第11話 雨竜

「散らかってるけどさ、あがってー」


 ガチャリと扉を開くと……ほんと散らかってんね、って顔をお互いにした。テレビとベッドと小さなテーブル、それと窓際には机がある。それが俺の部屋だ。


 ただでさえ狭いってのにネット通販のダンボールだらけだし、サバイバル道具まで並んでたらおかしな光景になるわな。

 雨竜はきょろきょろ周囲を眺めながら靴を脱ぎ、あとをついてくる。それからじろりと目つきの悪い瞳がこちらを向いた。


「後藤さん、雰囲気変わりました?」

「え、俺? さあ、あんまり鏡とか見ないし。まあ雰囲気が変わってきたなーって自分で思うやつなんていないだろ」


 いや、いるか。部屋の照明用のヒモにシャドーボクシングをした後とかな。

 なんてアホなことを考えながら座布団をぽいぽいと置く。スカート姿の雨竜は腰を下ろしながら見上げてきた。


「そうですね、強そうな感じがします。以前から男みたいでしたけど、この部屋だって女性の部屋と思えません」


 まさかの全否定である。

 内装はとっくに諦めてるとして、俺の雰囲気が変わったのは本当なんだろう。レベルとやらで実際に強くなってるらしいし。

 と、そんな内情を知らないだろう雨竜は、申し訳なさそうに視線を落とした。


「あんな目にあって……私はてっきり布団からまったく出ず、憔悴していると思ってました」

「いや、そうでも無いよ。丸二日くらいは、ほんとそんな感じだったし」


 そう答えながら、テーブルの上にある邪魔なものをどけてゆく。新品のサバイバルナイフとかそういうやつね。

 雨竜が黙って見上げているので、再び俺は口を開く。


「そこのベッドで布団をかぶって、二日間ずっと動かなかったし動けなかった。あんな目に合わされて、どうしたら良いのか全然分からなくなったんだ。頭まっしろ状態だよ」


 おどけて馬鹿っぽい顔をしたが、クスリともしない。くっそ。

 そんな雨竜の顔を見ながら、がちゃがちゃと箱にしまってゆく。びっくりするくらい真っすぐに見る奴なので、視線とか苦手な奴は苦手かもな。俺はまあ、先輩として教えてたから慣れてるけど。

 親しい仲とはお世辞にも呼べないが、心配させたのは素直に申し訳ない。だから本音が口から漏れてしまった。ぽろっとな。


「すごい怖かったよ。たぶん今でも怖い。それをどうにかしようと思ってさ、あれこれ調べ始めているのが今の俺なんだと思う」


 そう伝えると雨竜はスカートをぎゅっと掴み、うつむいてゆく。

 こいつもこいつでかなりの恐怖を味わっていた。目の前で死んでゆこうとする俺を見ていたんだ。ある意味で、こちら以上に恐ろしい思いをしたんじゃないか?

 ずっと黙っていた雨竜は、ようやくぽつりと唇を開く。それはひどく恨みのこもった声だった。


「いまだに見つからないそうですね、あの男。なのに町はあっという間に普通になって……私はそれが気持ち悪いです」


 まあな、と俺は息を吐く。関係ない奴らはどうせ他人事だし、新しい手掛かりも無いんじゃ情報として消えていく一方だ。

 ネット上では盛り上がっているが、あんなのはただの終末思考だろう。宇宙人はいるんだ!と言っている連中と変わりない。いや次元がどうのと言っていたので、ある意味では宇宙人で間違って無いかもしれん。


