■第二幕 『反転』

〇 …… 惨劇の予兆

◆〇 …… 惨劇の予兆


「わぁ、綺麗!」

 二階建ての豪奢な館を見上げ、セリアは感嘆の声をあげた。

「本当、とっても綺麗!」

 一拍遅れて、セリーヌも同調する。

 セリアとセリーヌの二人は、お揃いの衣装に身を包み、仲良く手を繋ぎながら、興味津々といった瞳で館を眺めていた。

「二人にも気に入ってもらえたようで、何よりだよ」

 そんな二人の背中に優しげな眼差しを送りつつ、男が言った。シルクハットにスーツを着込んだ、紳士然とした男である。

「ここが今日から、私たちの新しいお家よ」

 言いながら、男の数歩後ろに控えていた女が前に進み出た。振り向いて、目線を合わせ、セリアとセリーヌの顔を覗き込む。シックなドレスの裾が、風を受けてふわりと揺れた。

「お庭もよく手入れされていて広いし、素敵でしょう?」

「うん!」

 と、満面の笑みで、セリアは答える。

「ね、ね、かあさま、お家の中見てもいい?」

 そう聞いたのはセリーヌだ。

「勿論」

 返事を聞くが早いか、二人は玄関に向かって走り出す。

「転ばないように、気をつけてね」

 かあさま――カトリーヌは、手を繋いだまま駆けて行く二人の後姿に声をかけたが、聞こえているかどうかは怪しかった。

「ふふ、馬車に揺られている間、ずっとうつらうつらとしていたのに、ここに着いた途端元気になるなんて」

「初めての長旅で、疲れてしまったのではと心配だったが、あの様子では大丈夫そうだ」

 シルクハットを小脇に抱え、とうさま――アルテュールが言う。

 一家を乗せた馬車は、昨日の深夜に住み慣れた我が家を出発。数時間をかけて幾つもの街道を抜け、新居に到着したのは明方になってからである。

 新居となる館の話で盛り上がったり、馬車犬のダルメシアンにちょっかいを出したり、最初こそ元気一杯の双子だったが、一時間も経たない内に、街道の石畳が奏でる規則的なリズムに誘われるようにして、夢と現を彷徨い始めたのだった。


 玄関扉の取っ手は、手を上に伸ばして、ようやく届く位置にあった。

 セリアとセリーヌは、目を合わせて頷き合い、互いの手を重ねて取っ手を引く。

 外観から受ける印象に違わず、広々とした玄関ホールだった。玄関正面の壁にはニッチが設けられていて、白い花瓶が飾ってある。

 そして、その壁を間仕切りにして、一階は二部屋に分かれていた。右手はリビング、左手はキッチンになっているらしい。

「探検してみよう!」

 セリアはセリーヌに言うと、泥除けマットで靴の泥を拭うのも忘れて、左手のキッチンへと走った。セリーヌもそれに続く。

 セリアの後を追って、キッチンに足を踏み入れた、その刹那。セリーヌの時間は止まり、世界は暗転した。


 セリーヌは、自分の身に何が起きているのか、理解できなかった。網膜に汚れたセピア色のフィルタを貼り付けられたように、視程がはっきりとしない。

 今までと同じ位置にいて、同じ場所を見ている筈なのに、目に映る全てに違和感があった。数瞬前まで先を歩いていたセリアはどこかへ消えていて、殺風景だったキッチンには調度品が増えていて……そして何より、そこには主体たるセリーヌが存在しなかった。宙を漂う亡霊のように、セリーヌは世界を俯瞰していた。

 いつの間にか、キッチンにはアルテュールとカトリーヌがいた。アルテュールは椅子に座り、ティーカップ片手に新聞を広げていて、カトリーヌは流し台の前に立って、林檎の皮を剥いていた。前の家に住んでいた頃と何ら変わりない、和やかな朝の一時だった。

 が、優しい時間は長くは続かなかった。突然、玄関扉が荒々しく開かれ、野人のような格好をした数人の男たちがキッチンに押し入ってくる。

 驚いて立ち上がったアルテュールに、大振りの山刀を振り上げ、二人の男が襲い掛かった。不意を突かれたアルテュールは、成す術もなく二挺の凶刃に切り裂かれた。テーブルに広げられた新聞に血飛沫が飛び散り、大小様々な、赤黒い斑点を作った。

