第5話 おとがめ

 まどろみに包まれながら、城戸は薄く目を開けた。

 柔らかなベッドの感触。ここが真っ白い病室だと気付いたのは、近くに置かれた点滴とベッドサイドモニターがあったからだ。


「病院に運ばれてから……きっかり二十四時間。これだけ長い職務中の居眠り、見たことがないわね」


 どこか呆れ混じりの小言。城戸は上手く応えられず、凛とした声の方へ顔を向けた。

 黒髪のショートカットが似合う女性。窓から差す光に銀縁のフレームがきらめいている。整った眉はひそめられ、瞳に宿る感情は乏しい。パリッとアイロンがけされたグレーのパンツスーツに、城戸は覚えがあった。

 それはもう、この場から逃げ出したくなるほどに。


白鳥しらとり、主任……」

「じっとしてなさい。まずは医者を呼ぶから」


 カツカツとヒールの音を鳴らしながら、城戸の枕元まで寄った白鳥は、ナースコールを押した。間近だと疲労の色が見て取れる。やや赤くれぼったい目、微かにカサついた肌。

 スイッチを手放した白鳥は、ようやく一仕事を終えたとばかりに、壁に体を預けた。女性らしからぬ腕組みで、すらりと長い脚も交差させて。


「後始末は灰村を中心に処理させているから、気にしないこと。署の人達にも報告を怠らないように指示してある。私や城戸くんが現場にいなくても、緊急時でない限りは回るでしょう」


 さっと現状を伝えていく白鳥。城戸が心配しそうな事柄を予め考えていたかのようだ。ぼんやりとした城戸ではあったが、なんとか白鳥の言葉を噛み砕きつつ理解した。


「……皆さんに、迷惑かけましたよね。特に主任と灰村さんには」

「構わないわ。大まかな事情は上から聞いているし。部下を気遣うのも上司の仕事よ。それに灰村も、あいつにしては珍しく文句も言わずに請け負っていたわね。パートナーとして、少しは責任を感じているんじゃないかしら」

「……ですが、心配はかけました。すみません」

「そうね」と軽く息を吐いた白鳥は、「署に連絡しなかったのは大いに反省して頂戴。仕事を途中で抜け出すだなんて、城戸くんらしくもない」

「仰る通りです。すみません」


 それより――と白鳥沙織さおり主任は続ける。


「後で報告書も出してもらうけれど……昨日の一件、どこまで覚えているの、城戸くん」

「……俺、は」


 整理も兼ねて、城戸は記憶を手繰り寄せた。

 姫川との口論、無理やり連れ出され、公園でボマーと対立、最終的には人質となって気を失った。生きていることを素直に喜ぶべきなんだろうが、どうにも釈然としない。順を追って白鳥に話していても、何かが欠けている。


 話し終えたタイミングで、初老の医者が訪ねてきた。円形に剥げた頭は磨かれたように輝いている。背筋は少し折れ曲がり、温和な顔立ちで目は閉じているかのようだ。


「ああ、そのまま、そのままで良いです」


 起き上がろうとした城戸を片手で制止させ、医者はベッドサイドモニター前の椅子に腰掛ける。薄目を開けて画面の数値を眺め、「ふむふむ」と頷いた。すぼめた口も相まって、なんだかカッパが白衣を着ているようだと城戸は思った。

 タッチパネルを操作し、城戸の上半身をベッドごと傾ける。背に感じる機械の駆動。高そうな設備である。


「城戸優真さん。どこか具合の悪いところは?」

「いえ、特には」

「意識の方は、はっきりされてます?」

「はい。寝起きですが」

「体の方は動きますか。節々に違和感や痛みは」


 言われた通り、もぞもぞと掛け布団の下で動かしてみるが、不自由は感じない。


「問題なさそうです」

「経過は良好、と。結構です。念の為、明日まで検査入院してもらいますが、すぐ退院できるでしょう。あとは腕を慣らしていけば今まで通りに暮らせると思います」

「……腕?」


 城戸は首をひねる。医者は片目だけ開けて奥の白鳥を見た。彼女は静かにかぶりを振るうだけ。訳の分からない二人に怪訝な表情を浮かべる城戸。


「城戸さん、落ち着いて聞いて欲しいのですが」


 よっこらせと医者は立ち上がり、城戸の掛け布団に手を伸ばした。そして半分に折りたたむように布団を剥ぐ。


 腕、左腕――嫌な予感と記憶が結びつき、城戸に得体の知れない悪寒が駆け巡った。

 知りたいのに、知りたくない。相容れない感情が判断を鈍らせていく。


「義手への手術は、城戸さんが意識を失われている間に行いました」


 半袖の病衣から出た左腕は、人の物ではなくなっていた。

 滑らかな光沢を放つ白色。肘、手首、指の関節部には細かく切れ込みが見える。

 凍りつく城戸に、医者は「ショックでしょうが落ち着いて」と再び促した。


「最新鋭の節電義手です。微弱な電気信号を感知して、握りの強弱も遅延なく制御できます。機械音も最小限で――」


 城戸は瞬きすら忘れて、作り物の腕を凝視する。

 これは、何だ。まるで人形のパーツ。肘先に少し力を込めると、掌が目の前まで迫り、思わず顔をのけ反った。


「力加減には戸惑うかもしれません。なにせ本来の腕より軽いので。まあ焦らず、じっくり慣らしていきましょう。残念ながら繊細な触感までは読み取れませんが、それでも私生活には影響しないと思います。見た目が気になるようでしたら、ホログラムシートで隠すことも――」