 そう思っていると雨竜は顔を上げ、気を落ち着かせたいのか深呼吸をした。先ほど以上に真っすぐに見つめられ、ぱちくりとしてしまう。


「お礼を言わせて下さい。あの日に助けていただいたお礼を」

「いや、あれは俺が勝手にやったことでさ、気にする必要は……」


 無い、という言葉を飲み込む。深々と綺麗な姿勢で頭を下げられたのだ。態度は悪いが礼儀には厳しい。そうと分かるお辞儀だった。

 こう見えて意外と育ちの良い子なのかもねぇ。


「お互い無事だったんだ。それで良しとしようぜ」

「……なんで先輩は無事なんですか。首、半分くらい切られてましたよね」


 ぐるんっと雨竜の顔がこちらを向いた。

 あー、なんというか説明しづらいな、こいつは。


「首は治ったけど、そのかわり会社はクビになっただろ? まあ自主的な退職だけどさ」

「それも何故ですか。私がどれだけ心配したか分かってるんですか!?」


 こらこら、顔をぐいっと寄せるな。お前は そんな熱い奴だったか? 現代っ子のクールな奴だったろうが。いつもなら「先輩? ああ、道端の石ころでしたね」と言うようなキャラクターだったろが。

 なんて困っていたら、もっと困る事になった。俺を睨んだまま、大粒の涙が溢れて来たんだ。流石にね、俺も慌てて目ん玉を見開いたよ。


「勝手に、助けて、いなくなって、わたっ、わたしがっ、悪いからっ、だから電話も拒否されて……!」

「あ、あー、そうじゃないぞ。忙しさにかまけていただけで。今日なんて警察署に行ってたから……」


 大きめの瞳を閉じると、ぱたたと透明なものが……って、うわー、ガン泣きだー。

 女の子の泣き顔は可愛いって言うけど、ありゃ嘘だ。顔を真っ赤にして、涙と鼻水でベシャベシャだし。ちょっとサルに似てるなー、と思いながら慌てて安物ティッシュを何枚か取り、狂犬なはずの俺が涙を拭いてやる始末だった。

 まあ、泣く子には勝てないってのは真実だな。それだけは分かったよ。



 びぃぃっと雨竜は思い切り鼻をかんだ。

 やはりクールな奴らしく、けろりとした顔でこちらを見る。


「すみません、冷静さを欠いてしまって。これ、遅れましたが召し上がってください」

「あ、和菓子だー。甘いの久しぶりだから嬉しいな。お茶を淹れるから一緒に食べようぜ」


 こくんと頷かれた。泣いたせいで頬が赤く、どこか子供っぽい仕草に見えて可愛らしい。背の低い奴ってこれだから得だよな。そう思いながら、どっこらせと立ち上がる。

 当の本人は泣いたのもすっかり忘れている様子で、きょろきょろと再び部屋を見回した。


「先輩、この荷物は何ですか? 今度は家を捨ててサバイバル生活でもするんです?」


 やかんに火をつけながら、俺はキッチンから振り返る。雨竜は火おこしの道具、マグネシウム性のロッドを手に持ち不思議そうな顔をしていた。


「似たようなもんだ。これから覚えるところだけど、少なくとも会社生活よりは楽しいかな」


 なんて言いながらも実際は大充実である。

 サバイバルの専門書とかさ、試しに読み始めるとめちゃくちゃ楽しいから。分かりやすそうだったから漫画も買ってみたけど、これマジほんっと面白い。ちょっとずつ前進したり、ゴツいナイフひとつで道を切り裂くような生活ってのは、現代人にとってファンタジーの領域だよ。ぜひ読んでほしい。


 などと熱く語ったのだが、雨竜は「ふーん」と分かったような分からないような返事をしつつ、多少は興味があるのか荷物を覗き込んでいた。

 いや違う。こいつは自分で理解できないものを調べたがる性格だったか。身につけるまで決して諦めないから、性格に難はあっても社会人としての素質は高い。


 それを眺めながら、最初の質問から答えてあげることにした。少ない有休を使ってまで来てくれたんだ。スッキリさせて帰してやりたいし。


「怪我が治った理由は、もうちょっとしたら教えてあげるよ。もちろん雨竜のことは恨んでないし、毎日が楽しくてすっかり忘れていたくらいだ……って、なんで睨むの?」


 ぷいと顔を逸らされた。めんどくせーな、こいつ。何かあるんだったら口に出したらどうですかぁ?