 ぐらり、と身体を傾かせて、アルテュールはその場に崩れ落ちた。それに巻き込まれる形で、椅子が横倒しになり、ティーカップが砕け散る。

 林檎を持ったまま呆然と立ち尽くしていたカトリーヌは、床がアルテュールの流した血で染まって行くのを見て、思い出したように悲鳴をあげた。

 セリーヌが見ているのは茫漠とした映像だけで、音声までは伝わっていなかったが、大きく口を開けていたことから、悲鳴をあげているのだと判った。

 アルテュールを斬殺した二人がカトリーヌに向き直った。そして、カトリーヌの背後を見て、酷薄な笑みを浮かべる。

 唐突に、悲鳴は途切れた。音も無く背後に回っていたもう一人が、鉤爪のような武器でカトリーヌの喉笛を掻き切った。頚動脈が引き千切られて、溢れ出た血液が噴水となってキッチンに降り注ぐ。

 両手で喉を押えながら、カトリーヌは床に膝を着いた。目を剥いて、口をぱくぱくと開いたり閉じたりしている様は、酸欠に陥った金魚を連想させた。

 鉤爪の男は、カトリーヌの背中を蹴り飛ばした。カトリーヌは前のめりに倒れて、うつ伏せのまま動かなくなった。


 そこで突然、何の前触れもなく、セピア色の世界は終わりを告げた。消えた筈のセリアはキッチンの扉を開けて奥の廊下に出て行くところで、増えた調度品は元通りになっていて、キッチンには死体どころか、血の染み一つありはしなかった。

 それでも、あの、衝撃的な映像を忘れられるわけもない。セリーヌは声にならない叫びを喉から搾り出して、頭を抱え、蹲った。

「ど、どうしたの?」

 びくっとして、セリアがセリーヌを振り返った。

 恐る恐る、といった歩調でセリーヌに近付いて、小首を傾げる。

「とうさまと、かあさまが……」

 それ以上は、言えなかった。あまりにも気味が悪くて、口に出すことすら憚られた。

 セリーヌはよろめきながら立ち上がり、セリアを置いて、玄関から外へ走り出た。

 あんなものを見てしまった以上、両親が無事なのか確かめないと不安で仕方がなかった。

 館を中心とした敷地内を囲むようにして配置された庭園、その花畑の一角で、アルテュールとカトリーヌは談笑していた。二人の姿を認めた途端、セリーヌの瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。

「とうさま……かあさま……!」

 セリーヌは二人に駆け寄ると、一遍に抱き付く。

「セリーヌ……? どうしたの?」

 先程までの上機嫌は何処へやら。泣きじゃくるセリーヌに戸惑いながら、カトリーヌはあやすように頭を撫でた。

「急に泣き出すなんて……何か、あったのか?」

 アルテュールが、セリーヌを追って戻って来たセリアに聞くが、セリアは困り顔で首を振るだけだった。


 それから、一年後――同月同日。

 一家が引っ越してきた館、その近くの森。主を失って久しい、朽ち果てた小屋で。ランタンの仄かな明かりが照らす中、数人の男たちが円陣を組んでいた。彼らは、この一帯を根城とする、新興の山賊だった。

「本日の目標は、この館だ」

 山賊頭であるクリストフは、地図を広げると、その一点をナイフの刃先で指し示した。

「元々は富豪の別荘だったが、諸事情から手放したものを、一年前にディオール家が買い取った。家族構成は、父、母、娘が二人。都市部からこんな辺鄙な場所にまで越してきて、護衛の一人も雇っていない。家人以外では、執事と家政婦が二日に一度、雑事の処理に顔を出すだけだ」

「絶好のカモ、といったところでしょうか」

 部下の一人が、横から口を挟む。クリストフは唇の端を吊り上げ、笑った。

「戦力になりそうな男が、一人しかいないからな。残りは女と子供。赤子の手を捻るように楽な仕事だ。だが、油断は禁物だぞ。騎士団、自警団には十分に注意を払え」

「了解!」

 部下たちは背筋を伸ばして、声を揃える。傭兵崩れが多数を占める彼らは、まだ軍人時代の癖が抜け切っていないようだった。

「それでは、そろそろ行くとするか」

 地図上の館を示す位置に、鈍い音を立ててナイフが突き立てられた。

 クリストフは右腕に鉤爪を装着して、小屋を出る。一陣の風が吹いて、外套を棚引かせた。

 部下たちも、クリストフに続いて外へ。後方で待機し、指示を待つ。

「パーティーの始まりだ!」

 クリストフは高らかに宣言した。それが、行動開始の合図だった。山賊たちはクリストフを先頭に隊列を組み、目標地点を目指して駆け出した。


 二階にある子供部屋で眠っていたセリーヌは、頭の内側がひりひりするような、奇妙な感覚に襲われて飛び起きた。

 窓から淡い光が差し込んで、部屋を包んでいる。隣のベッドでは、セリアが気持ち良さそうに眠っていた。

 起きるには早い時間らしく、まだ肌寒い。ネグリジェの襟元に両手を寄せて、肩を震わせる。

 しかし、今は気温よりも何よりも、頭の変調が気がかりだった。原因不明の痛痒は、一向に治まる気配を見せない。それどころか、徐々に酷くなり、ついには頭が焼けるように熱くなってくる。

