第17話 スクランブル交差点の死闘①

 

 魔物の思考は極めてシンプルだった。

 生態系において頂点に立ち、周囲を食料に変え、そして繁栄をするという分かりやすいものだ。己の力を理解している彼は、どのような世界でも繁栄できると感じていた。


 しかし、身体の内側を溶かされるようなこの感覚にはなかなか慣れない。

 異世界への移動というのは彼にとって初めての経験だ。異なる世界へ順応するため、1から再構築をさせられているように感じている。


 実際、その感覚は正しかった。向かう先の世界、地球は根本から異なるため元のままでは活動できない。異なる世界には異なるルールが存在しているらしい。ゴウゴウと渦巻く周囲はまるで嵐を迎えた夜のようだった。


 しかし、と彼は迷う。

 魔物は独自のネットワークを持っていた。その空間へ幾つもの思考……先行していたはずの者たちから声が届くのだ。その同族たちは生まれてすぐに斃されてしまい、何もできなかったと告げてくる。


 それを聞き、ピクッと触覚を動かす。

 このままでは他の固体と同じ結果になりかねないと彼は思う。生態系の頂点へ立つために、何か変化を起こしたかった。


 だから思い切って手足を動かす事にした。


 やはり十分に馴染んでいなかったせいで、羽は崩れて溶けてしまう。

 このままでは未熟な個体になるかもしれない。魔物たちの許される世界である「夜」から外れたらさらに劣化は進むだろう。


 しかしそれでも迷わずに彼――魔物は血のように真っ赤な目を開いた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 雨竜うりゅう千草ちぐさは一人でショッピング街を歩いている。腰までの髪を揺らし、休みの日というのに勤務中のように固い表情で。

 彼女は少しばかり変わっている。そもそも社会人になって友達の一人も出来ないのは、何かしら問題を抱えているものだ。


 それは幼少の頃から続いていた。

 他者を理解できず、己が正しいと思いやすい。

 小さな喧嘩でも一切手加減ができず、己の主張を貫きたがる。

 知らないものを覚えるとき、極端なまでにのめり込む。それ以外を全て忘れるほどに。


 容姿の良さ、それと運動や勉強もできるおかげで周囲は異常に気づかなかった。いや、気づいても欠点を上回る長所があるため見逃されていた。

 だから病気だと診断される事もなく、そのまま成長をした。


 初対面の相手も最初のうちは優しい対応をする。整った外見とハキハキした口調が好感を得やすく、また覚えの良さに感心するからだ。しかし数日も経つころに「何かが変だ」と彼らは思うようになる。

 それは会社に勤めてからも同じで、仕事を教わるたびに相手との距離が離れてゆく。


 空回りしている自分にさえ気づけない。

 それどころか、完璧に仕事を覚えようと際限なく質問を繰り返していた。結果、相手は匙を投げ、後藤という女に預けられた。


 後藤については「頭の悪そうな人」という印象だったし、今でもあまり間違っていないと思っている。

 何しろ後藤はどんなに質問をしても「適当で」か「フィーリングで」としか答えないのだ。きっと雨竜でなくとも腹がたつ。


 しかし不思議な存在でもあった。

 いつもふざけているくせに、大事なプレゼンでは堂々とこなしてみせる。度胸があるだけでなく、勝つことに強いこだわりを持つ人だった。


 変わっている人だと、そのとき感じた。


 もうひとつ気づいたことがある。他の人と違い、何日経っても後藤は距離を変えなかった。

 ふざけた態度で挨拶をし、何か質問をすれば「適当で」か「フィーリングで」と答え、だけど大事なところだけは丁寧に教えてくれる。


 それはいつも人を遠くから眺める雨竜にとって、初めてのタイプだった。ちょっとだけ会社に行くのを楽しみになったのを覚えている。


 だけどそんな日々は「通り魔事件」によって終わりを告げた。倒れた雨竜を助けようと、後藤は通り魔に殴りかかり……そして首を切られたのだ。


 きっともう、あんな光景は忘れられない。


 血を流し、青白く変わってゆく後藤の顔は恐怖そのものだった。死にゆく姿に、嫌だと必死に叫んだ記憶もある。


 あの時は、まさかムクリと起き上がるなんて思わなかった。だから取り乱したっておかしくはない。などと雨竜は当時を思い出し、気恥ずかしさに頬を赤くしながら通りを歩く。


 つい先日、久しぶりに彼女と会えてずいぶんと気が楽になった。いつも通りだったし、彼女の顔を見れば心配などまったくの不要だと分かったのだ。

 相変わらず変なものばかりを買い、それでも眩しく思えるほど……。


「あの人、美人だったんだ」


 ぽつりと呟いた言葉は、実は大きな意味がある。他人を認識できない子が、後藤に関してだけ「顔」を正しく認識できたのだ。

 今までは、声の響きや会話のリズムに頼っていたというのに。


 しかし、それだけに忘れられない。初めての認識というのはいつだって鮮明で、それは己に焼きついて離れない。まるで壁に飾った一枚きりの写真のようだ。


 ぴたりと雨竜の足が止まる。

 外出に飽きた訳ではなく、すぐそこで人がざわめいていたからだ。

 何だろうか、あれは。黒髪をかきあげ、雨竜は不可思議なものへ近づいてゆく。


「えー、なにアレー」

「ちょっとキモくなーい?」


 などと周囲の者たちは撮影をしたり、友人と会話をしたりと忙しそうだ。雨竜が見上げるその先には、待ち合わせにも利用される銅像があった。


 べったりと銅像を覆っているそれは、真っ黒でありながら有機的にも見える。形からして蜂の巣のようだけど、あれほど大きな物は誰も知らない。


「なんか動いてね?」


 そう近くから聞こえ、雨竜も同じ場所をじっと見る。すると穴でもあったのか同色の丸いものが出てきた。


 ぽとっ、ぽととっ。


 それが幾つか落ちてきて、最前列の若者は悲鳴をあげる。その様子も撮影されており、気恥ずかしさに若者は笑う。


 直後、うわんっと虫の羽ばたきに似た音が響いた。

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