第2話 ワースト・コンタクト

「おい……そこの公安特攻」


 城戸自身でも驚くほど冷めた物言いだった。ぐい、と空色のゴーグルを額にまで押し上げ、細めた目を向ける。


 空から降ってきた女の子は、腰に手を当てながらも立ち上がった。アメ色の綺麗な瞳は薄っすらとうるんでいる。まだ痛むらしい。ヒップドロップで気絶したジャージ男を振り返って、不機嫌そうに唇を尖らせた。


「もう、どうして民間人が避難してないのよ。警報だって鳴ってるのに」

「おい」

「うるさい、聞こえてるわよ」


 これまた仏頂面で、女の子は絹糸のような髪をき上げた。人一倍の我慢強さを自負していた城戸だが、こめかみを僅かに痙攣けいれんさせる。

 服についた汚れを払いながら、女の子は事もなげに口を開いた。


「あんた公安のでしょ。ここ、まだ戦闘区域だから。さっさと出て行ってくれない?」

「――なに」


 掃除屋という言葉に対して、城戸の苛立ちは募っていく。またしても油が注がれた。


「はっきり言って迷惑なの。あんた達みたいな民間人が居ると、犯罪者共と戦えないじゃない」


 ぐつぐつに腹の中が煮えくり返り、その怒りにより青筋が浮かんだところで――

 城戸は、ついにキレた。

 すっと息を吸い込む。


「迷惑してるのは、こっちなんだよ特攻バカが! お前らが所構わず壊した物を、誰が直してると思ってんだ。無闇やたらと仕事を増やすな!」


 思ってもみない反撃だったのだろう。女の子は年相応にキョトンとして、段々と色白の頬を赤く染めていった。


「は、はあ? ど、どうして私が、そんなこと言われなきゃいけないわけ!? 何なのよ、あんた!」

「俺は修理課リペアルだ。お前らが壊した物を、修理して回ってる。散らかすだけ散らかした後始末だよ。断じて掃除屋なんかじゃない」


 売り言葉に買い言葉で返した城戸に、女の子はボルテージを上げるかと思いきや――何故かうつむいてしまった。

 見れば肩が小刻みに震えている。いくら腹を立てていたとはいえ、未成年相手に容赦が無さすぎたか、と城戸が鼻先をいていると。


「……カッチン」


 ぼそりと呟いた古臭い台詞は、これでもかと怒気をはらんでいた。下を向いたまま、ふらふらと城戸まで近づき、くっと顔を上げる。その勢いで前髪が左右に分かれ、端正な顔立ちが現れた。

 あまり外人と接点のない城戸は、人形が如き美しい造形に一歩引いてしまう。


 しかし、それを許す彼女ではなかった。

 城戸の二の腕を掴むと、女子とは思えない力で引き寄せ、無理矢理に腕を絡めた。肘に当たる胸の膨らみ――それを意識する暇さえ無いほど、唐突な行為。


「何も知らないクセに」

「な――っ!?」


 瞬間、城戸の身体が異常をきたす。急激に内臓器官が迫り上がり、ひっくり返されたかのように視界がブレた。胃酸を嘔吐おうとしなかっただけでも立派だろう。


 女子高校生にリードされ、夢物語さながらに。

 気付いた時には、城戸の身体は宙を浮いていた。

 いや正確には、ゆっくりとではあるが落下している。住宅屋根に飛び移り、彼女は再び足元を蹴った。城戸は歯を食いしばりながら、必死になって自我を保つ。


 置かれた状況を整理する間に、はたと思い返す。


(こいつは、公安特攻で間違いない。けれど、!)


 政府によって監視、運営される異能力は、満16歳をもって与えられる。人によっては発露はつろしない場合もあるが、大抵はヴァージン手つかずを卒業するものだ。それに早いも遅いもない。きっちり16歳で政府の機関に招集され、社会へ貢献こうけんする為の『能力開発カリキュラム』が適応される。


 能力のクラス分けはカリキュラム内で行われるとはいえ、公安特攻に勤めるには厳しい訓練と実績が必要だろう。ただのA判定だけでなれるものではない。そういった認識は、マスメディアの報道を通して城戸自身も理解していた。


 だからこそ違和感がある。

 ヴァージン手つかずを卒業して、そこいらの年齢で――あの赤いバングルを着けることは、叶わないと。

 つまり、この女の子は、ただ者じゃない。


 一回の跳躍で三棟を越えていく。不思議なのは、着地の際に一切の衝撃が無いことだ。しかし速度による体への負担は変わらず。

 こんな状況では女の子から離れる方が危険だろう。流されるまま空中を飛びつつ、城戸は言葉を紡いだ。


「お前、どこに!」

「慣れない内は舌噛むわよ」


 先程とは打って変わって余裕そうに応える、プラチナブロンドの美女。チラッと城戸の方に目を配ると、小悪魔のような笑みをたたえていた。城戸の背筋に冷や汗以上の寒さが伝う。