 燻り続ける不快感は、いよいよピークに達する。セリーヌは立ち上がり、目を瞑り、頭を掻き毟った。その瞬間、セリーヌは何の脈絡もなく、一年前に見た映像を思い出した。

 いつも通りの、朝の風景。山刀を手にした、何人もの暴漢。血の海に沈む、アルテュールとカトリーヌ。それらのイメージが再び、鮮明に蘇る。

 いつの間にか、頭は嘘のようにすっきりとしていた。セリーヌは子供部屋の扉を開けて、二階の廊下に出た。不吉な予感に急き立てられるようにして、早足で階段を降り、キッチンに向かう。

 キッチンの扉を開け、セリーヌは愕然とした。

 キッチンにはアルテュールとカトリーヌがいた。アルテュールは椅子に座り、ティーカップ片手に新聞を広げていて、カトリーヌは流し台の前に立って、林檎の皮を剥こうとしていた。

 それはデジャビュでは片付けられない、悪夢と現実の符合だった。そこでようやく、セリーヌは悟った。一年前に見たあの映像は、今日、この日を示していたのだ、と。

 セリーヌは恐怖で、その場から一歩も動けなくなった。激しい動悸と眩暈がして、立っているだけで精一杯だった。

 だが、いつまでも棒立ちのままでいるわけにはいかない。これから何が起こるのか知っているのは、セリーヌだけなのだから。

(今、みんなを助けられるのは、私しかいない)

 時間は何分も残されていない筈だった。セリーヌは勇気を振り絞って、キッチンへと足を踏み入れた。

 セリーヌは幼いなりに、持てる語彙を総動員して、二人にここから逃げるよう訴えた。が、当然ながら、相手にされるわけもない。二人は興奮して捲し立てるセリーヌを宥めようとするだけで、その行動の真意までは推し量ろうとはしなかった。

「また怖い夢を見たのだろう? 大丈夫、私たちが一緒にいる。何も怖いことはない。だから、安心するんだ」

 諭すような口調で、アルテュールは言った。セリアと一緒になって、些細な出来事で何度も両親に泣きついたことを、今更ながらに後悔する。

 今回も、私が一人で悪夢に怯えているだけならどんなにいいだろう。私が恐れる全てが、偶然の合致に過ぎないのならどんなにいいだろう。セリーヌはそんなことを思った。

(私は今だけ、とうさまとかあさまを困らせる、わがままな嘘吐きになりたい)

 セリーヌは何もかもが杞憂に終わることを祈りながら、二人の説得を続けた。言葉が見付からなくて、呂律が回らなくて、上手く説明できない自分がもどかしかった。

「何でもいいから、逃げて! それが無理なら、どこかへ隠れて! お願い!」

 これ以上の説得は逆効果になりそうだった。セリーヌはそれだけ言い残して、二階へ向かった。二階で眠っているだろうセリアにも、危機が迫っていることを伝えなくては、と思った。

 一段飛ばしで階段を駆け上がり、子供部屋の扉を開ける。セリアはまだ眠っていた。

「セリア! セリア! 起きて!」

 ブランケットを引き剥がして、耳元で叫ぶ。それでも起きなかったから、身体を揺すった。

「う……にゃみ……?」

 それでやっと、セリアは目を覚ました。猫みたいに顔を擦りながら、セリーヌを見つめる。

「えっと――」

 どう切り出したらいいのだろうとセリーヌが言い淀んだ、その時だった。階下で、何か重い物が倒れるような音がして、続いて、カトリーヌの絶叫が館に響き渡った。

「え、今の、何……?」

 寝惚け眼が、驚きで見開かれた。セリアの眠気は、完全に吹き飛んだようだった。

「今の、かあさまの悲鳴だよね! ねえ、そうだよね!?」

 セリアはセリーヌの肩を掴んだ。目には涙が一杯溜まっていた。

「私、見てくる!」

「駄目!」

 ベッドから降り、子供部屋を飛び出そうとするセリアを、セリーヌは引き止める。

「とにかく、隠れるの!」

 セリーヌは部屋の中を見回した。余所行きの衣装を仕舞っておく、大きなクロゼットが目に留まった。姉妹で隠れんぼをして遊んだ時、一度この中に隠れたことがあるのを思い出す。丈の長い衣装が沢山、何層にも重なり合って収納されており、奥に入って身を屈めれば容易には見付からない。セリアもクロゼットを開けたものの、セリーヌが隠れていることには気付かなかったのを覚えている。