 小皿とお茶を手にキッチンから戻ると、ちょっと俺は固まった。ぎしっと音が出そうなくらいにな。


 雨竜が闇礫の剣バレットソードを手に取り、まじまじと眺めていたんだ。


「あの、雨竜ちゃん?」

「ちゃんと刃がありますね。模造刀ではなくて本物の剣ですか」

「あ、あー、それ貰った奴なんだ。ほら、おじいちゃんの形見ね」


 にこりと笑いかける。彼女はこちらを一瞥もせず、品定めをするよう刃先までをじっと眺めているが……なんか姿勢が様になってるな、こいつ。


「あのう、危ないから下ろしてくれません?」

「これ、すごくバランスが良いですね。本当に先輩の物ですか? 私が持っている刀より質が高いです」


 なんで社会人の女が刀を持ってんだっつーね……いや、人のことは全然言えねーや。

 あ、最近はそういうブームもあるのか。なんたら女子って言うんだっけ。まったく、物騒な世の中になったもんだよ。まさか鍛冶師も自分の生み出したものが「萌え」に転化されるとは思いもしなかったろうな。


 和菓子を皿に置いたとき、ふと俺は気になった。

 それは通り魔から襲われた日のことだ。あいつは「お前にしておこう」と言い、雨竜から俺へ視線を移していた。それから首を切られ、ステータスとかレベルとか意味の分からん世界に俺は足を踏み込んだのだが……それには少しだけ違和感があった。その言い方だと、まるで別の候補者もいたような口ぶりじゃないか。


 ――雨竜もいるが、威勢の良いお前にしておこう。


 そういう意味だったんじゃないのか、あの時の言葉は。憶測で足りない部分を補ってみると、気のせいか妙にしっくりと来た。

 案内くん、あのとき雨竜が選ばれていたらどうなっていた思う?


《 仕えるべき主人は、彼女になっていたと推測されます。後藤に近しい才覚があります 》


 やっぱり、と思う。同時に繋がるところが幾つかあった。

 通り魔は殺し目的ではなく、ステータスやレベルなどの能力を強制的に目覚めさせていたのでは、という疑念がここで固まる。

 ただしモンスターが出るようになった「次元が断たれた」というのもそいつの仕業だから、救済などとは正反対の行為だろう。


 次に雨竜のこと。

 才能はあるらしいが、どうすれば目覚めるのかまでは分からない。前に案内者は「やがて変化が訪れる」と言っていたので可能性としてはあり得る……かもしれない。


 おい、雨竜も同じ能力に目覚めるのか?


《 不明です。私が以前いた世界では、一定以上の能力がある者は自然と身につけます。魔物との遭遇や討伐により習得する可能性はあります 》


 ん、やっぱそうか。

 変化として分かりやすいのは経験値を得た場合だろう。もしレベルアップでもすれば……などと思う。でもなー、これから魔物狩りにでも行かない?なんて誘えないよねー、常識的に。


「……先輩?」


 そう怪訝そうな顔を向けられる。勝手に剣を触ったことに俺が怒っているとでも勘違いされたかもしれない。

 でも実際のところ、彼女に教えるべきかを悩んでいたんだ。レベルやステータスという世界、そして魔物が現れ始めているなんて状況をさ。

 ん、決めた。今だと頭のおかしい奴だと思われる。もう少ししてから伝えよう。


「これからさ、騒がしいなー、困ったなーって時があったら俺を呼んで。雨竜からの電話は取るようにするし、なるべくすぐに駆けつけるからさ」

「は、い……? 水道の水漏れとかですか?」


 まあ似たようなもんだ。「ちょっと赤いなー、この水」って思うだけで、飛んだり跳ねたりするのも同じだ、たぶん。

 どうぞ返しますと柄を向けられたので、受け取ってからぽいとベッドに放った。


 あとはまあ、会社の連中がどうなっているかを教えてもらったりして、美味しく和菓子をいただきましたよ。


 ひさしぶりだったけど、元気な顔が見れて良かったかな。それは向こうのセリフだったろうけどさ、久しぶりにケラケラ笑ったりして、友達との会話ってやつを楽しめたんだ。


 礼儀正しく頭を下げ、雨竜は暗くなる前に帰って行く。またねと俺は声をかけ、その背中に向けてばいばいと手を振った。

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