第3話 アビリティ・バトル

 ただ呆然と、城戸は事の成り行きを見ることしか出来なかった。


 さながら映画のワンシーン。今までつちかってきた常識が全て通用しないような、別世界のルールが支配しているような――経験したことのない感覚が、ずくずくと胸の辺りに広がっている。


 これが公安特攻と暴徒の戦い。

 能力者同士の、つばぜり合い。


 恐怖や悲観といった感情は無く。頭の中を埋め尽くしていくのは、名状しがたい不安。

 爆弾魔ボマー、そして公安特攻である彼女は、同じ能力者として延長線上に居ない――あまりにも住む世界が違う、別種の何か。

 そう肌で感じてしまうのは、城戸の人生が平凡の一言で済まされるからだ。


 幼小中高大学と並みの成績を振るい、政府からの斡旋あっせんにも逆らわず、決められた職に就く。それなりに嫌なことも楽しいことも味わった。それを不幸や幸福だとも思わないで、『こんなものか』と受け流す。


 整備された単調な道路を淡々と走り続け、いずれは人並みに果てていただろう。

 彼女のように、生か死かの選択を迫られることなく。


「気軽にフルネームで呼ぶんじゃないわよ。あと、その二重規範ダブルスタンダードっていうのも嫌なんだけど」

「……ふん、化物には似合いの呼称だろうが」


 先程までの余裕は消して、ボマーは皮肉を吐き出した。

 姫川ひめかわヘレンと告げられた彼女は、挑発を受けても表情一つ崩さない。言われ慣れた揶揄やゆなのか、それとも気にするまでもないのか。


「あっそ、もういい」


 互いの距離は約二十メートル。

 右手首を数回振り、一直線に飛び出した姫川は――たった二歩で、その間を詰めてみせた。

 驚くべき快速。


「シッ!」


 低く、可能な限り身を屈めた状態からのアッパーカット。しかし、それは無残にも空を切る。

 姫川の行動を読んでいたボマーは、後ろへ飛び退いていた。すかさず右手を掲げ――


「っそがああああああッ!」


 まるで火山の奔流が如く、辺り一面が橙色に染まった。遠巻きに見ていた城戸のところにも、熱波と閃光、爆音と黒煙が渾然一体こんぜんいったいとなって迫る。


 至近距離での最大火力。

 眼前は硝煙しょうえんのスクリーンに覆われている。常人であれば木っ端微塵になっているのだろうが、ボマーは慢心することなく煙の中を透かし見た。

 この程度で倒れるわけがない。


 やはり、まだ彼女は原形を保っている。


「けほ、何度やったって同じ」

「どうかな……!」


 煙たがる彼女に何らかの勝算を見出したのか、ボマーは口の端を歪ませた。

 化物を相手にして尚、全身の震えを誤魔化すように、さらなる爆裂を姫川へ叩き込む。


 姫川が爆風の影響を受けない重力制御、加えて身を守るを発動させているのは間違いない。

 いかに二重規範ダブルスタンダードとはいえ、二つの能力を自由自在に操るには相当な集中力と練度が要るはずだ。

 だがそれは、。そこにボマーは賭けていた。


「そらそらそらそらそらぁァアアア!!」


 絶え間なく手榴弾を放り込んだような、連鎖する爆発 。あっという間に姫川が橙黄色の海に飲まれた。

 何度も乱暴に鼓膜が叩かれ、城戸は次第に高音の耳鳴りしか聞こえなくなった。


(ま、て、死――)


 ぞわりと、城戸の胃袋が緊張に沈んだ。とっさに制止させようと手を伸ばすが、それが届くことはない。戦闘能力など皆無な城戸は、傍観者でしかないのだから。


 城戸優真は街を壊していく犯罪者……そして、公安特攻すらも恨んでいた。もっと隠密に、被害を最小限に抑える努力は出来ないのかと。

 かつて起こった、大規模な二次災害の映像が脳裏をよぎる。

 三十年前の悲劇――能力を悪用したテロリズム。

 民間、そして政府も多くの犠牲者を出した。その過ちを繰り返してはならないと、今の時代に生まれた人間であれば誰もが知っている。


 犯罪者は元より、公安特攻の暴挙も、城戸にとっては等しく度し難い破壊でしかない。修理課リペアルの職に就いてからは、一層その気持が強くなった。


 だが、これは駄目だ。

 こんな常軌を逸した武力において、『穏便に済ませる』という選択など望めない。下手をすれば悪戯イタズラに犯罪者を刺激し、被害を拡大させるだけ。無人機にしても同じだろう。少数精鋭である公安特攻に任せた方が、まだしも機転が利くし無難というものだ。