「その、クロゼットの中!」

 セリーヌはセリアの手を引いて、クロゼットの扉を開いた。防虫剤として入れられているミントの小袋が、仄かに香った。セリーヌは、そのままセリアをクロゼットの奥に押し込める。

「ここに隠れていて。何があっても、ここから動かないようにして」

「セリーヌは、どうするの?」

「私は、他の場所に隠れるから」

「でも……」

「ここには二人も隠れられないよ、そんなことしたら、二人とも見付かっちゃう!」

 セリアは『誰に』とは聞かなかった。セリーヌの迫力に圧されるように、こくりと頷いた。

 クロゼットの扉を閉じて、セリーヌは子供部屋を出る。セリアに言った通り、自分も隠れるべきなのではないかと迷ったが、階下を確認すらしないのは、二人を見捨てて逃げるようで抵抗があった。

 足音を立てないよう、慎重に階段を降りる。幸い、古い家屋ではないから、軋み音が鳴ったりはしなかった。

 階段から顔を出して、一階の廊下を覗き見る。廊下からキッチンへ続く扉が、僅かに開いていた。扉の隙間から、一筋の光が漏れている。

 セリーヌは扉の隙間にそうっと顔を近付け、キッチンの様子を窺った。山刀を腰に挿した男たちが、我が物顔で室内を物色していた。引き出しを乱暴に抉じ開けては、金品を漁っている。

 視界が狭く、その上、気忙しく動き回る男たちの影に隠れているからはっきりとは視認できなかったが、テーブルの近くで、アルテュールとカトリーヌが倒れているのが見えた。深紅の水溜りが、うつ伏せになった身体の下、放射状に広がっていた。

 凄惨な光景に、思わず息を呑む。絶望に浸る暇すら与えず、濃密な血の臭いが漂って来て、吐き気を催す。

 足元で、ことん、と小さな音がして、セリーヌは震え上がった。見ると、扉の隙間に真っ赤な林檎が落ちていた。誰かが蹴飛ばしたものが、転がってきたらしい。

(この林檎は――)

 かあさまが剥いていたものだ。虚ろな目で林檎を見つめながら、セリーヌは思った。

(あれ……? 剥いていた……?)

 そう、カトリーヌは林檎を剥いていた。馴れた手付きだった。横には皿が置かれていた。セリーヌはそれを直に見ている。

(それなら、どうして。この林檎は、真っ赤な色を?)

 林檎の皮は綺麗に剥かれており、輪郭は滑らかな曲線を保ったままだった。だから、一目見ただけでは気付かなかった。この林檎は、血液を全身に浴びて、こんなにも瑞々しく輝いているのだ。

「ひ……っ」

 反射的に、小さな悲鳴が漏れた。いけない、と思った時には手遅れだった。足音と共に気配が近付く。身体は小刻みに震えるだけで、ぴくりとも動いてくれない。

 身を隠していた、キッチンと廊下を繋ぐ扉が開かれる。右手に鉤爪を着けた男が、セリーヌを見下ろしていた。鉤爪は、今見た林檎と同じ色で染まっていた。

 無言で伸ばされた左手が、セリーヌの喉に触れた。声を発した瞬間、喉を握り潰されるような気がして、悲鳴すらあげられなかった。蛇に睨まれた蛙の心境だった。


「もう一人は、何処にいる?」

 クリストフは幼女の喉を撫でながら聞く。一階の廊下か、二階のどこかに、残る一人――双子の片割れがいる筈だった。

 が、幼女は答えない。今にも泣き出しそうな表情で、けれども気丈に、クリストフを睨みつける。

 目は口ほどに物を言う。言葉を交わさずとも、彼女の強い意志は伝わった。

(答えるつもりはない、か)

