではなく、セリーヌでいられるのではないかと、淡い期待を抱いていた。だが、それも結局は、根拠のない気休め、思い込みだったらしい。
どこへ逃げても、変わりはしない。魔女の異能は消えない呪いの如く、一生涯付き纏う。
(……未来を、変えよう)
セリーヌは、決意を固めた。
(不幸中の幸いか、未来を変える鍵は、私の手中にある)
首から提げたオカリナを、握り締める。
(何故なら、私が視た未来の中には、一年後の私自身がいたから。私が、この小屋から消えてしまえば……騎士団が小屋に踏み込んでくる最悪の未来は、打ち破れる)
セリーヌは全てを捨てて、魔女の異能に、不可避の運命に、二度目の抵抗を試みようとしていた。
(私のせいで人に迷惑をかけるのは、もう嫌だから。私のせいで人が死ぬのは、もう嫌だから……これがきっと、最良の選択。だよね……ダニエルさん)
椅子で眠り込むダニエルを、名残を惜しむようにじっと見つめてから、テーブルの上に置かれた用紙に目を向ける。
纏め買いしたと言う用紙は、たったの数日で、半分に減っていた。申し訳ないと思う反面、嬉しくもある。減った用紙の枚数はそのまま、セリーヌとダニエルが交わした、会話の数でもあるのだから。
(ダニエルさんに、最後のメッセージを残して、それから……小屋を出よう)
セリーヌは用紙を広げ、ペンを手に取る。
(えっと……今まで、ありがとう、ございました……)
これで最後だと思うと、用紙は涙で滲み、文字を書く指先は震える。言いたいことは一杯あるのに、上手く言葉を綴れない。畢竟、思いとは裏腹な、淡白で味気のない文面に終始してしまう。
『今まで ありがとうございました 短い間でしたが とても 楽しかったです どうか お元気で』
梟に用紙を持たせて、机の上に置く。
セリーヌは廊下に出て、風呂場の横に吊るしてあった、魔女の証――黒いローブを羽織る。これを小屋に残したままにしたら、後々問題になりかねない。あのような、不吉な未来を視てしまった以上、不安の芽は摘んでおかなくてはならなかった。
裏口の前まで歩いて、セリーヌは立ち止まる。セリーヌの内面に潜む魔女が、そっと囁く。
貴女が見た未来は、一年後の未来。まだ、丸々一年も猶予が残っている。何も、今日、お世話になったダニエルさんに直接の挨拶もしないまま、出て行く必要はないんじゃないの……?
(……駄目。それじゃあ、駄目)
セリーヌは、魔女の甘言を撥ね付ける。
魔女の狙いはわかっていた。問題を先延ばしにして、セリーヌの決意を鈍らせる腹積りだろう。
たった一週間で、これだけ辛く、苦しいのだから。数ヶ月もの長い時間をここで過ごしたなら、セリーヌは間違いなく、離れられなくなる。そして、最悪の未来が、現実のものになってしまう。
こうしている今だって、心のどこかで期待している。物音に気付いたダニエルが目を覚まして、用紙を読んで……裏口で扉に手をかけ、逡巡しているセリーヌを引き止めてくれるのではないかと思っている。
(ねえ、私……私はいつまで、ここに立っているつもりなの? もしかして、ダニエルさんが起きてくるまで……? 書置きだけ残しておいて、出て行く勇気なんて本当はなくって、悩んでいる可哀想な自分に酔って、慰めてくれるのを待っているの? そんな、悲劇のヒロイン気取り、最低だよ……!)
セリーヌは、甘えを断ち切るべく、自分で自分の腕を掴んで、爪を立てた。鋭い痛みが、セリーヌの覚悟を後押しする。一歩を踏み出す、勇気を与える。
(行こう)
セリーヌは、扉を開いた。目の前には、先の見えない、深い森。吹き込んできた外からの風は、いつもより冷たく感じた。
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