 能力を使う犯罪者は、同じく能力者によって排除されるべき。

 そう……あたかも創作物で見る、ヒーローのように。


 天高く立ち上る黒煙。

 苛烈さを増したボマーの猛攻は、ようやくついえた。


「――ふっ!!」


 瞬間。煙の中から突き出された拳が、ボマーの反射的に畳んだ腕に刺さる。

 あり得ないことに、ボマーは

 くの字に折れ曲がった体は、そのまま公園周囲の樹木に打ち付けられる。受け身も取れず、俯せに倒れ伏す。後に続くようにして木の葉がヒラヒラと舞い落ちた。


「ぐっ……げ、ぁ……ッ!」


 背中の衝撃がボマーの肺から空気を奪った。かろうじて意識は残っている。痛みよりも先に、『何かが割れた』という思いが脳を支配していく。次いで気絶した方が楽であろう痺れと熱が、痛覚という形でボマーを襲った。


 右腕が折れている。それも粉々に。

 けれども視線は、一瞬たりとも彼女から離せない。


「こういうところよ、あんた達と差が出るのは」


 一歩、二歩と。黒煙から姿を現した姫川は、ふんと鼻を鳴らして服についたすすを払った。へそ周りと肩半分、それに股のラインがあらわになった防護服は、まだ際どくも彼女を守っている。

 未だ変わらないのは綺麗な肢体したいと、鮮やかなプラチナブロンドの髪だけだ。


「そ、んな……どぉ、しで……」


 ボマーは信じられないモノを見るような目で訴える。しかし姫川の素っ気ない態度は変わりなく。


「特別なことなんてしてないわよ。そっちが息巻いている間に、私は息を止めてただけ。あと三十秒は耐えれたけど。案外、息切れするのが早かったわね」

「な、ぁ……!?」


 政府が異能力を監視・運用しているというのは、個々人に制限が掛かっていることに他ならない。

 それ故に、バングルが外されるのは政府への明確な反逆であり、処罰の対象となりうる。意図的に外した瞬間からテロリストの仲間入り。即刻、追われる立場だ。当然、上手く逃げおおせるまでは、戦闘訓練を積む時間など与えられない。


 言うなれば素人に刃物を持たせたのと同じ。扱い方は分かるが、それを戦いに昇華させるまでには至っていない。肉体も、能力の使い方も、まだまだ未成熟なのだ。

 対して公安特攻は犯罪者と戦う為、日夜訓練に明け暮れるプロフェッショナル集団。どれだけ犯罪者の持つ刃が鋭かろうとも、練度の差は歴然としている。


「バングルの撤去、公務執行妨害に器物破損、殺人未遂。ま、一生牢屋からは出られないでしょうね。誰がセーフティーを外したのか洗いざらい自白して、お終い。もしくは、この場で処理しちゃうか」


 突き放す姫川の台詞を聞き――七三分けの乱れたボマーは、内から湧き上がる感情を爆発させた。


「ぅぎ、がぁああああああああッ!!」


 獣のような咆哮。だらしなく糸を引くよだれ

 左手を支えにして、決死の思いでボマーは立ち上がった。


 姫川は『そんな根性あったんだ』とでも言いたげな目を送る。不意打ちも最大火力も通じない、勝敗が決したも同然の犯罪者に、再び口を開く。


「死にたいの?」


 さらりと。達観した表情で紡がれた言葉に、城戸は絶句した。

 どちらが敵で、どちらが虐げられているのか、もう城戸には分からない。


 こんな世界なんて、知らなかった。

 こうも軽々しく命を取り合う光景が、地続きに存在することも。年端もいかない女の子が、危険に身を晒しているのも。


 メディアというフィルターを通さないで直に、否が応でも感じてしまう。

 見ていられないし、見たくない。


(……そうかよ)


