十三 …… 十月五日、夕刻

◆十三 …… 十月五日、夕刻


 仕事を終えたダニエルが帰宅して、一休みしてから。セリーヌはダニエルに、彫刻を教えてもらえないかと頼んでみた。ダニエルは意外そうな顔をしながらも、快く引き受けてくれた。

 セリーヌは、ダニエルの仕事中、一人小屋で留守番をしなければならず、立場上、気軽に散歩もできない。その孤独と退屈を紛らわす手段として、セリーヌはハンディクラフトを選んだ。元々、手先は器用で、裁縫も得意なので、性に合っている。それに、ダニエルが作るような、美しく温かみのある彫刻作品への憧れもあった。

 毎日、この小屋で一人過ごしていたダニエル。ダニエルもまた、同じような動機で、梟の彫刻を作ったのだろうか。セリーヌは、勝手な想像を巡らせる。

「そう、そうだ。形ができてきたぞ。彫刻を絵画に喩えるなら、最初は下書き、あたりをつける段階になる。木に描いた線に沿って、完成形を思い浮かべながら削っていく。ある程度は、大雑把に削っていって構わない」

 セリーヌが椅子に座って彫刻刀を握り、ダニエルがその後ろに立つ。背の高いダニエルは、椅子の背凭れ越しからでも、視線が手元にまで届くようだった。

 刃物で木を削る、という作業は思ったより力が要った。まだコツを掴めていないせいもあり、たまに手が滑ったりして、いかにも危なっかしい。

(やっぱり、裁縫とは勝手が違う……)

 試行錯誤しながら、刃を進める。そして、ようやく全体像が見えてきたあたりで、気を抜いてしまった。

 木片を持っていた右手を、彫刻刀が掠めた。人差し指の腹のあたりを切ってしまい、一筋の血が指先を伝う。

「む、血が……確か、包帯が物置にあった。持ってくるから、待ってくれ」

 ダニエルはそれだけ言うと、小走りで包帯を取りに行った。数秒後、がたん、がしゃんと、物を引っくり返すような音。大慌てで物置を探しているダニエルの姿が、目に見えるようだった。

 セリーヌは指先を見る。浮き出た血が一滴、彫刻刀の刃先に落ちた。


 セリーヌは指先を見る。浮き出た血が一滴、床に落ちた。

 その日、セリーヌはセリアと一緒に、薬草を刻み、煎じて、成分を抽出する作業をしていた。だが、途中で誤って、包丁で手を切ってしまった。

 結構深く切ってしまったらしく、雨垂れのように次々と血が滴り、床に無数の赤い花を咲かせた。

 そこへ運悪く、リュシーが作業の進捗状況を見に通りかかった。

 リュシーはセリーヌに早足で歩み寄るなり、平手で頬を張った。

「何をぼけっと突っ立っているの? 早く血を拭きなさい! 薬草にも、仕事道具にも、血が付いているじゃない!」

 セリーヌの反応を待たずして、もう一度平手が飛ぶ。不本意ではあるが、長い付き合いだから、怒りの理由は見当がついている。仕事道具を血で汚されたのが、我慢ならないのだろう。

 そうこうしている間にも、血は流れ続けて床を汚す。それが、益々リュシーを不機嫌にした。

「ほら、また汚れた! 汚れた! 汚れた! 汚れたっ!」

 何度も、何度も。繰り返し平手を打つ。セリーヌはただ、為すがままになっていた。

「やめてください!」

 見かねて、セリアが止めに入った。リュシーを押し退け、セリーヌの前に立つ。これ以上手出しさせない、そういう目で睨む。

「どうして庇うの、こんな娘を! いつも無表情、無感情! おまけに口も聞かない、本当に気味が悪いわ! セリーヌ、あんたは居るだけで、その場に陰鬱な空気をばら撒いているの! それを自覚しなさい!」

