十七 …… 十月六日、夜
◆十七 …… 十月六日、夜
扉の開く音がして、セリアは顔を上げる。
玄関に、びしょ濡れになったダニエルが立っていた。衣服の裾から水が滴り、床を濡らしている。
「ふう、参った参った。仕事中、雨に降られてしまってな」
ダニエルは犬のように頭を振り、微笑した。その表情は、天気とは対照的に、何だか晴れやかに見えた。
「あ、タオル持って来ますね」
セリアは風呂場に走り、タオルを持って戻る。
「すまんな」
ダニエルはセリアからタオルを受け取ると、頭と肩を拭いた。タオルを首に巻いて、両手を擦り合わせながら、暖炉に近付く。
そこで、ダニエルは、炉辺に鍋が吊るされているのに気付いた。鍋からは湯気が立ち上っており、ハーブの良い香りが鼻孔を擽る。
「この鍋は?」
「今日はね、ダニエルさんの帰りが遅いみたいなので、夕食を作っておいたんです」
と、セリアは言葉を切って、ダニエルを見つめる。
「……迷惑でしたか?」
「いや、助かる。雨で体も随分と冷えてしまった。暖かいものがすぐに食べられるのは有難い」
「よかった」
セリアは声を弾ませて、くるりとターンした。歌でも歌い出しそうな上機嫌で、食器棚を開く。
「では、早速よそりますね」
セリアはレードル片手に、テーブルに皿とスプーンを並べる。厚手のミトンを嵌めて、暖炉から鍋を下ろす。素早く、そして丁寧に、スープを注いでいく。
その手馴れた仕事ぶりを横目で追いつつ、ダニエルは席に着いた。
「さて。いただくとしようか」
「はい」
返事をして、セリアも席に着く。
スープの具材は、豚肉、玉葱、豆の三種。色合いは地味ながらも、添えられたローズマリーの葉が、良いアクセントになっている。
「……美味い。生き返るようだ」
熱々のスープを一匙ばかり口に運び、ダニエルは満足気な吐息を漏らす。その様子を上目遣いで覗き見て、セリアは、はにかんだ笑みを浮かべる。
「よくね、こういうの作ったんです。ありあわせで、相性の良さそうな食材をお鍋に入れて、シチューにしたり、スープにしたり……」
セリアはスプーンを動かす手を止め、テーブルの中央に視線を落とす。
「ああ……そうか。それで、最初に俺の作ったシチューを食べた時『懐かしい味がして』と言っていたのか」
「はい。その時々の食材を使ったシチューやスープは、どこの家庭でも定番の、ありふれたメニューだと思うんですが……ダニエルさんの作ったシチューは、味付けまで、いつも食べていたものにそっくりでしたから、びっくりしました。それで、あの時は、色々思い出してしまって……」
「なるほどな」
得心がいった、とばかりに、ダニエルは頷いた。
「……皮肉、ですね」
セリアは、独り言のようにぽつりと言う。
「皮肉とは?」
「昔――魔女として追われる前。シチュー、スープ、ポトフ……そういう、具材をごった煮にした汁物を『魔女のスープ』なんて呼んでいたんです」
それを聞いて、ダニエルが驚いたように目を見開く。遠い昔に思いを馳せるように、セリアは続けた。
「今になって思えば、冗談にもならない、不謹慎な呼び名ですよね。でも、あの頃は、魔女騒動なんて、縁遠いものだと思っていたんです。今ほど、魔女狩りも活発ではなかったですから」
セリアの言う通り、魔女狩りが狂気の様相を帯びてきたのは、ここ数年のことだった。それ以前のアミアンでは『魔女』という単語には、不気味で、得体の知れない女性の蔑称、という程度の意味しかなかったのだから。
セリアの言葉に耳を傾けながら、何か考え事でもしているのだろうか。ううむ、と唸って、ダニエルは顎に手を当てる。
「本物の魔女なんて、実在しないですよね。そんなの……」
どこか上の空――夢想に耽るような口調で、誰に語りかけるでもなく、セリアは呟いた。
――――※――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます