第19話 スクランブル交差点の死闘③

 渋谷駅前の高架橋の下という、いつもなら車通りの多い路上に片膝をつき、そして俺は通りを眺めていた。


 井ノ頭通りはもう目の前で、週末とあってかなりの人がいただろう。路上には多くのブレーキ跡が残されて、その先には転がった車もある。アスファルトにはバラバラと人が倒れているが、黒い染みの広がりを見るにもう生きていないだろう。


 ショーウィンドウの多くは割れ、破片が辺りへ飛び散っている。終末はまだ先だろうけど、少なくともこの周辺だけはそれっぽい。ごろごろと死体も転がってるしな。


 死者を見るのはこれが初めてだった。いや、警官のときも目にしたか。だけどこの据えた匂いというやつはどうも慣れそうにない。

 恐怖に呑まれないよう俺は思考を働かせてゆく。


「パニックを起こし、道路に飛び出た、か?」


 道路に飛び出してはいけません、という言葉は誰しもが小学生にあがる前から教わる。ではその言いつけを忘れさせた相手はどこにいる。恐怖を撒き散らした元凶はどこだ。

 すぐ目の前に倒れていた男性は、少なくとも死因は交通事故じゃない。顔面にごっそりと穴を開けており、ゴミ虫どもと同じ貫通攻撃を受けたのだと分かる。言うまでもなく非常ぉーにグロい。


 もう悲鳴も聞こえてこない駅前に、視線をゆっくりと動かす。

 敵から倒されたと分かる遺体。それを順に目で追ってゆくと……いた。あれだ。待ち合わせでも使われる銅像に、真っ黒い塊がある。それは繭のように糸で固定されているが、バキ、バキッ、と内側から何かが出てくる。


 やがて全身を現したそいつは、かろうじて人型をしている虫だった。

 身の丈は2メートルくらいあって、力強そうな体格をしている。その触手だらけの顔を見て「やっぱりモンスターだったか」と俺は呟く。

 同時にもうひとつの謎も解けた。それは急激にレベルをあげるギズモらが、最終的にどうなるのかという謎だ。


 そう、ああなってしまう。

 十分に力を蓄えると、完成形として強力なモンスターが出来上がるという流れだ。これまで数多く倒してきたゴミ虫どもは、あのまま放置していたら大変なことになっていた。

 な? 俺が素材にしといて正解だったろ?


 ガイド君、あれで完成形か? もう強くならない?


《 異なる世界では完成形でしたが、環境が異なるため推測不能です 》


 どっす、と虫人間が地面に降り立ち、さらなる獲物を求めて歩き始める。それを眺めながら、なるべく落ち着こうと再び思考にふける。

 たぶんだけど、あれにはまだ先があると思う。例えばだけどさ、もう一体のメスが現れたらどうなると思う? そう、次にやってくるのはより最悪とも言える「繁殖」だ。


 ふー、ふー、と息をし、物陰に潜む俺はアドレナリンの高まりを感じていた。手には闇礫の剣バレットソードがあり、ぎゅっと掴んで恐怖心を薄めさせる。

 悠々と歩くソイツは人型の魔物で、これまで散々倒してきたギズモらと似た色、そして雰囲気があった。見るからに強いと分かるし、考えなしに突っ込んではアウトだとも分かる。


 まずは連絡だ。懐から携帯電話を取り出すと、昨夜の連絡先へとかける。

 しばらく待つと刑事の男に繋がった。


「西岡だ」

「やあ、後藤だけどさ。渋谷の件って、そっちではどう動いてる?」


 口元を袖で押さえ、魔物に警戒をしながら話しかける。しばしの沈黙を置いて、相手は返事をした。


「……どうなってる、お前の言っていた予想と違うだろう。どうしてこうなった!」

「あくまで予測と言っただろ。それよりもはやく状況を教えろ。時間がない」


 受話器からは騒々しい話し声が飛び交っており、大混乱の様子が伝わってくる。サイレン音も聞こえるから、ひょっとしたら車で移動中なのか?

 普通なら俺みたいな奴に情報を教えはしないだろう。だけど一晩きりとはいえ戦友でもあった。彼は周囲へ聞こえないよう声を抑え、説明をしてくれた。


「いまは周辺封鎖と同時に第八機動隊を動かしている。もう現場についているころだが、こちらはまだ何が起きているのかも分かっていない」

「言っちゃいなよ、魔物が出たぞって。そうしたらあと一時間で信じてくれるって」


 狼少年の逆バージョンってやつだ。

 ほんと自分がやらずに済むのってすごく楽。めんどくさいことを押しつけるだけで良いって素晴らしいね。


 それと機動隊をすでに出動させていたとは恐れ入る。もし自動小銃の装備まで認めているなら、水面下で政府側も動いていた可能性だってある。だけどそうはならない。だって上の人たちは責任なんて取りたくないから無難なほうで話がまとまっちゃう。

 なので、まず彼らが出来るのは偵察までだ。


「まあいいや。ちょうど魔物を見てるとこだけどさ、かなり強いぞ。こっちの生映像見たい?」

「……後藤、まさかそこにいるのか? いやもちろん見たいが、どうやってスマホで映像を見るんだ?」


 えっと、言っておいてなんだけど俺もよく分からん。そういやテレビ電話みたいな機能とかあるんだっけ? そんなのリア充どもしか使わんだろ。

 いや、そんなふざけたことを話している場合じゃなかった。悠々と歩いていた人型の魔物だが、車の影に隠れていた一般人が逃げ出したんだ。


 ワアアアーー!


 あれは助けられないし、魔物が口内から何かを射出すると、すぐにパッと血煙が舞う。

 フーーと長い息を吐いたね。いまの悲鳴を消した一撃は、こちらと同じ攻撃手段、遠隔射撃だった。しかも威力は桁違いときたもんだ。


 ごっくと唾を飲みこみ、様子をさぐる。

 奴はなにをする気だろうか。かがみこみ、がぼりと口を開いたのにはどんな意味がある。だけどその先の光景はさすがに見れなかったよ。頭骨にかじりつき、中身を……うっぐ、あんなの見たくねえっての!


《 恐怖耐性が上昇しました 》


 酸っぱい胃液が出てきた。おまけに心臓は早鐘のように鳴り始める。

 あんなのを相手にできる奴なんているのか? 甲殻は鎧のようだし、赤い複眼は幾つあるかも数えきれない。

 少なくとも西岡さんと話していられるのはそれまでだ。多少なりとも状況は分かったので、携帯をそのまま腰に吊るす。


《 ハイド技能が上昇しました 》


 そりゃ上がるでしょうねぇ。だって命がけだもん。

 奴はのんびりと食事をし、俺はいつ死んでもおかしくない思いをしている。時々、ふっと日常の思い出に浸ろうとするんだ。ラーメン食いたいなー、とかそういうやつ。

 これはあまり良くない。頭が現実逃避をしたがっているんだ。勝てないと思える相手に、ただ隠れているだけで集中力は限界を迎えていた。


 さて、どうする。

 相手はどう見ても格上だ。そして俺がたどり着くまでの間に、もうひっくり返せないほどの実力差になってしまった。

 狙撃程度で倒せる相手ではないし、きっと当たりもしない。俺の武器である弾丸バレットは、プロペラのように回転をするタイプなので着弾までが遅いのだ。


 再び、長い息をフスーと吐く。

 身体と頭脳をリラックスさせ、ほんの少しだけの休憩を許した。これは仕事中なんかで皆も無意識に同じことをしてると思う。今とは違う視点で考えたかったんだ。

 そう、今は勝てない。それは間違いない。正面から行っても狙撃をしてもチャンスは薄い。むしろ相手のレベルを上げる結果になる。


 となると先ほどの第八機動隊とやらの到着を待つべきだ。

 現代兵器が有用なのは既に分かっているので……などと考えているときに、通りを挟んだ反対側から動くものが見えた。


「ん、あの装備……さっき聞いた第八機動隊か?」


 そいつらは10名規模で組織をされており、独特なプロテクターで全身を覆っていた。先頭の者は路地裏に膝をつき、後方の者らは壁を背にして様子を探ってゆく。

 動きは様になっているが、この距離で分かるほど彼らは驚いており、ぎょっと目を剥いている。化物はヤンキー座りして楽しいお食事中だったからね。


 俺としては無線で相談なんかせずに、さっさとその拳銃で撃って欲しい。こちらが持っている武器よりずっと上等なのだし、数を撃てば確実に倒せるんだ。いいから撃てよこの平和ボケ野郎どもが!


 ――ごぼっ、ごぼっ、ごぼぼ……っ。


 そのとき、変な音が聞こえてきた。見れば魔物は腹のあたりを震わせており、まるで胃の中のものを逆流させるような響きだ。

 なにか嫌な感じがして身を伏せるのと、ぐるんっと奴の首が機動隊へ向けられるのは同時だった。


 細かな牙に包まれた口内が紫色に染まる。

 幾つかの無線がモンスターの挙動を慌ただしく伝えていたのだが、その瞬間、全てが一斉に沈黙をした。



 ――ギュボアッ!



