八 …… 十月四日、昼

◆八 …… 十月四日、昼


 ダニエルは台車を引きながら、市場を歩く。路地の両側には、様々な露店が軒を連ねていた。色彩豊かな果物。収穫間もない蔬菜。塩漬けにした豚肉。洒落た工芸品……多種多様な商品が所狭しと並べられており、見ていて退屈しない。

 あちらこちらから、露天商の威勢のいい売り声が聞こえてくる。市場は今日も、活気に満ち溢れていた。

 ダニエルは市場の外れあたりまで歩くと立ち止まり、台車を振り返った。業者に卸す材木を積んで来た台車には、今は市場で買った品物が載せてある。

(何か、買いそびれた物はないか)

 ダニエルはそんなことを考えながら、台車に載せた荷物を一つ一つ検める。

(大体、必要なものは買ったな。それどころか、久々の市場で、少々買い物が過ぎたくらいだ)

 購入した品の確認を終えて、帰路につこうと踵を返す。そこで、ダニエルは目立たない場所に吊り下がった『占い』の看板を見付けた。消え入りそうな筆致で描かれた案内矢印が、路地裏を指している。ダニエルは吸い寄せられるように、路地裏へと入っていった。

 ダニエルは占いなんて、今まで一度も頼ったことはない。だが、今は何でもいいから、指針が欲しかった。自分の進もうとしている道が果たして正しいのか、誰かに聞いてみたくなった。

 路地裏であるということを差し引いても、うらぶれていて、狭苦しい道だった。台車を引いたダニエルが通れば、人とすれ違うのですら困難になってしまう。

 道の一番奥は袋小路になっていて、そこに薄汚れた天幕が張ってあった。ダニエルは身を屈め、天幕を潜る。

 天幕の中は、丸テーブルが一つと、椅子が一組置かれているだけだった。水晶玉もなければ、ホロスコープもない。占いの看板を出していなければ、浮浪者の寝床と勘違いしてしまいそうだ。

 奥の椅子に、茶色いコートを着た老人が座っていた。フードを目深に被っているせいで、目は隠れてしまい見えない。

 老人はダニエルが入って来たのに気付いたのか、枯れ枝のような腕を前に伸ばす。

「そこへ座ってくれ」

 威厳すら感じさせる、重々しく低い声だった。ダニエルは言われた通り、椅子に腰を下ろして老人と向かい合う。

「何を占ってほしい? 見料は、占う内容によって変動するが」

 老人はそう言って、両手を重ね、テーブルの上に置いた。ダニエルは少し考えてから、口を開く。

「俺の、今後について占ってくれ」

 老人は緩りと、二度頷いた。その口許が、僅かばかり綻んだように見えた。

「わかった。15ゴールドだ」

 ダニエルは腰に下げた布袋から金貨を取り出して、老人に差し出した。老人はそれを受け取って懐に仕舞うと、ダニエルに向かって掌を突き出す。

「儂の手に触れるのだ。それで儂には、断片が見える」

「断片?」

 よくわからないまま、ダニエルは老人の手に触れた。老人は鹿爪らしい顔をして、目を閉じる。

「……ようし、見えた」

 数秒が経過するかしないかといったところで、老人は宣言した。

「これだけで、何かわかるのか?」

 老人の『占い』は、ダニエルの想像に反して、あまりにもあっけないものだった。訝しむダニエルをよそに、老人は訥々と語り始める。

「主は今、大きな運命の只中にいる。複雑に絡まり合い、一筋縄ではいかん運命だ。主の行動如何によっては、主自身、または主の近くにいる誰かが命を落とすことになるやもしれん」

「さらりと恐ろしいことを言ってくれるな」

 ダニエルは、頬を引き攣らせて笑った。

 大きな運命というのが何を指すのかはわからなかったが、ダニエルの行動如何によって、ダニエル自身か、近くにいる誰かが命を落とすというのは、何となくわかった。ダニエルは現在、魔女として手配されている少女を匿っているのだから、ダニエルの行動に二人の生死がかかっているといっても過言ではあるまい。

 なるほど、大して期待はしていなかったが、まったくの的外れというわけでもないらしい。が、それにしても随分と抽象的な物言いだ、とダニエルは思う。まあ、占いというやつは得てしてそんなものなのかもしれないが。

「その、大きな運命の只中にいる俺に、爺さんから何か助言はないのか」

 ダニエルは尋ねた。このまま帰ったのでは、悪戯に不安を煽っただけで終わってしまう。

「一つ言えることがあるとするならば……そう遠くない未来、主は失望を味わうだろう。しかし、だからといって、己の行動に疑問を持ってはならん。主は主の、信じた道を行くのだ」

「自分を信じて、思うままに行動すればいいということか?」

「そういうことだ」

 老人は、確信に満ち溢れた口調で言う。

「他には何か?」

「ない」

「そうか」

 ダニエルは席を立った。何分、雲を掴むような話である。参考になったような、ならないような、微妙な心境だった。思うままに行動して上手く事が運ぶなら、それは喜ばしいことなのだが。

「主にはまだ、未来がある……達者でな」

 天幕を後にしようとするダニエルの背中に、老人が声をかける。

「爺さんもな」

 ダニエルはちらりと振り向くと、右手を挙げる。老人は、ふん、と鼻を鳴らした。

「もう、主とは会うこともないだろう」


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