三 …… 十月三日、早朝

◆三 …… 十月三日、早朝


 頭を蝕む鈍い痛みで、セリーヌは目を覚ました。

(私……まだ、生きている)

 死を覚悟して目を閉じたのに、それでも生きているのは、これで二度目だった。この悪運も、魔女の資質なのかもしれない。

(私はどうして、ここにいるのだろう。ここは、どこなのだろう)

 セリーヌは身体を起こして、周囲を見回した。窓から差し込む陽光に照らされ、部屋の輪郭がぼうっと浮かび上がる。

 火の灯った暖炉。梟の彫刻だけが、ぽつんと置かれた棚。壁に掛けられた大きな斧。

(ここは……森の中の、小屋)

 ベッドの横では、白い髭をたくわえた中年男性がロッキング・チェアーに揺られて眠っていた。

(この人が、私を助けてくれたの?)

 そう思いながら、ベッドに両手をついて上半身を伸ばし、顔を覗き込む。と、その時、彼が目を開けた。

 セリーヌは慌てて顔を離して、姿勢を正す。彼は眠気を帯びた目を瞬かせてから、セリーヌの顔を見た。

「おお、目が覚めたか。高熱で魘されていたようだが……具合はどうだ?」

 彼は言い、顎鬚を撫でる。言葉を返せないので、セリーヌはとりあえず会釈を返しておく。具合はどうだ、と聞かれて会釈とは的外れも甚だしいが、質問に応じられない以上、仕方がない。

「俺はダニエル。この森で木こりをやっている」

 セリーヌの無言を、警戒しているものと勘違いしたのか、彼――ダニエルは椅子を引いて距離を取り、優しげな口調で自己紹介をした。

「無論、教会の回し者ではない。だから、その……安心してもらっていい」

 そのあたりは、言われるまでもなく察しはついていた。今セリーヌが着ている無地の黒いローブは、教会が魔女と認めた証――言うなれば、囚人服だ。ダニエルが教会の手の者であれば、一目で魔女と判る人間を助けたり、気遣ったりしない。捨て置くか、引き渡すか、そのどちらかである。

 セリーヌはダニエルの言葉を受け、曖昧な微笑を浮かべた。自分自身でも嫌気が差すような、玉虫色の笑顔だった。

「さて」

 と言って、ダニエルは腰を上げた。

「喉が渇いただろう。飲み物でも飲むか?」

 言われて始めて、セリーヌは自分の喉がからからだったことに気が付いた。一も二もなく頷くと、ダニエルは水の入ったヤカンを炉辺に吊るした。

「ところで――違っていたら悪いが――もしかして、声が出せないのか?」

 湯が沸くのを待っている最中、ダニエルが言った。セリーヌは驚いて一瞬硬直したが、しかし、すぐに全力を以って首肯する。

 早々とセリーヌが声を失っていることに気付いて貰えたのは、僥倖と言うべきだろう。この点に気付いて貰えないと、セリーヌの第一印象は最悪なものになる。頑ななまでの沈黙を、からかったり、馬鹿にしたりしているものと誤解されるせいで、今まで何度、会話相手を激昂させたかわからない。だから、セリーヌの外出には、セリアのフォローが必要不可欠だった。

 だが、そのセリアもここにはいない。セリーヌ一人でも円滑なコミュニケーションが図れるよう、努力するより他ない。

「どうやって気付いた? という顔だな」

 ダニエルは湯気を噴出し始めたヤカンを手に取り、言った。セリーヌはまた、首肯を返す。

「昔――そういう子供を見たことがある。小柄で、怖がりなところのある……小動物のような女の子だった。急に過酷な環境に放り込まれた所為だろう。心が軋み、悲鳴をあげ、一時、声が出せなくなった」

 一時、と言うことは、時間の経過に伴い、声が出るようになったということだろうか。セリーヌのように、長期間に亘って声が出せなくなるのは、極めて稀なケースなのだろうか。首を動かして相槌を打つことしかできないセリーヌには、無理な相談なのだが――彼女について、詳しい話を聞いてみたいと思った。

「目が、その女の子に似ていたから……思い出したんだ。それで自然と、同じなんじゃあないかと考えた」

 ダニエルは、紅茶を注いだカップをセリーヌに差し出す。セリーヌは頭を下げ、それを受け取った。

「熱いから、火傷しないようにな」

 セリーヌはふぅふぅと息を吹き掛けてから、熱々の紅茶を啜った。身体の芯から温まっていくようで、心地良い。猫舌のセリーヌであるが、三分も経たない内にカップを空にしてしまった。

 それでもまだ、喉の渇きは収まらない。もう一杯注いで欲しい、と思う。けれど、カップを差し出して、目で訴えるのは気恥ずかしい。

「お代わりか?」

 セリーヌが躊躇している内、ダニエルがそう聞いてくれた。セリアとの遣り取りを思わせる、以心伝心だった。セリーヌはその気遣いに感謝すると同時に、いくらか安心する。このダニエルという人物は、少なくとも悪人ではないようである。

 二杯目の紅茶を飲み終えて、カップがセリーヌの手に温もりの余韻を伝えるだけになった頃、ダニエルは外出の準備を始めた。

(どこへ行くの?)

 と、目で聞いてみる。

「仕事に行ってくる。大した物はないが、小屋に置いてある物は、好きに使ってくれて構わない」

 セリーヌのアイコンタクトが功を奏したのか、ダニエルは答えた。

「それから、調理場に常備してある食材の他、戸棚に葡萄が入っている。良ければ、デザートにでも食べるといい」

 ダニエルはそう言い残すと、小屋を出て行った。

 セリーヌは早速、ダニエルが指差していた戸棚を開けてみる。言った通り、中には一房の葡萄が入っていた。太くしっかりとした枝のついた、大きな葡萄である。

 戸棚の中に籠っていた甘い匂いが微かに漂い、口中が唾液で満たされる。森の中を歩き回っている時はそれどころではなかったが、落ち着いた今になって、空腹が鎌首を擡げてきた。

(食事がまだだけど、一粒だけ……)

 セリーヌは葡萄の実を手に取り、口に含んだ。葡萄は甘くて、少しだけ酸っぱい味がした。


――――※――――

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