 放射状に吐き出された液体、それは闇属性の溶解液放射メルト・ブレスという技能だった。

 これには金属さえ腐食させる効果があり、頭っからかぶった男性らは、すぐに溶けてそのまま地面にピンク色の液体をブチまけた。


 ギャ!という一瞬きりの絶叫。そしてすぐに痛いほどの沈黙が落ちる。

 そこにはもはや人体と呼べる物は残されておらず、グズグズに溶け出す様子にはさすがの俺も唖然とした。


 無理だ、あんなの。

 撤退しよう。これは次の戦いに備えたものだ。決して逃げるわけじゃない。そう理性は訴えかけてくる。


 意味のない死を迎えてどうする。勝負にならない戦いをしてどうする。生き延びるためにサバイバルの準備をしていたのだろう、と。

 放っておいても新たな機動隊が来て、今度こそ倒してくれるだろう。そうだ、そうに違いない。


 だけど見ちゃったんだ。

 別の場所に隠れていた女性が、魔物から捕らえられる姿を。腰までの黒髪を揺らすその女性は……ぐらりと視界が歪むように感じた。雨竜 千草、あれは俺の後輩だ。ついこのあいだ世間話をして、ケラケラと笑い合った奴だ。


 助けて、助けて、という言葉がすごくキツかった。

 胸をぎゅっと締めつけられて、俺まで泣きそうになっちまう。

 弱いんだ。今の俺は弱くて、友達を救えもしないんだ。ごめん、ごめん、ごめんなさい……。


 目を落とすと、そこには震える俺の脚があった。

 それを見て、すとんと表情が消え失せるのを感じた。


 これは違う。今までずっと俺の理性が訴えかけていたのは、次に備えた撤退なんかじゃない。遠くに逃げて、俺だけ助かりたかったんだ。ブルってたんだ。


 ――シュドッ! シュドッ!


 その瞬間、俺はすぐさま武器を構え、大した狙いもつけずに引き金を絞った。

 運が良いのか悪いのか。食事しか見てなかったせいで弾丸バレットはモンスターの背に当たり、奴はギロリと俺を睨む。


「おう、やっぱモンスターはアホだな。来て早々に暴れるとか、一体どこの雑魚キャラだっつー話でさ」


 そう軽口を叩いて、俺は姿を現した。それから通りをのんびりと眺め、待ち合わせの友達と合流するように歩み寄ってゆく。

 女は度胸だ。少なくとも、これから死ぬまであの子の悲鳴を忘れられられないよりずっと良い。


「俺なら現地のことをちゃーんと調べてから……って、あれ、聞こえてない? それとも言葉が分からんのか? ヘイ、キャンユー・スピーク・ジャパニーズ?」


 へらへらと笑い、すぐにやられてしまいそうな雑魚っぽい口調をするのが俺のお気に入りだ。何だこのバカはと思われた方がずっと楽しい。だってそうだろ。相手を見下すような奴なんて、実は大した奴じゃないしさ。


 どっすんと雨竜は腰から落ち、すぐに大きめの瞳をこちらへ向けてくる。


 ほら、早く逃げちゃって。少なくとも今だけはヒーローになれるから。

 願いは通じ、女の子は踵を返して逃げて行く。

 じいとその背中を見ている魔物に向けて、俺は近づきながら懲りずに話しかける。今はなるべく注意を引きつけたい。


「なんだっけ、ギズモぉー? お前の部下みたいなやついたじゃん。クッソ雑魚だったよ。ただ武器とか防具とか作れたから、その点だけは感謝かなあ。お前からは何が出来るかなあ。やっぱり勉強机とかかなぁ」


 ギチギチギチギチッッ!!


 威嚇音がそいつの牙から聞こえてくる。これがまた両手で耳を塞いで、わーって大声をあげて逃げたくなるような怖さだったねぇ。

 まあいいや、こいつと戦うって俺はもう決めたんだ。


剣術士ソードマンの職を取得。それと剣技ソードアーツにもありったけのポイントを使え」


《 剣術士を4レベルまで獲得。剣技をレベル4まで取得。後藤の特性により連続攻撃オラトリオを習得しました 》


 余っていた全てのポイントをここで注ぎ込む。

 その効果は劇的だ。全身の筋肉がみちみちと膨れ上がり、手にする剣からは本来あった力が伝わってくる。


 それから日本代表みたいな風格で正面に立ち、にやぁーと俺は笑い返してやったぜ。命がけのやせ我慢だからさ、口角をぐっと上げる鬼のような形相だったろうよ。

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