 質問に答えないのなら、これ以上の会話に意味はない。クリストフは幼女の首を掴み、手に力を込める。

 幼女は蚊の鳴くような呻き声を洩らしながら、腕を引っ掻くなどして抵抗したが、一分も経たない内、ぐったりとして動かなくなった。

 そこで、玄関扉が開いて、男が駆け込んでくる。館の正門前付近に、見張りとして立たせておいた男だった。

「クリストフ隊長!」

「どうした」

 クリストフは振り向くと、幼女の首から手を離した。幼女の身体が床に転がった。

「自警団の連中の巡視です」

 クリストフは舌打ちする。騎士団、自警団の巡視は原則として不定期だが、夕刻から深夜にかけてが最も多い。その裏をかく為の朝駆けが、完全に裏目に出た形となった。

「この館に向かっているのか」

「はい」

 クリストフは両手を打ち合わせ、周囲の注目を促した。

「聞いての通りだ。撤収するぞ。各自、早急に戦利品を纏めろ。館右手の生垣を突っ切って散開。集合地点は三番廃墟だ」

「了解!」

 一階の捜索は粗方終わっており、戦果も上々だった。手付かずの二階に未練を残しつつも、クリストフ一味は館を後にした。


「セリーヌ! セリーヌ! 起きて……!」

 耳元で涙混じりの声がして、セリーヌは目を開く。

 見馴れた顔が、目の前にあった。セリアだった。

 セリアはセリーヌが目を覚ますなり、その身体をぎゅっと抱き締めた。

「良かった……セリーヌ……このまま、目、覚まさなかったらどうしようって……」

 抱き締められたセリーヌの瞳に、開いたままになっているクロゼットが映る。と、いうことは、ここは子供部屋で、寝かされていたのは自分のベッドで――

 そんなどうでもいい思考で頭を満たしながら、ぼうっとする。セリアに、聞きたいことも、話したいことも、沢山あった。それなのに、放心してしまったみたいに、何も聞けない、話せない。

 でも、落ち着くまでこうしていられるのだったら、それはそれでいい、と思った。

 全身に、セリアの体温が、セリアの鼓動が、伝わってくる。今はそれだけのことが、何よりも尊いと感じる。きっとセリアも同じ気持ちなのだろうと、セリーヌは確信する。

(だって、私たち、双子だから)

 抱き合ったまま、どれくらいの時間が経っただろう。

「目を覚ましたのかい」

 張りのある声が響いて、子供部屋の扉が開いた。姿を見せたのは、鉄製のメットを被った筋肉質な男だった。セリーヌは驚いて、身を固くする。

「自警団の人が、助けてくれて、それで……」

 セリーヌの胸中を察してか、セリアが事情を説明する。それを聞いて、セリーヌは朧げながら、自分たち姉妹が助かった経緯を理解することができた。

 男はベッドの横に立つと、律儀にもメットを外して一礼した。

「俺は、五ブロックの自警団長、バジルだ」

「あの、私はセリアといいます」

 セリアも慌てて、礼を返す。その後に続こうとして、セリーヌは異常に気が付いた。どれだけ声を出そうと努力しても、声が出ない。

 まるで、あの鉤爪の男の太い指先が、未だセリーヌの首に絡み付いていて、発声を邪魔しているかのようだった。

 どうしていいかわからない、といった顔で口を開閉するセリーヌに、バジルはもの問いたげな視線を送る。

「声が、出ないの……?」

 セリーヌの様子に気付いたのか、セリアが聞いた。セリーヌは頷くしかできなかった。その遣り取りを見て、バジルは目尻の辺りを人差し指で掻いた。

「そうか……いや、すまん。君たちの不安を解消する為にも、今後のことについて話しておこうと顔を出したんだが、いくらなんでも、時期尚早だった」

 バジルはメットを被り直すと、二人に背を向ける。

「君たちの身柄は当分、自警団で預かることになるだろう。身辺の安全と衣食住に関しては、俺が保証するから……今はとにかく、ゆっくり休んでくれ」

 そう言って、バジルは部屋を出て行った。

 室内はまた、セリアとセリーヌの二人だけになった。

「あれから、やっぱり心配になって、クロゼットを抜け出して、一階に行ったの。その時にはもう、みんな倒れてて、自警団の人たちがいて……バジルさんが私の前に立って『見たら駄目だ』って……」

 セリアは顔を伏せながら、苦しそうに言った。握り締めたシーツは、くしゃくしゃに潰れていた。

 束の間、沈黙の時間が流れる。

「それより」

 と、セリアは気を取り直すように正面を向く。

「セリーヌ、まだ、首が真っ赤。……痛くない?」

 セリーヌは頷いた。

(少しだけ痛むけど、大丈夫)

 返事をしたくても声が出せないから、もどかしい。なんとかして声を出そうと必死になるセリーヌを、セリアは再び、今度は優しく、抱き締める。

「いいよ、無理しないで……こうすればきっと……言葉は通じなくても、気持ちは通じるよ」

 セリアの胸元に顔を埋めながら、そうかもしれない、とセリーヌは思う。

(だって)

「だって、私たち、双子だから」

 そっと、セリアが囁く。

 心因性失声症――セリーヌはその日を境に、一切の言葉を失った。


――――※――――

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