十三 …… 十月五日、夕刻

◆十三 …… 十月五日、夕刻


「ダニエルさんは、武術か何かの心得があるんですか?」

 夕食の席。セリアは、豚肉と芋のスープを口に運びながら聞いてみる。

 朝、二人して水遊びを楽しんだ時。ダニエルは、セリアが我武者羅に跳ね上げた水を殆ど回避していた。あの流麗な身のこなしは、とても素人のものとは思えなかった。

「ああ。所詮は我流だから、武術、と呼ぶ程大層なものではないのだが」

「我流……って、自己流ってことですよね。すごい! それにしても、どうして武術を?」

「理由はいくつかある」

 フォークを置いて、ナプキンで口元を拭う。

「一つ。仕事柄、常日頃から心身を鍛えておいて損はない」

 ダニエルは、天井に向かって人差し指を立てた。

「二つ。こんな森の奥深くに一人でいると、余暇の過ごし方に困る」

 続いて中指。肩を竦めるダニエルに、セリアはくすりと笑う。

「三つ。自衛の為……と、そんなところか」

 最後に薬指。

「自衛、ですか」

 セリアが聞くと、ダニエルは眉を顰めて頷く。

「世知辛い時世だ。城の圧政と教会の暴走で、人心も乱れている。盗賊による強盗被害件数は年々増加の一途を辿り、騎士団の手に負えなくなってきている。騎士団や自警団の監視が行き届き難い町と森の境目あたりを転々として、手当たり次第に人家を襲う盗賊まで出る始末だ。噂くらいは、聞いたことがあるだろう?」

「……はい」

 セリアは沈痛な面持ちで目を伏せ、俯いた。

「まあ、盗賊もこのような森の奥深く――それも、金目の物などまるでなさそうな小屋までは出張してこないとは思うが、備えあれば憂いなしだ。人里離れた場所で暮らす以上、自分の身は自分で守らねばならん」

「そう、ですね」

 セリアは首肯する。その瞳に不安の色を感じ取ったのか、ダニエルは心配の必要はないとばかりに表情を和らげる。

「なあに、万が一何かあったとしても、この森は俺の庭も同然。何とでもなるだろう」

 ダニエルはフォークを手に取り、中断していた食事を再開する。

(何か、あったとしても……)

 ダニエルの言う『何か』とは何を指しているのだろうと、セリアは考えた。盗賊の襲撃か、教会の追手か。もし、後者であったとしたら――

(私は、ここにいてもいいんだろうか? 私のせいで、ダニエルさんまで巻き込んでしまうことになるかもしれない……)

 町外れで狼藉を働く盗賊も満足に制圧できない騎士団に、森の奥で細々と暮らす二人が見付かる確率は限りなく低い。だからこそ、セリアも小屋の近辺であれば、臆せず外出することができている。

(でも、絶対じゃない。この世に絶対なんてありえない)

 どのような形であっても、魔女に加担した者は、魔女本人と同等の重罪を課せられる。つまり、捕まったが最後、待っているのは、死のみ。

 改めて、その現実に恐怖を覚える。ダニエルの人柄を知るに従い、無意識の内に切り捨てていた微細なリスクが、セリアの心を責め苛む。

「…………あー。聞こえているか?」

「はっ、はい!?」

 びくり、とセリアは身体を震わせる。急に話しかけられたものだから、声が裏返ってしまう。否、ダニエルの様子からして、実際には何度か話しかけられていたらしいのだが、ぼうっとしていて気付けなかった。

「色々と、思うところもあるかもしれないが……」

 若干言い難そうに、ダニエルは切り出す。

「当面の打開策が見付かるまで、ここにいる。誰が見ても、それが最善の選択なのだ。俺に遠慮したり、気に病んだりする必要はまったくない。俺も、追われる立場の者を助けたのだから、それなりの覚悟はしている」

 それはまるで、心を読んだかのような発言。セリアは束の間、言葉を失った。

「あ、あの」

 ようやく、ありがとう、と言おうとしたセリアを制するように、掌を翳す。

「礼なら、いらん……?」

「わかっているじゃないか」

 ダニエルは破顔する。セリアは何だか照れ臭くなってしまい、ダニエルから視線を逸らす。逸らした視線の先には、寄り添うように並ぶ梟の彫刻。君は、一人ではない。梟が、そう教えてくれているような気がした。

(どうか、何事も起こりませんように。無事に日々を過ごせますように)

 セリアは目を閉じ、祈りを捧げる。教会が――神が敵に回った今となっては、何に祈れば良いのか定かではなかったが、それでも祈らずにはいられなかった。


――――※――――

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