七 …… 十月四日、朝
◆七 …… 十月四日、朝
市場に行ってくる、とだけ言い残して、ダニエルは小屋を出て行った。
(今日も、一人で留守番、か……)
立場上、仕方がないことだとわかってはいる。だが、何もせず小屋に一人きりでいると、身の置き場がないように感じられて、落ち着かない。
リュシーの屋敷にいたら、今頃何をしているだろう。いかにも手持無沙汰に、指先を弄りながら考える。今は朝だから――箒片手に、仕事場の掃除をしている頃だろうか。
リュシーは少々潔癖症のきらいがあり、仕事場を常に清潔に保っておくよう、二人に言いつけていた。流しに水垢が付着していたり、床に土埃が溜まっていたりするのを見ると不機嫌になり、愚痴を零した。だから、仕事場の掃除は、朝一番で入念に行わなくてはならなかった。
セリーヌがいない今、あの広い仕事場を、セリア一人で掃除しなくてはならない。掃除だけに限らず、これから、セリアがこなす仕事量は、倍に増えてしまうだろう。セリーヌも、セリアの心配ばかりしていられるような境遇ではないのだが、その苦労を慮ると、気が滅入った。
(私も、掃除、しようかな)
思いながら、部屋の隅に立てかけられている箒に目を向ける。男性の一人暮らしだけあり、小屋の中は整理整頓が行き届いていない。そればかりでなく、あちらこちらに泥、黴、埃などの汚れがこびり付き、層を成している。
この場にリュシーがいたら、きっときぃきぃ叫びながら怒り出すだろう。そんな、惨憺たる有様だった。
(でも、他人様の小屋を許可もなく弄り回すのも、失礼にあたるものね)
そもそもが、こんな辺鄙な場所に小屋を建て、木こりとして生計を立てている人物である。自分の領域に無遠慮に踏み込まれることを嫌うに決まっている。
と、すると、掃除は却下。セリーヌにはやっぱり、何もすることがないのだった。
(ちょっと、外を覗いてみよう)
セリーヌは、玄関口へと歩いて、扉に手をかけた。
ここは町から遠く離れた小屋。騎士団の目の届かない、安全圏。そう頭では理解しているが、それでも緊張する。
胸に手を当て、一呼吸置いてから扉を開く。数日振りの陽光と、木々の鮮やかな色彩が目に眩しかった。所々で紅く色付き始めた葉が、深緑に映えている。
セリーヌは小屋の周りを一周してから、小屋の裏手にあった切り株に腰を下ろした。切り株には、座りやすいよう人の手が加えられた痕跡があった。ダニエルが設えた、天然の椅子なのだろう。
そこに座ったまま、森を眺める。そうしていると、不思議と心が落ち着いた。緊張は消え失せ、身体は弛緩する。このまま転た寝して、夢の続きを見るのもいいか、とすら思えてくる。
何故だろう、とセリーヌは考える。思い当たる節が、一つだけあった。
この広大な森は、永久――とは言わないまでも、不変なのだ。少なくとも、数年で大きく姿形を変えたりはしない。今日も、明日も、明後日も……森は変わらぬ姿で、この場所に在り続ける。それが、セリーヌを安心させるのかもしれない。
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