十二 …… 十月五日、昼

◆十二 …… 十月五日、昼


 ダニエルは斧を打ち込む手を休めて顔を上げ、額に浮かんだ汗を拭った。頭上に輝く太陽の光が目に眩しい。

(そろそろ、昼になるか)

 斧を地面に突き立て、その場を離れる。台車に積んでおいたバッグから、パンを取り出す。台車に寄りかかってパンを齧りながら、ダニエルは朝、一緒になって羽目を外した時の少女の笑顔を思い出していた。自然と顔が綻ぶ。何時の間にか、鼻歌まで零れていた。

 依然として、状況は好転していない。いつ何時、小屋に少女を匿っていると教会に知られてもおかしくはなく、かといって、少女を隣国に逃がす資金などある筈もない。一寸先は闇である。それでも――

(いい傾向だ)

 そう、ダニエルは思った。二人を取り巻く状況に変化はなくとも、少女が以前のように、朗らかに笑えるようになったのなら……それは先の見えない闇の中に差した一条の光であり、大きな前進と言える。

(次なる課題は……現状の打開、か)

 小屋に隠れ住んでいれば、すぐに教会の手の者に見付かる心配はないだろうが、いくらなんでも、いつまでもこのままでいる、と言うわけにはいかない。どうにかして、少女を隣国に逃がす手段を考えなくてはならなかった。

 少女を隣国に逃がす手段について、ダニエルには一つだけ当てがあった。ダニエルの数少ない知り合いの中に『情報屋』という、いかにも胡散臭い家業を営んでいる、オディロンという男がいるのだ。

(奴なら、もしかすると……破格の安値で隣国に脱出できる、そんな手段を知っているかもしれん)

 それでは早速、オディロンに相談してみよう……と言いたい処だが、話はそう簡単ではない。

 オディロンとて木偶坊ではない。今までの付き合いの中で、隣国への逃亡など匂わせたことすらないダニエルが、いきなり隣国への逃亡手段を聞いたとなれば、ダニエルが『魔女』を匿っていることぐらい、容易に嗅ぎ付けてくるだろう。

(それだけは、何としてでも避けなければならない)

 オディロンは金次第で、いかなる情報でも売る。もしオディロンに『ダニエルが魔女を匿っている』という情報が渡るようなことがあれば、二人は間違いなく破滅する。

(こちらの弱みを握られる可能性のある、直接の交渉は危険だ。第三者を間に立てるなどして、できるだけ遠回しに探ってみるしかあるまい)

 少女を隣国に逃がす方法を模索、検討している内、ふと、ダニエルの心に影が差す。

(情報屋の手助けを得て、隣国に脱出できたとして……少女はどのようにして、生活していくのだろうか。俺と一緒にあの小屋に閉じこもっているよりは、幸福な暮らしを送れるのだろうか)

 自問してから、ダニエルは自戒の意味を込めて、拳で額を小突く。

(少女の幸福の定義など……偶々彼女を助けただけの俺が考えるには、あまりにも過ぎたことだ)

 強い風が吹き抜けた。木々が一斉に、葉を揺らしてざわめく。えも言われぬ寂寥感が、ダニエルを襲う。

(俺は――寂しいのか? 少女が去り、一人になってしまうのを、恐れているのか?)

 まさか、と思いながら、最後に残ったパンの一欠片を口に放り込む。知らぬ間に、喉はからからに渇いていて、飲み下すのに苦労した。

(長年この森で、一人で暮らしてきた。誰に言われたわけでもない、俺自身の意志でそうした。今更になって、寂しいも何もないものだ)

 などと強がってはみるものの、心の奥底から沸き上がって来る感情は、到底誤魔化せるものではない。いつの日か、必ず訪れるだろう少女との別れに思いを馳せると、どうしても憂鬱になってしまう――それは事実として、認めざるを得なかった。

(できるならば、彼女と一緒にいてやりたい……いや、一緒にいたい)

 それは、色恋沙汰とはまた違う。父親が娘に対して抱くような慕情だった。


――――※――――

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