第4話 セッション・タイムアウト
「お仲間が来る前に済ませてしまおうか」
「……来ないわよ、そんなもの」
対能力者戦に限っては、かの自衛隊や警察機構も介入はしてこない。それは政府で定めた人命を守る為の法である。自衛官、並びに警察官の役割は、あくまでも民間人の避難だ。どのような干渉も、過去に嫌というほど手痛いしっぺ返しを受けている。
非常時の対応を政府直属の部隊が一任する代わりに――いかなる責任も押し付ける形で、各機関は合意していた。
だが当の政府は、こんな事態になっても増援を寄越すことはしない。
姫川が身を置く『公安特攻』という部隊は、連帯感のある統率された組織ではないからだ。
下手な横やりは、むしろ足手まといになりかねない。
加えて、誰も彼もが正義感だけで勤めているわけではないのだ。
法を破れば戦犯。法の下に裁けば英雄のままでいられる。クラスAの能力者達を束ねている共通理念は、それだけ。
そして公安特攻に求められるのは、『犯罪者の無力化』という結果のみ。
「……っ」
生ぬるい風が吹く。未だ遠くに聞こえるのは警報のアナウンス。繰り返される場違いなメロディを、
張り詰めた緊張の糸を揺るがせたのは、口火を切った
「君の思い違いを、正しておこう」
城戸の後頭部に荒い息が掛かった。ボマーは砕けた右腕の痛みに耐えながら、言葉を紡いでいく。
諭すようにして、努めて穏やかに、それでいて断定的に。
「いいか、政府は真っ当な機関じゃない。君達が守っているのも仮初めの平和だ。確かに、今の世で生涯を平穏無事に終えた人もいるだろう。だが少なくとも、公安特攻に属する人間が、そうなることは無い」
「……何が言いたいの」
「いい加減、利用されていることに気付いたらどうだ、姫川ヘレン。政府の中枢にいながら、何の疑問も抱かないのか。捕まった能力者を最後まで見届けたことは? お前は――公安特攻を真っ当に辞めていった奴を、見たことがあるのか」
姫川は返事をすることが出来ない。何一つとして、ボマーの問いかけた答えを、知らなかったのだから。
単なる機密事項。そう捨て置くには、あまりにも不透明に過ぎる。
「僕と一緒に来い、
「……正気?」
「いや、狂気の沙汰だ。もう僕は、まともな生活には戻れない。しかし政府の手から逃れられるのなら安いものだ。自由の対価として、彼等の為に戦いもしよう」
「あんたのバングルを外した連中ね」
「そうだ。既に知っているとは思うが、『パラダイム』と言う」
ボマーの言葉には、妙な気迫が感じられた。言い訳をしているのでも、同調させるのとも違う、淡々とした物言い。
「その後ろ盾を使って、まだまだ救われるべき人は大勢いるんだ。お前が加わってくれるなら、きっと喜んで歓迎するだろう」
姫川は笑うように唇を動かした。
「冗談、あんたの話を
「……まあ、そうだろうな。僕も初めは同じように考えたさ。今、君に物的証拠を見せられる状況でもあるまいし、無理強いはしない。公安内部から疑惑の芽を育てるがいい」
解せない。ボマーの目的が分からない。わざわざ人質まで用意して、政府を批判したいだけなのだろうか。
会話が一区切りする度、得も言われぬ胸騒ぎに
「あんたは……これから、どうするつもり?」
「もちろん逃げる。彼を人質にしたままね。安全圏に入るまでは無視してもらおうか」
「そんな条件、
「殺すか? 彼を」
にたりと笑うボマーの人差し指が、城戸の肩に刺さる。爪を深く食い込ませただけで、城戸は苦痛の声を漏らしそうになった。
「やってみろ、姫川。ただの民間人を犠牲にすれば、お前の正義は崩れ去る。このまま追わないと言うのなら……そうだな、片足くらいは貰おうか」
「――ッ!?」
城戸の呼吸が止まった。まるで死体にでもなった気分だ。カラカラに喉が乾いていく。現実から目を背けるかのように、全身の五感が薄れていった。
そんな、そんな……そんな話があるものか。
論理や道理より、否定が働く。自分の命と引き換えに、姫川の片足が吹き飛ばされる。ふざけるなと
姫川を見る。彼女は凍えるような宣告を受けて尚、ボマーを睨みつけていた。そうして――ふと、目が合う。
たったそれだけで、彼女は威圧感を取り払い、小さな肩を震わせた。崩れ落ちそうになりながらも、気丈に。下唇を噛み締め、動かないでいる。
彼女は選んだのだ。自らの足を犠牲にすると。
肩先に食い込んでいたボマーの人差し指が、ゆっくりと離れた。
(や、めろ……)
死にたくはない。誰が好き好んで死に急ぐ。家族も友人も仕事も、城戸は背負っている。それを何もかも簡単に投げ出せるものか。
嫌でも連想される爆破後の自分。あの酸素を吸い込み破裂させる凶悪な音。炭となるか、あるいは生々しくも千切れるか。
城戸は試されている。二十四年間の経験を結集させて、たった一つの問いを。
彼女の為に命を差し出せるか――その答えを。
時間は限られていた。だが城戸にとっては、一秒が細かく寸断され、数分にも思えた。
さっき出会ったばかりの彼女。
憎まれ口を言い合い、色々な表情を見せた。公安特攻の化物、ダブルスタンダード。若くして経験した修羅場は、おそらく城戸の想像を遥かに超えることだろう。
それでも、彼女は人間だ。
年相応の、女の子だった。
何より許せないのは、
その怒りは、忘れてはいない。
(これ以上、奴に壊させはしない……!!)
行動に移す刹那、城戸は気付いてしまった。
彼女の為に命を差し出せるか、ではなく。
彼女を犠牲にしてまで生き延びたいか、という問いの答えを。
倫理観、道徳心、育まれた常識を持ってして――城戸は、愚かで非常識な行動を選んだ。
それと呼応するように、止まっていたはずの体が熱を帯びる。
考えるより早く動け。
(さあ、離れてやったぞ。これで遠慮なく、その能力が使えるんだろう!?)
人質としてではなく、攻撃対象にさせる。
これが城戸に出来うる、精一杯の抵抗。やれるだけのことは、やったつもりだ。
あとは精々、遺言のように呟くだけ。
たっぷりと皮肉を込め、口の端を吊り上げて。
「お前が粉々になれよ、
「――――馬鹿がッ!!」
ボマーの照準が変わる。声と同時に左腕が振り下ろされる。
城戸の目の前で、炎が咲いた。それに目をやられたのか、断片的な画像しか映ってこない。
反射的に顔の前へ出した左腕が……肘から先、消し飛んだこと。
ボマーの横腹を、すかさず姫川の拳が射抜いたこと。
その後すぐ、泣きそうな表情をして城戸の肩を掴む、誰かのこと。
後悔はしていない。諦めずに足掻いて、それでも理想に届かなければ、仕方がないのだ。
視界が黒く、暗闇に染まる。
城戸は意識が途切れる間際、『らしくないことをした』と思い返した。それは冷静沈着な彼らしく、どこか傍観者のようであった。
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