七 …… 十月四日、朝

◆七 …… 十月四日、朝


 昨日と同じように、セリアは雀たちの囀りで目を覚ました。上半身を起こして、大きく伸びをする。

 ダニエルはもう起きていた。外套を羽織り、紙幣や金貨の入っている布袋を腰に縛り付けて、外出の準備をしているようだった。

「ふにゃ……おはようございます」

 半分くらい垂れ下がった瞼をごしごしと擦りながら、セリアは言った。

「おはよう。昨日はよく眠れたか?」

「ふぁい。おかげさまで、ぐっすりでした」

 セリアはベッドから足を下ろして、欠伸を噛み殺す。

「ダニエルさん、どこかに出かけるのですか?」

「ああ。今日は、市場に用事がある。材木の出荷と食料の買出しだ。悪いが留守番を頼む。昼は、調理場にある食材を適当に食べてくれ」

「あ、わかりました」

 ダニエルは扉の前まで歩いて、おもむろに振り返った。ベッドに座るセリアを、名残惜しそうに見つめる。

「……じっとしていてくれよ。どこにも、行ってくれるな」

「えっ? あ……はい」

 セリアはその言い回しに、どこか不審なものを感じた。双眸に微かな困惑の色を滲ませつつ、返事を返す。

 この小屋にしか居場所がないことは、セリアが一番良く知っている。言われるまでもなく、じっとしている以外に選択肢はないのだ。それなのに――

(……もしかして)

 セリアは俯いた。胸中に一抹の不安が芽吹く。

(魔女を捕まえたとして、私を、教会に……?)

 扉の閉まる音がして、セリアは顔を上げた。ダニエルの姿はもうそこにはなかった。

(ダニエルさんは、教会に引き渡すようなことはしないって約束してくれた。それに……教会を嫌っているみたいだった。私のこと、魔女だとわかっていて助けたみたいな話もしていた)

 だから、きっと大丈夫。何も心配することはない。セリアはそう自分に言い聞かせた。しかし、一度悪い方向に転がり出した想像は、容易に止まってくれるものでもない。予期せず、リュシーの冷ややかな眼差しが頭を過ぎった。ベッドの上にじっと座っているのが居た堪れなくなって、立ち上がる。

 セリアは落ち着きなく、狭い部屋の中を徘徊した。何気なく、奥にある三つの扉に目を向ける。右の扉が風呂場だということは知っていたが、中央の扉と左の扉の向こうに何があるのかということまでは知らない。

 ちょっとした好奇心に駆られ、セリアは左の扉を開けてみた。ひんやりとした外気が、肌に触れる。扉の向こうは外――森だった。遠くに小さな川が流れているのが見える。川面が太陽の光を受けて、きらきらと輝いている。遠目からでも、水が澄んでいるのがわかった。あの川の水を、生活用水として使っているのだろう。

(ここは……裏口、みたい)

 セリアは扉を閉めた。今度は中央の扉を開く。扉の向こうは、雑然とした部屋だった。それなりに広いが、種々雑多な品々が床を埋め尽くしており、部屋というよりも倉庫といった風情だ。

(ここは……物置、かな)

 部屋の中を、ぐるりと見渡す。左手には、加工途中と思われる木材が山積みになっていた。現在の姿形から完成形を予想できるものもあれば、まったく予想できないものもあった。それらが無秩序に積み重ねられている様は、それだけで一つの前衛芸術のようだった。右手には、長方形の木箱が規則正しく並んでいた。中を覗くと、鑿や金槌といった工具がぎっしりと詰め込まれている。そして正面には、いくつもの引き出しが付いた大きなチェストが鎮座していた。

 セリアはチェストに近付いて、引き出しの一つを開けた。中には、何本もの彫刻刀が入っていた。長い間使っていないらしく、木屑と埃に塗れている。棚に飾ってあった森の動物たちを模った彫刻は、これを使って作ったものなのだろう。

(これだけで、あんなに精巧な彫刻を作っちゃうんだ)

 そんな感想を抱きつつ、その内の一本を手に取る。と、刃の部分に、赤黒い染みがついているのに気付く。

(これは、錆? それとも……血の跡?)

 何だか怖くなり、慌てて引き出しを閉めた。見てはいけない物を見てしまったような気がして、数歩後退る。

(私、何やってるんだろう……)

 不意に我に返り、セリアは自己嫌悪に陥った。子供の頃、化粧の真似事がしたくて母親の化粧台を勝手に弄った時のような、何とも言えない罪悪感が胸を締め付ける。

(もう止めよう、こんなこと)

 この小屋をいくら調べた処で、セリアの不安が解消されるわけではない。それに、家人の留守に部屋を物色するというのは、やはり気が咎める。

 セリアはチェストに背を向け、部屋を出た。そのまま裏口から外に出て、深呼吸を一つ。身の引き締まるような冷たい空気を肺一杯に吸い込んで、覚悟を決める。

(おとなしく、ダニエルさんの帰りを待っていよう)


――――※――――

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