 彼女が『ここで見てて』と言った意味を、ようやく城戸は理解した。


(目を逸らすな、ということか)


 公安特攻も修理課リペアルも、等しく政府の機関だが、臨む覚悟に開きがありすぎる。

 かけ離れた世界の住人だからこそ、城戸の放ったという『守るべき人からの言葉』が――テロリストと一緒くたにされたのが、どれだけ彼女に響いたのか。

 それは、おそらく姫川のを揺るがすほどだったに違いない。


 ありのままの実状を見せ付ける為に、彼女は。


「ネタが分かれば、あんたなんて敵じゃないのよ。さっさと投降しなさい。私が手を下す前に」

「処理? 投降、だと? 分かってないな。何一つ理解していない凡俗め。手の内を明かしたのは、お互い様だろうに」


 打つ手を封じられて尚、ボマーは狂笑を浮かべた。それはまだ、彼が狩る側の人間であることを証明している。


「君の素早さは、自重と引き換えだ。爆風を踏み止まる為には、自身を重くするしかない。逆に高速移動している時に喰らえば、初戦のように吹き飛ばされる」

「……だから?」

「だから、そこに活路があるということだよ」


 ボマーは視野が広く、そして姫川は浅慮でしかなかった。


 あろうことかボマーは、天敵たる姫川から視線を外した。

 危機的状況を打開する唯一の突破口――新たな標的。


「ふははははははははははははッ!!」


 前衛姿勢になったボマーの足裏から、火が吹いた。その爆風を利用して、まるで水面を跳ねる飛び石の如く――定めた狙いへ、一直線に迫りくる。


「っ、させない!」


 その狙いが何なのか、姫川は迂闊にもボマーが動いてから気付いた。自身を軽量化させ、すぐにでも追いすがろうとする。


 だが。


「――――ャッ!?」


 踏み抜いた地雷により、その華奢きゃしゃな体は宙に舞い上げられた。能力によって損傷は無いものの、致命的なタイムラグだけは埋められない。

 即座に姿勢制御をしながらも、姫川は直視せざるを得なかった。


 ボマーの標的は明らか。

 この場において何の戦闘能力も有しない――善良な公務員、城戸優真である。


 ぎょっと顔を強張らせている間にボマーは城戸の背後へと回り、折れていない左腕を首に絡み付かせた。


「動くなぁ」


 闇の中でささやくような冷たい声が、城戸の耳元で反響した。咄嗟に振り払おうとした手がピタリと止まる。金縛りの如く動けなかった。


「腕を降ろせ。ゆっくりと……」


 ボマーの掌は、どこを向いている。最悪だ。腰を抜かしかねないほど力が抜けていく。

 この状況は、城戸にとって銃口を当てられているに等しい。垂れ下がる両腕。足は震え、心臓が早鐘を鳴らした。


「喋れば殺す。何かしようとしても殺す。僕の命令に従わなければ殺す。殺した後、君は肉の盾となる。そうなりたくなければ、頷け」


 不思議と、頷くことだけは出来た。


「そこで止まれ、姫川ヘレン。彼が消し飛ぶぞ」

「っ……!」


 初戦の経験を活かし、既に着地していた姫川だったが、距離を詰めることだけは許されない。

 彼女の瞳は、まるで親とはぐれた迷子のように揺らいでいた。関係ない人間を巻き込んだ罪悪感と、自分の至らなさ。フラッシュバックする苦い記憶。


 余裕を欠いたボマーの言葉が、ハッタリでないのは分かっていた。姫川が動こうものなら、ボマーは躊躇いなく殺人を犯すだろう。

 諦めによる自棄。追い詰められた犯罪者は、決まってそうする。姫川の堅く握られた拳は、わなわなと震えていた。


「離しなさい、ボマー」

「ああ、そうしよう。じっくり話そうじゃないか、二重規範ダブルスタンダード


 まるで予定調和だとでも言わんばかりに。

 形勢は、逆転していた。

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