十五 …… 十月六日、朝
◆十五 …… 十月六日、朝
朝、セリアが目を開いて最初に見たのは、天井だった。
まだ、完全に覚醒していない。意識の半分は、夢の中に取り残されている。だからだろう。薄靄がかかったような視界に、二つの天井が重なって見えた。
片方は、小屋梁、垂木が剥き出しになった、無骨な天井。片方は、赤を基調としたデザインに、遠い異国の紋様が描かれた派手な天井。
(ああ)
ぼんやりと、ただ目を開けている内、いつしか派手な天井は幻の如く消え失せ、無骨な天井だけが残った。
(これは……)
セリアには、派手な天井に見覚えがあった。セリアが魔女として追われる前にいた場所……リュシーの屋敷の天井である。
リュシーの屋敷には、あまり良い思い出はなかったが、それでも、セリアが七年もの長きに亘って、自宅として住んでいた場所であることには変わりない。意識の片隅に、自室の天井が刷り込まれているのも当然かもしれなかった。
(こうして、思い出すことはあっても……今はもう、戻りたいなんて思わない)
未練なんか、これっぽっちもなかった。あの屋敷は最初から、セリアの居るべき場所ではなかったのだから。
セリアはそろそろと身体を起こす。テーブルの真横に置かれたロッキング・チェアーに背を預け、ダニエルが眠り込んでいる。
ダニエルは初日の夜、セリアにベッドを譲ってからというもの、椅子に寄りかかりながら眠るのが日課になってしまった。
セリアとしても、家主であるダニエルを差し置いて、自分ばかりが快適な環境で休むのは心苦しい。だから、ダニエルにもベッドを使ってほしいと頼んだのだが、ダニエルは頑なに固辞するばかりだった。
(ダニエルさんも、私なんかに過剰な気を遣わないで、たまにはベッドで休めばいいのに……)
ダニエルの、木こりの仕事がどれだけ肉体を酷使するものなのか、セリアは知っている。
窮屈そうに大きな身体を折り畳み、椅子で眠るダニエルを見ていると、それでは仕事の疲れが取れないのではないかと、心配にもなってくる。
そんなことを考えている内、ダニエルが目を覚ました。椅子が揺れて、軋んだ音を立てる。
「あ、おはようございます」
「うん……もう朝になるか」
ダニエルはいかにも眠たそうに、徐々に瞼を開く。その瞳は、真っ赤に充血している。
「今日も、眠そうです。……大丈夫ですか?」
セリアが聞くと、ダニエルは、大丈夫、と笑ってみせた。
「どうも、ここ数日、夜更かしが過ぎてしまったようでな。眠気覚ましに、顔でも洗ってくるとしよう」
ダニエルは立ち上がり、裏口に向かう。
「じゃあ、私も」
と、セリアもその後に続いた。
裏口から川まで歩く、その途中。セリアは何者かの視線を感じて、立ち止まった。
(誰かに……見られている?)
そっと、前を歩くダニエルの服の裾を引いて、小声で囁く。
「ダニエルさん。視線……感じませんか?」
「何!?」
ダニエルもセリアに倣い、小声で返す。眠気のせいか垂れ下がっていた目が、途端に鋭くなった。
「……どのあたりから?」
「正確にはわかりません……でも、後ろから、だと思います」
二人は揃ってその場に棒立ちになり、きょろきょろと辺りを見回す。が、誰の姿もない。目に映るのは、いつもと変わらぬ森。耳に届くのは、川のせせらぎだけ。
「いないか?」
「……みたい、ですね」
それを確認しても尚、二人はすぐには警戒を解けず、そのまま立ち尽くす。
「きっと、気のせいです。昨日の夜、あんな話をしたせいもあって、神経過敏になっていたから……ありもしない視線を感じたんです」
セリアは、緊張で張り詰めた空気を振り払うように、明るい声音で言った。それは、自分自身に言い聞かせる為の言葉でもあった。
「それならば、いいんだが」
ダニエルは暫くの間、あちらこちらに視線を巡らせていたが、やがて川縁に膝を着いて、顔を洗い出した。
セリアも、もう一度だけ後ろを振り返ってから、ダニエルの隣に膝を着く。
(ここは森の奥深く。本道からも外れた場所。騎士団の目は届かない)
胸の奥で呪文のように呟いて、重ねた手を川に浸す。両掌を満たした冷水を、顔に浴びせかける。
火照った頬に、冷たい水が心地良く沁み込んで、セリアの気分を少しだけ落ち着かせてくれた。
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