第15話 選択

 むあっとした熱気から身体の表面を撫でられ、息を吸い込むと鼻腔の奥まで熱される。辺りは薄暗い部屋で、俺は衣服も身につけずに座り込んでいた。


 ここは日本の誇る文化であり、永遠に守り続けたいとさえ願う「スーパー銭湯」だ。24時間もの稼働に耐え、疲れ果てた現代人を癒してくれるまさに夢のような場所でもある。

 土曜の早朝とあって終電を逃した連中のたまり場と化しているが、奴らは広間などで雑魚寝をしているのでこちらの邪魔をしない。金は出しても口を出さないという素晴らしい客たちだ。


「ぷふぅーーっ、気持ちいぃーー……」


 伸びをすると、鎖骨のくぼみに溜まっていた汗が乳房のあいだを流れてゆく。

 運動の汗ってベタベタして嫌いだけどさ、サウナで汗かくのって割と平気というか好き。一人で独占とかたまんないね。


「そうだ、これも考えとかなきゃ。終末が来ても俺だけは風呂に入れるようにしておきたい。それが例えどのような犠牲を払おうとも、だ」


 そう不穏な言葉を漏らし、ぐっと指をにぎる。

 いま言った犠牲とはつまり「すみません水をいただけませんか?」と聞いてきた人に「悪いね、それお風呂用なんだわ」ときっぱり答えるくらいのノリだ。もちろん俺が入った後なら好きにして構わないが……いや、飲まれるのはちょっとなぁ。こっちも向こうもドン引きしそうで嫌だ。


 などとアホなことを考えているのは、まだ陽のあがっていない早朝5時だったりする。

 もうすぐ外は明るくなってくるし、社会人様どもは土曜日という休日を謳歌する日でもある。しかしこちらは完全なる自由人なので、いつでも好きなときにサウナを独占できるのだ。わーははは。


 んで、どうしてこんな時間に来たかっつーと、警察と一緒になって魔物退治をした見返りと言うか、服を洗剤まみれにされた詫びとして西岡さんから「スーパー銭湯無料券」をいただいたのだ。

 その安っぽい報酬に「ふざけてんの?」という顔をしたものだが、今ではすっかりご満悦だった。実に安い女である。


「あっちー……、露天行こ、露天」


 ぼたたっと汗を垂らしながら、そう呟いて歩き出す。すのこにはタオルが敷かれており、足の裏がとても熱い。カンカンと足音を立てながら外に向かった。



 ほかほかと湯気をあげながら、小豆色で丈の短い室内着で外に出る。のれんをくぐると廊下はまだ暗く、夜明けまでもう少しかかるのだと分かった。

 裸足で絨毯を歩くのもちょっと楽しい。足の裏が刺激されるし、ひとりっきりで和風の薄暗い廊下を歩くなんて機会はあんまり無いしさ。人がいないって良いなーとか思う。


 ふんふんと鼻歌を楽しみながら、ぼんやりと光る自販機へ吸い寄せられる。牛乳とコーヒー牛乳のあいだで指先はうろうろと迷い、やがて「ビー」と電子音が響いた。


「後藤、あがったか」

「んわっ! びびったぁー……ととっ!」


 完全に油断してたところで声をかけられ、牛乳瓶を落っことしそうになった。

 最近の牛乳瓶はフタを取るための針なんていらなくて、プラスチックのやつを取れば済むらしい。ごきゅっごきゅっと飲み、冷たい液体が喉を通ってゆく心地よさを楽しむ。


「ぷあっ、んまいっ……! んで、どうして西岡さんも来てんの? 他の人はまだ仕事?」


 再び振り返ると、同じ室内着姿の男がソファーから「どっこらしょ」と起き上がる。寝ぼけた顔を見るに、さっきまで仮眠してたらしい。くわーと欠伸をしてから目をこすってた。これで一児の父親なんだから、刑事ってのは家族サービスが薄くなって大変だなと思うよ。

 その彼は眠そうな顔でこう言ってきた。


「さっきの礼が銭湯代じゃ足りんだろ。ここのバイキングと近くの焼肉屋、どっちがいい?」

「焼肉でおねがいしやす!」


 俺は礼儀正しく頭を下げた。

 こう見えて高い女なのである。




 じょわーと網に乗せられた肉が焼けてゆく。

 こんな朝日を浴びるような時間にやってる店なので、炭火なんて高級なもんは使ってない。だけど肉の焼ける匂いは血を失ったせいか実に美味そうだ。

 レバーを多めに頼んでいるけど、鉄分ってのは女が一番足りない栄養素だしな。理由は言わなくても分かんだろ?