「あんたの言う『わきまえない連中』が、どうやって戦ってるか、その身で確かめてもらおうじゃない」

「んな、冗談じゃ――ぉあ!?」


 一際、大きな跳躍。またしても内蔵が引っ張られた。ゆるやかに下降して、開けたところに着地する。

 住宅街にある憩い場、噴水公園。周囲を雑木林で囲い、街路灯とベンチが点々と置いてある、洋風のおもむきだ。


 そこに辿り着いた矢先、城戸はバランスを崩して無様に倒れた。羽のように浮いた感覚は消え去り、質量を伴って重くのしかかる。その不快感に思わず手を口元へと運んだ。


「ここで見てて」


 女の子は短く言い放つと、公園の中央――噴水に向かって歩き出した。パキポキ指を鳴らす堂々としたたたずまいは、やはり普通の女子高生とは思えない。

 ようやく調子を取り戻してきた城戸は、戸惑いながらも視線を持ち上げた。


 噴水のヘリに腰掛けていたのは、七三分けの中年だった。地味なネクタイを締めたスーツ姿に革靴。ともすれば外回りの営業をサボっている、うだつの上がらないサラリーマンにもうかがえる。


(あいつ、バングルが……?)


 無い。装着されていない。

 能力者にのみ与えられるバングル。それは能力者の膨大かつ緻密な情報を、リアルタイムでスーパーコンピュータに蓄積している。能力者のバイタルサインを正確に読み取り、能力行使の有無、その履歴や現在位置までもを特定せしめる。

 つまりバングルをしていないということは、無能力者か――あるいは、の二択だ。


 くだんの男は物騒な女の子を見るや、左右に首を振って、やれやれと溜息を吐いた。


「……また君か。しつこいな」

「ふーん、逃げないんだ。意外ね」


 冷ややかな視線を浴びても、男はおくさない。ぼんやりと空を見上げ、右手首を擦った。


「厄介な存在だよ、あの衛星は。バングルが無くても、いずれは見付かってしまうだろう。だからと言って、無作為に暴れ回るのは私の本意ではない。ここは建設的に話し合おうじゃないか」

「往生際の悪い犯罪者と、何を」

「もう止さないか? 君は追わない。僕も頻繁ひんぱんには能力を使わない。それでいいじゃないか」

「私は指示に従うだけ。決めるのは上の人達だし。今の法律じゃ『バングルの破壊』は許されてないの」

「君は政府の言いなりで構わないのか? そのバングルだって、どれだけリスキーな物か分かっているだろうに。特に君達のは――」


 ふん、と鼻を鳴らして彼女は男の言葉を遮る。


「犯罪者の常套句じょうとうくね。都合が悪くなったら、すぐ交渉しようとする」

「話にならないな」

「話そうとしてないし。いいから大人しく捕まりなさい」

「それは子供の理屈――だなッ!」


 男が声を荒げたことにより、穏やかで平和な休日の一コマは――城戸きど優真ゆうまの現実感は、


 耳をつんざく爆音。光の明滅。

 よろめいた城戸は、何が起きたのか知覚できない。炸裂したのが地面のコンクリートだと気付いた時には、既に大量の粉塵ふんじんが舞っていた。


「離れていると思って油断したかい。何も近距離だけで爆発するわけじゃないんだよ、私の能力は。地雷――という手もあってね」


 口角の上がった男の静かな独白だけが、煙立つ公園に聞こえていた。

 一気に噴出した全身の汗が蒸発するような悪寒。あまりにも乖離かいりした非日常。


 予備動作も何も、あったものじゃない。仮に出来たとしても人の反応速度を超えている。何よりタチが悪いのは、それが『目では捉えられない地雷である』ということだ。見抜く手段は、おそらく爆弾魔ボマー本人でしか分からないだろう。


「避けるだけが脳の君では、太刀打ちできなかったんだよ。初めからね。ふは、噂の公安特攻も大したことな――」


 言い掛けたところで、誰かが咳き込む。

 それはボマーと呼ばれる男でも、ましてや遠目に見ているだけの城戸でもない。


 人気のない公園に、一陣の風が吹いた。立ち込めた粉塵を洗いざらいさらっていく。


「……お気に入りの防護服だったのに、どうしてくれるのよ」


 そこに立って居たのは、姿


「馬鹿、な。あり得ない」


 爆心源の足が吹き飛ぶどころか、靴一つとして原型を保っている。ところどころバミューダパンツが破けて肌は露出しているものの、どこにも火傷や出血のあとは見られない。


 言葉こそ気軽なものだが、彼女は犬歯を剥き出しにして、端正な顔を引きつらせた。


「残念でした。避けるだけが取り柄じゃないのよ、私は」


 まるで鋼鉄のような頑丈さ。

 ボマーはポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭う。その奥の鋭い眼で忌々しくにらみつけた。


「なるほど、そうか。お前が……あの、二重規範ダブルスタンダード姫川ひめかわヘレンか!」

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