十七 …… 十月六日、夜
◆十七 …… 十月六日、夜
彫刻の練習を終えた後。セリーヌは、すっかりお気に入りとなった梟の彫刻に用紙を持たせた。
『この子に 名前を付けようかなあ なんて思うんです 何か 親しみ易い名前を』
その用紙を見るなり、ダニエルは雷にでも打たれたように、椅子から立ち上がった。
「名前……そうだ、名前だ!」
そう、一人呟く。
「俺は、まだ、名前を聞いていない」
と、ダニエルはセリーヌに向き直る。そこで、遅ればせながらセリーヌも気付いた。
(そう言えば……私、自分の名前、名乗ってなかった)
いくら用紙を通しての会話しかできなかったとはいえ、一週間近くも名乗るのを忘れるなんて、どうかしている。
「……料理の名前を聞いておいて、本人の名前を、今の今まで聞いていなかったとは」
ダニエルも同じ気持ちだったらしく、呆れたように首を振った。
しかし、ダニエルのこれまでの生活を思えば、無理もないことかもしれない。
個人の名前なんて、ダニエルにとっては大して意味のないものだった。会う人物は全て通りすがりで、それ以上でも以下でもなかった。店主は店主。少女は少女。長い間、それで何の不自由もなかった。
……唯一の例外として、職業上の理由からか、情報屋、と呼ばれるのを極端に嫌った情報屋の名前だけは、渋々ながら記憶したのだが。
セリーヌは、用紙に文字を書いた。自分の名前を書くのなんて、何年振りだろう、と思った。
『セリーヌ』
「そうか、セリーヌと言うのか……良い名前だ」
ダニエルは噛み締めるように、もう一度、その名前を口にする。面と向かって名前を呼ばれるのは、微妙に恥ずかしいものがある。でも、悪い気はしない。
心の内側に、小さな火が灯る。魔女と言う名の闇が年を追う毎に侵食、アイデンティティーが希薄になりつつある中、その火は光となり、暖かく周囲を照らし出す。そして、自分が何者なのかを、思い出させてくれる。
用紙に、名前を書いて。ダニエルに、名前を呼ばれて。セリーヌは、自分が何故、梟の彫刻に名前を付けようとしていたのか、理解できたような気がした。
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