「ビールを1つ、あとウーロン茶を5つお願いします」


 などと、先ほどまで手に大穴をあけていた若者、ゆとり君が注文をしてゆく。それだけじゃなくて、早朝だってのに良い年をした大人たちで2席を陣取っている。そう、問題はさっきまでいた刑事の連中も勢ぞろいしてるってことだ。


「あのさぁ、報告書とかどうしたの?」

「ああ、それは若林に書かせた。公園の封鎖はしているが、もうすぐ鑑識が来るからそれまで待機だ。今回は特殊過ぎる事件だから、報告と現場検証を終わらすまで帰れないんだよ」


 ああそう、だから焼肉だってのにビールを飲めないんだ。ざまあ!

 先ほどの魔物だが、俺は素材収集コレクトを使用していない。もちろん素材は欲しいけどさ、それを取り出すとボロボローっと崩れちゃうからこいつらが困るでしょ。なので鑑識の人は不可思議な物体を見て、きっと頭を悩ませるだろうね。

 冷えたジョッキが揃ったところで、おほんと西岡さんは咳ばらいをして皆の顔を見回す。


「とりあえず、俺たちは限られた時間と情報のなかで怪我人も出さず、できうる限りの成果をあげたと思っている。しかし未曽有の事態だ。これから大変になると思うがひとまず乾杯をしよう。お疲れさんっ!」


 ゆとり君がぼそっと「僕は怪我したんですけど」という言葉を掻き消すように、がちゃっとグラスを合わせ――おいおい、一般人の俺は良いんだよ!――ったく、仕方ねえなとボヤきながら全員とがちゃがちゃ打ち鳴らす。

 疲れ果ててはいるが皆はなかなかの表情をしており、チームの一員になったような気さえする。

 いやひどいもんだよ、刑事に囲まれて一人でビールを楽しむとかさ。いいなぁーって顔を見ると吹き出しそうだからやめてくれないか?


「っかーー! 沁みるっ! サウナからのビール、たまらんっ! ああー、レバー美味いっ!」


 イラッとした顔をされたけど、仕事中だから仕方ないんだろ? こちとらまだ洗剤臭いんだからさ、ちょっとの嫌がらせでガタガタ言うなや。

 ぐーーっとグラスをあおってから、ぶあっと酒くさい息を吐く。それを見て西岡さんは、なぜか笑いをこらえるよう口元を押さえていた。


「どったの?」

「くっくっ、いや昨夜の後藤の顔がどうしてもな。大声で叫んでパニックを起こしているのを思い出すと……」

「驚きましたよ。車載カメラの映像と音声を確認してたら、西岡さんが笑いだしてしまって」


 ゆとり君がそう補足をするが、こちらとしては「死ねよ」としか思わない。あんときは本当にびびって泣きそうになったんだからな。どこかのアホがバカな作戦を立てたせいで。

 あり得ないだろ、魔物に洗剤をぶっかけてどうにかなると思うとかさ。

 そうブーブー言うと、隣の座席にいる――たしか薄木うすぎさんって言ったかな――が申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「悪かったね、後藤君。もしかしたらと思ったけど、私の考えが足りなかったらしい。だけどそれ以外は素晴らしい結果になったよ。証拠も出来る限りは集めたし、ついでに君の武器も見せてもらえたからね」


 そう言いながらウーロン茶を掲げ、笑みを向けてくる。その表情がどうも気になって、しばし俺は考えた。

 あれっ、ひょっとしたらだけど……洗剤はどうでも良かったのか? 効果が無かったら無かったで、そのときは俺の武器の性能を確かめたかった? もしそこまで考えていたとしたら……。