 無表情なのも、無感情なのも、リュシーからそう見えるだけだった。セリーヌは、大嫌いなリュシーの前でだけは絶対に弱味を見せたくないから、無表情、無感情を装っているに過ぎない。

 だが、それを言ったら、リュシーは更に激昂するだろう。こういう時ばかりは、声が出せないのも悪くない、と思う。声が出せたなら、一時の感情に任せて、憎まれ口の一つも叩いてしまいそうだから。

「ともかく、一刻も早く! 綺麗に拭くの! 血の跡を残したら承知しないわ、いい?」

 興奮が冷め遣らないらしく、リュシーはふうっ、と獣が威嚇するような息を吐いた。そして、苛立たしげに踵を鳴らし、仕事場を後にする。

 リュシーが仕事場の扉を閉めたのを確認してから、セリアは仕事場の奥にある薬草棚へと駆け寄った。

 蒲の花粉を患部に塗布して止血し、包帯を巻いて、セリーヌの手当てをする。

 セリーヌは、手当ての間中、何かに耐えるようにじっと俯いていた。が、リュシーが立ち去ったおかげで、段々とその顔に、人間らしい表情が戻ってくる。

「これでおしまい、と」

 包帯の端を蝶蝶結びにして、セリアが手当ての終了を宣言する。セリーヌは、俯いたまま頭を下げた。ありがとうね、というメッセージである。

「どういたしまして」

 日常の遣り取りは大体、こうした身振り手振りだけで伝わるのだから、やはり双子というものは最良の伴侶だと思う。

「はい、顔上げて?」

 セリーヌは言われるがまま、顔を上げた。そこにはセリアの、屈託のない笑顔があった。


 セリーヌは言われるがまま、顔を上げた。そこにはダニエルの、飾り気のない笑顔があった。

 もう、手当ては終わっていたらしい。指先には、包帯が丁寧に巻きつけられている。

『今日は ここまでにします 仕事で疲れているところ 怪我の手当てまでさせてしまって お手数おかけしました』

 用紙を梟に持たせて、メッセージを伝える。

「何、気にするな。子供と老人、それから病人は、優しく丁重に扱うべし。俺の尊敬する人の言葉だ」

 ということは、セリーヌは子供と見做されているのかもしれない。優しく、丁重に扱ってくれるのは有難いことなのだが……何故か、手放しでは喜べない。複雑な心境だった。

「その人は、俺に彫刻を教えてくれた師匠でもある。もし、俺の彫刻に何かしらの魅力を感じてくれたのなら……それは、師匠の指導が良いということだろうな」

 ダニエルは、昔を懐かしむような目をして言う。ダニエルより一回りも大きい、いかにも森の住人といった豪放磊落な大男が、セリーヌの頭の中に浮かんだ。

(その人もダニエルさんのように、森で木こりをして暮らしていたのだろうか? 衣料品、食料品の調達だけでも大変そうなのに……)

 そこで、夕食を作っておいたことを思い出して、セリーヌは用紙を取り出した。

『そろそろ 夕食にしませんか? 前以て 準備しておいたんです』

 書いて、調理場に置かれた鍋を指差す。

「おお、それは有難い」

 ダニエルは鍋の蓋を開け、中身を確認する。

「早速暖めて、頂くとしようか」

 そう言い、いつものように、鍋を炉辺に吊るした。

「有り合わせの材料で作ったと言うのに、良い見栄えだ。それに、なかなか美味い。今度、俺も味付けを真似してみるか。この前は聞きそびれてしまったが……この料理は?」

 スプーン片手に、ダニエルが聞く。

『調味料の配分だけは大体決まっていますが 具材は適当です なので 正式な名称はありません 私は こういった ごった煮の汁物を 魔女のスープ なんて呼んでいます』

「それはまた、なんとも……」

 ダニエルは言葉に詰まった。なんとも皮肉だ、と言いたかったのだろう。セリーヌも、同じ思いだった。


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