 医者の説明が耳に入ってこない。

 ボマーに吹き飛ばされた左腕。あの局面で頭を庇っていなければ、今頃は墓の下で眠っていたことだろう。

 命が助かっただけでも、奇跡のようなものだ。

 だが、これは、あまりにも。


 人差し指から順番に折り曲げて、拳を作る。今度は小指から離していく。それは城戸が思った速さで動き、思った位置で止まった。その後、右手と比べるようにグーパーを繰り返す。

 熱も痛みも感じない。むしろ力を加えた右腕の方が負担だと思うくらいだ。


 あつらえた物であるかのように、二の腕との接合部も綺麗に繋がっている。

 本当に体の一部なのか。実感が湧いてこない。まだしも肘から先を、特殊メイクでロボット風にしたと言われた方が納得できる。


 機械に疎いわけではない城戸だが、ここまで義手の技術が発達しているとは知らなかった。確かに、これなら慣れれば日常生活に支障は出ない。

 最新鋭の節電義手。


「……あの……医療費は?」


 えらく現実的な問いかけに、神妙にしていた医者はカッパ顔をほころばせた。


「大丈夫、費用は全て公安特攻から支払いがありました。ここの個室代もね。左腕のメンテナンスが半年に一度ありますけれど、そちらの分も頂いてます」

「公安、特攻が……?」

「さしずめ口止め料、と言ったところでしょうね」


 白鳥が思わせぶりに目配せをすると、医者は「では私は、これで」と退席した。彼女の鋭い目付きを見れば、大抵の人間は『出て行け』と察するだろう。


「……どういうことですか、主任」

「表沙汰にしたくないんじゃないかしら。同じ政府下の役職とはいえ、民間人に近い修理課リペアルとあっては、あっちも面目が立たないのでしょう」

「どちらかと言うと、挑発した俺が悪いのでは」

「それでも、よ」白鳥は足を組み替えて「金で名誉を守れるのなら、躊躇わないのが公安特攻あいつらの手口。こうして最高級の治療を受けさせたのも、城戸くんの反感を買って事を荒立てないようにでしょうね。こすいったら……」


 さげすむような口調でもって白鳥は話す。公安特攻への不満を城戸以上に思っているのだろう。

 しかし今の城戸にしてみれば、どうにも責めるに責めれない。


「メディアには流れてないんですね」

「知っているのは政府関係者の、ごく一部。避難警報が解かれる前に動いていたみたい。早期治療には感謝しなくもないけれど、寄越したのは紙面上の謝罪だけ。誠意も何もあったものじゃないわよ」


 本来なら広々とした個室じゃなく、他の患者と相部屋で――左腕も包帯だけが巻かれていたのかもしれない。これだけ高価な節電義手を短期間で用意できたのも、戦闘に特化した部署のせる技なのか。


「……爆弾魔ボマーは、捕まりましたか?」

「ええ、城戸くんと一緒に治療を受けていたみたい。その後のことは分からないけれど」

「そうですか」


 意識が途切れる前、姫川が放った一撃。あれは素人目の城戸から見ても致命打となるものだった。良くて粉砕骨折、悪くて折れた肋骨が内蔵を傷つけたに違いない。それに同情するつもりは、さらさら無いが。


 わざとらしく白鳥が咳払いし、もたれた背中を壁から離した。


「とりあえず、一週間ほど休みなさい」


 聞き間違いかと思うような優しい台詞に、城戸は目を白黒させた。


「あなた、入社してから一日も有休を使ってないでしょ。働きすぎよ。腕慣らしや、気持ちの整理もあるだろうし」

「いや、俺は平気で――」

「どう見ても平気じゃない。殺されるかも分からない事態に巻き込まれて、退院後すぐに職場復帰だなんて……逆に周りから、ひんしゅくを買うの」

「ですが」

「まだ口答えするつもり?」


 そっと白鳥がバングルに手を伸ばす。彼女は役職上、『指導の一環』という名目で異能力の使用を許可されている。病院内で鞭に打たれるのだけは勘弁だと、城戸は引き下がった。


「しません。大人しく休みます」

「よろしい。あなたは優秀な部下だけれど、思い上がった傾向も見られる。少しは同僚を信頼なさい。人を勝手に値踏みするのは、城戸くんの悪い癖よ」

「……わかりました」


 白鳥は満足げに頷いて、戸棚に置いていた鞄から二枚の紙を取り出した。それを城戸に渡すと、窓の方に顔を背ける。


「主任……これは」

「城戸くんの退職願いと、私への直訴状。あとは判を押すだけで受理できるようにしてあるから」


 再び腕を組む白鳥。その声色は謝罪と後悔が入り混じって聞こえる。


「こんなことになるのを考えていなかったわけじゃない。それだけ修理課に危険はつきもので、重要性と責任も計り知れない。けれど私は、命を懸けるだけの仕事でもないと思ってる」

「……そんなことを白鳥主任が言うなんて、意外です」

「そう? ああ、まあ誰かの前で愚痴るなんて無かったしね」


 白鳥は長く息を吐いた。


「もし今の仕事に不服があるなら、辞めても構わない。修理課にとっては大打撃だけれど、私が皆を黙らせる」ぐっと白鳥の体が強張る。「城戸くんの左腕は取り返しがつかない。その恨みを私に感じるのなら、直訴状を上に送りなさい。上司として、受け入れる覚悟は、あるから」


 城戸は白鳥の後ろ姿を見て考える。

 答えは、悩むまでもなく出ていた。


「俺は――――」

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