三 …… 十月三日、早朝

◆三 …… 十月三日、早朝


 森に住む雀たちの囀りで、セリアは目を覚ました。

(私は疲れきって歩けなくなって、そのまま、倒れてしまって――あれから、どうなったのだろう?)

 判然としない記憶を抱えたまま、首だけを動かして周囲を見回した。窓から差し込む陽光に照らされ、部屋の輪郭がぼうっと浮かび上がる。

 徐々に、意識が明瞭になってくる。それに従い、視界もはっきりとしてきた。

 火の灯った暖炉。番の梟、雀、蝙蝠、果ては栗鼠など、色々な木彫りの彫刻や小物が雑多に置かれた棚。壁に掛けられた大きな斧。

(ここは……森の中に建てられた小屋)

 ベッドの横では、白い髭をたくわえた中年男性がロッキング・チェアーに揺られて眠っていた。

(この人が、私を助けてくれたのだろうか)

 ずきずきと、頭が痛んだ。セリアは眉間を押さえながら、ベッドから上半身を起こす。

 セリアが起き出す気配に感付いたのか、彼が目を開けた。

「む……目が覚めたか。具合はどうだ?」

「ちょっと頭が痛むけれど、もう大丈夫です。それより、あなたは……? 私を、助けてくれたんですか? 私は……」

 魔女として教会に追われているのです。喉まで出かかったその言葉を、セリアは咄嗟に飲み込んだ。

「俺はダニエル。この森で木こりをやっている。助けた、と言えばそういうことになるか」

 ダニエルは物思いに耽るように、目を閉じて大きく息を吐き出して。

「それにしても――魔女、か」

 ぼそりと、そう呟いた。

(私が、魔女だとばれている!? なんで? いや、そんなことより、逃げなきゃ――)

 ダニエルの言葉にセリアは困惑し、弾かれるようにベッドから飛び出した。が、寝起きの頭に疲労しきった身体である。

 逃げ出そうと足を踏み出したものの、その足がシーツに絡まり、派手に転倒してしまう。

「お、おい」 

 セリアの予期せぬ行動に、ダニエルは狼狽えた声を発しながら椅子から立ち上がった。

 セリアはダニエルの大きな体躯を恐れるように、怯えた表情で縮こまった。

「心配せんでくれ。取って食おうってわけじゃあない。教会の奴等に売り渡すようなこともしない」

 言って、ダニエルはセリアに手を差し伸べる。セリアはダニエルの目と、差し出された手を交互に見る。

 優しい、けれど悲しそうな目をしている……セリアはそう感じた。ダニエルへの警戒心が、ほんの少しだけ薄らぐ。

「……本当、ですか?」

 小さな声でそう言って、上目遣いでダニエルの表情を伺う。

「ああ、勿論だ」

 セリアはおそるおそるといった感じで、差し伸べられたダニエルの手をそうっと掴んだ。

「なんで、私が魔女として教会に追われているとわかったんですか?」

 セリアはベッドに座り直すと、いくらか落ち着きを取り戻し、ダニエルに問うた。

「わかるよ。雰囲気でな」

「雰囲気……? そういうものでしょうか」

 不思議そうな表情で、セリアは首を傾げる。

「ああ。若い娘が森の中で行き倒れているとなれば、この辺りでは、十中八九魔女狩りと見て間違いない。多くの娘たちが、無実の罪で追い立てられて捕まり……地獄のような責め苦の果てに殺され……最後は、襤褸布のように打ち捨てられる。何故、こんな世の中になってしまったのだろうな?」

 ダニエルは、寂しそうに目を細めて、椅子に深々と腰掛けた。

 セリアは驚いた。いかに人目が届かない山奥とはいえ、ダニエルは、堂々と教会への批判を行っている。

 セリアの住む町では、教会批判どころか、教会の名を口にすることそのものが半ば禁忌となっていた。

 それで、セリアは直感する。

(この人は、敵じゃない。でも――)

 どうして私なんかを助けてくれたのだろう。どうしてこんなにも悲しそうなのだろう。

 セリアに向けられた、ダニエルの瞳。その瞳は、セリアを通り越して何処か遠くを見ているように見えた。

 ダニエルが今何を思っているのか、それを推し量ることはできなかったが、彼の瞳に宿っているものが負の感情であることだけは、セリアにも分かった。

 

 時間の経過に伴って、セリアの気分は落ち着いてきた。

 炉辺に吊り下げられたヤカンから、カップに暖かい紅茶を淹れてもらう。

 その暖かさが雨で冷え切った体にはたまらなく心地良くて、涙まで出そうになってくる。

 一息ついて、自分の着ている服に気付いた。それは、セリアの体よりも一回りも二回りも大きいサイズの作業着だった。

 袖はセリアの指が隠れてしまうくらいに長く、裾に至っては足全体をすっぽりと包んでしまっている。

「これは……?」

 親指と人差し指で袖口を摘みながら、セリアが聞く。

「……あまりにひどい格好だったので、作業着を着せておいた」

 ダニエルは、少々ばつが悪そうに言った。

(あまりに、ひどい格好……)

 どんな格好をしていたのだろうと想像してしまい、セリアは恥ずかしくなった。無意識の内に、頬が紅潮する。

 ダニエルは咳払いを一つすると、立ち上がった。

「俺は、仕事に行ってくる。何もない小屋だが、好きに使ってくれて構わない」

 そう言って、扉に向かおうとするダニエルを、セリアは呼び止めた。

「あの……!」

「どうした?」

 と、ダニエルが振り向く。

「私で、何かお手伝いできること、ありませんか?」

 それを聞いて、ダニエルは力なく笑った。

「そんなに気を遣わなくてもいい。病み上がりに力仕事は無理があるだろう。……自分の体を大事にしてやれ」


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