八 …… 十月四日、昼

◆八 …… 十月四日、昼


 ダニエルは空になった台車を引きながら、市場を歩く。以前は五月蝿いくらいだった露天商達の売り声も、最近はあまり聞こえない。

 エスカレートの一途を辿る、魔女狩りと言う名の密告合戦。緩やかな坂道を下るようにして、減速を続ける国内経済。それらに因る閉塞感からだろうか、市場全体から活気が失われてきているように、ダニエルは感じる。

「やあ、ダニちゃん! 買出しかい?」

 何を買おうか考えながら、あてもなく歩いていると、不意に声をかけられた。

「ああ」

 答えて、ダニエルは振り向く。この市場で、こうも親しげにダニエルの名前を呼ぶのは一人しかいない。ダニエル行きつけの果物屋の店主だ。

(この人だけは、いつでも変わらんな)

 その、恰幅のいい中年女性の大きな声を聞いて、ダニエルは何となく嬉しくなった。

「いよいよやってきた、実りの秋! というわけで、どうだね、一つ。果物を食べるなら、旬を逃す手はないよう?」

 言いながら、目の前にある、色とりどりの果物が敷き詰められた台を指し示す。

 ダニエルは促されるまま、台を流し見た。と、置いてある林檎に目が留まった。綺麗な赤をした、美味しそうな林檎だった。

(一年前……セリーヌはこれを……)

 ダニエルは一時、林檎に釘付けになった。一年前の出来事が、脳裏を掠めた。

「ど、どうかしたのかい?」

 傍目から見れば、睨んでいるようにも見えたのだろう。少々狼狽え気味に、店主が聞く。ダニエルはそれでようやく、我に返った。

「あ、いや……何でもないんだ。それより、この林檎を一つ貰えるか」

「はい、毎度ありがとう。5ゴールドね。丁度お預かりしますよ」

 店主はいそいそと、横の籠から包み紙を取り、林檎を包んだ。

「ダニちゃんは勿体無いねえ。もっと柔らかい雰囲気があればねえ、元は悪くないんだから、いつまでも独り身じゃあないだろうに」

 林檎を手渡しつつ、そんなことを言い出す。

「愛想がないのは生まれ持ってのものだからな、そうそう変わらん」

 歯に衣着せぬ物言いに、ダニエルは苦笑した。

「そう言わずにさあ、ウインクの一つでもしてごらんなさいな。大分親しみ易くなって、イメージが変わるわよう?」

「ウインク……か」

 柄じゃあないな、と首を振り、果物屋を後にする。

 買い物の途中、見覚えのある通りに気付いて、ダニエルは足を止めた。通りの上を見上げると『占い』の看板があった。元々、経年劣化で朽ちかけていた看板だったが、去年見た時より更に痛んでおり、いつ落ちてきてもおかしくない、見るも無残な状態だった。

(あの老人は、どうしているだろうか)

 こんな時だからこそ、もう一度、彼の占いを聞いてみるのも悪くない。ダニエルはそう思い、路地裏へと入った。

 道の一番奥、袋小路に、天幕は張られていた。が、天幕の中は蛻の殻で、人の気配はなかった。それどころか、丸テーブル、椅子といった家具も、どこかへ消え失せていた。

 ダニエルは気になって、近くにいた男を捕まえ、聞いてみた。

「なんだよ」

「この天幕で商売をしている、占い師の老人がいたはずだが」

「ああ、あの爺さんか。つい先日、魔女の手助けをしたとかで、騎士団に捕まったよ」

 ダニエルは絶句した。心臓の鼓動が激しくなった。彼が騎士団に捕まったという話も衝撃だったし、何より、ダニエルは現在進行形で『魔女の手助け』をしている。

「まったく、物騒な世の中になった。あんたも、魔女には関わらない方が身の為だぜ」

 それだけ言い残して、男は立ち去った。

 ダニエルは、彫像のように硬直した。暫くその場から動けなかった。

『もう、主とは会うこともないだろう』

 老人の、寂しげな、それでいて毅然とした、最後の言葉が思い返された。

「こうなることを、知っていたのか? それでも、覚悟の上だったのか?」

 天幕を見つめ、ダニエルは問いかけた。勿論、答えが返るわけもなかった。


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