「いるんだよなー、こういうたぬきな人。脳筋の奴らの中に一人くらいはさ。だけど俺の闇礫の剣バレットソードには指一本も触らせねーからな」


 べえっと舌を出し、横に立てかけていた釣り具入れを身体で隠す。それがなぜか面白かったらしく、おっさんたちは楽しそうにどっと笑った。


「この中で一番の狸はお前だぞ」

「んなっ、俺のどこが狸だよ! せめてキツネって言えよ!」


 酒も入っていない連中がまた大きく笑う。

 だけどまあ、こういう騒がしい雰囲気は嫌いじゃないので、むーと唇をとがらせて不服そうな顔をするくらいだ。

 たまにはな、こういうのも悪くない。どう見ても銃刀法違反だってのに、皆は気にしないでくれてるしさ。いや、ほんとは駄目だって分かってるけど。


 しかし脳筋どもはやはり食う。まだ早朝だってのに山盛りの肉を次々と消費してゆき、白飯のお替りもひっきりなしだ。こちらとしてもタダ飯なので不味いわけがない。ガツガツと男どもに負けないくらい腹に入れてゆく。

 そんななか、世間話をするように正面の西岡さんが話しかけてくる。


「それで、早めに聞いておきたいんだが、今夜もまた魔物とやらが出るのか?」


 ああ、こっちが本題か。警察署のときもそうだったな。この人は相手の気がゆるんだ時に、肝心の質問をする癖がある面倒な人だった。

 などと思いつつ視覚リンクされた地域情報を映し出す。もちろんこれは俺にしか見えないし、たぶん網膜に投射かなにかしてる……のかな? たぶんだぞ、たぶん。どういう理屈かなんて全然知らないんだし。


 その情報を見て、俺はぴたりと箸を止めた。


「教える前にトイレ行っていい?」


 どうぞと身振りを返されたので、そそくさとトイレに入り、ばたんと閉じた。

 戸に背を預けながら、そして俺は誰にも聞かれないよう重苦しい息を吐く。正面の鏡に映った顔には、嫌な汗がたくさん流れていた。


「……数え切れねぇ」


 自分でも聞いたことのない、絞り出すような声だった。

 映し出された地域マップには、いくつものマーカーと出現時刻が表示されている。昨夜は5体の出現予告だったにも関わらず、そこにはおびただしい量が点滅をしていたのだ。

 落ち着け、ゆっくり数えろ。端っこから順に追ってゆけ。


「……15、16……20、21」


 指先を震わせながら数え、念のためまた最初っから数える。すると今度も「21」という数字だった。

 なんだこれ。どういうことだ。昨日は5箇所で、今日は21箇所? 朝までヘトヘトになるまでやったんだぞ。じゃあ明日はどうなるってんだ。明後日は?


 魔物が暴れ狂う夜をリアルに想像してしまい、ぞわっと鳥肌がたつのを覚えた。


 警察との繋がりが出来てこれからだってのに、魔物たちはいつも俺の希望的観測なんて易々と砕いてくるんだ。くそっ、なんだこれ。

 さすがにもう全部は諦めるか? それとも今から出来るだけあいつらに準備をさせる? いや絶対に無理だ。たったの一日で対策なんて出来るわけがない。


「~~~~っ! 考えろ、まずはそこからだ! 駄目だったら諦めていい!」


 そう自分に言い聞かせた。

 でないと重圧から押しつぶされてしまいそうだった。

 幾つもの案が生まれ、そして吟味をしてから消えてゆく。21箇所に爆弾を設置したと通報したらどうだろうとか、闇礫の剣バレットソードを生産して配るとか、そういう小手先の奴だ。

 でも誤情報だと思われる可能性は高いし、剣だって核となる魔石が2つしかない。そもそも「その場しのぎ」の愚策に過ぎないんだ。


 数分間そうやって過ごしていると、ぶるるとスマホが振動をした。その画面には「今日の午後、バイクの納車に向かうぞ」というメッセージが表示されており……やがてひとつの答えを俺は出す。


 フーと息を吐き、汚れた鏡にぺたりと触れる。

 いい加減、腹をくくろう。終末が来るのは止められないんだ。

 もう刑事なんて小さな枠組みで考えちゃだめだ。これからは日本という国を利用していくしかない。今すぐは無理でも、例え俺が底辺なニートの女でも。


 焼肉屋の薄暗いトイレで、俺はそう呟く。

 気のせいか鏡の中の俺は、にやりと不敵な笑みを浮かべていた。

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