第93話 瑠奈side



「……深層心理を。私がお兄ちゃんの価値観を覆す?」


ルシオラが提示した方法は、瑠奈自身にとって余りにも危険すぎる賭けだった。自ら相手の精神世界への干渉はしても、あくまで表層部分に留めていた。精神の深い部分へ干渉すればするほど、覗いた相手による精神汚染の危険が高まっていく。瑠奈が泪の精神(こころ)を覗いた事による精神汚染で、泪の深層心理の影響を受けた瑠奈は、無意識の内に喉に刃物を突きつけ掛け、挙げ句高層ビルからの飛び降りはルシオラが目撃していなければ、瑠奈は今この場にいなかった。


何よりも深層心理部分への介入は初めてだし、ましてや今度は他者の価値観そのものを根本から壊すのだ。価値観の破壊に失敗すれば、精神世界に干渉した自分にも干渉した相手にも、何が起きるのかが全く分からない。


「もし泪の価値観の破壊に成功したとしても、君は己の全てを捨てて彼を支える覚悟があるか?」

「それは……っ」


ルシオラの言葉はなにを意味しているのだろうか。自分の―瑠奈自身の全てを、捨ててでも泪を支える覚悟とは。



「……君が思っている以上に、赤石泪と言う人間は、過去から現在までに受けてきた傷はあまりにも深い。言葉で救いたいと言うだけなら簡単だが、泪が受けた過去の傷は数年程度のもので、癒せるものではない。それこそ彼が心の奥底で死を望む程に。これまでの価値観を覆された赤石泪を、今まで君が培(つちか)って来た人間関係を捨てて尚、一生を掛けて彼を支えなければいけないのだ」

「知って、います…」



泪は強大な力を持つ異能力者―サイキッカーとして。人間に都合の良い兵器として使われる為に、普通の人では耐えられると思えない位に、酷い迫害を受けてきた。ルシオラの言う通り、生半可な覚悟では泪を救う事は出来ないし、これまでの話を全て合わせると泪はもう、学園生活はおろか日常に戻る事すら叶わない。


「泪は己の行く末路を完全に理解しているのだろう。もし自分の心が救われたとしても、異能力者の暗部や迫害とは無縁の日常を送って来た君と、共に歩める道は一生ないのだと」

「それも……わかっています」


泪側に時間がない以上、瑠奈自身にも決断が迫っている。泪の笑顔を取り戻す為に瑠奈の全てを犠牲にするか、泪を救う事を諦め今まで通りに日常を過ごしていくか。


「私もこの手を何度も血に染めている以上、既に後戻りは出来ない。今後も裏の世界に身を潜めながら、生きていくしか道はないのだ」

「お兄ちゃんと同じ…」


泪と同じく、ルシオラも既に後戻り出来ない所へと進んでいる。泪と違うのはルシオラはファントムを結成した時から、手を汚す覚悟を決めていたのだ。


「そうだ、これは……。私のエゴだと思ってくれても構わない」


瞬間、瑠奈の視界が変わる。何度か瞬きをして目を開けた時、瑠奈の目の前にはルシオラの冷たい美貌が間近に存在し、理解した時は既に瑠奈はルシオラの腕に抱き締められていた。



「え!? あ、あ、あ、あっ、ああああああのっ!?」



ルシオラの突然の行動に頬を真っ赤に染める瑠奈に、相変わらず表情を変えないルシオラ。どこか


「ん……そうだな。私が今君に持っている感情を、言葉で表現すると『異性として好き』…になるのか」

「っ!?」


ルシオラの口から、瑠奈が予想もしていなかった言葉。ルシオラは瑠奈を抱き締めていた両腕をゆっくりと瑠奈から離す。


「君が今も泪を一心に思っている事も、充分に理解している。返事は後でも構わない」


返事は後でも構わないと答えるルシオラ。あまりにも突然の行為と発言に、瑠奈は一瞬パニック状態に陥るが、俯いて少し沈黙した後、たどたどしく口を開く。


「あ、あっ、あの…その…わ、わかり、ません……。その、私…だ、誰かが好き、とか…。ぜ、全然…か、考えた事、なくて…っ」


自分が恋をする事など考えた事がなかった。瑠奈にとって恋愛事とは、漫画や小説のシーンを自分や周りの人物に置き換えて、自分の頭の中で考えているだけのものだとばかり思っていた。今、泪が好きと聞かれても瑠奈には答えられない。


「泪さんの…お兄ちゃんの事も…その…。異性として……す、好きとか、考えた事……今まで、ありま、せん。それで、もって…ルシオラさんの、事も……」


ストレートに相手に好意をぶつけられるのも、異性として好きと言われるのは初めてだった。勇羅を初めとした異性を、異性として意識したことなんて一度もなかったし、自分からちょっかいを掛けた鋼太朗の事も、泪の過去を知っている相手としてしか認識していなかった。


「私一人っ子で、周りの親戚は茉莉姉とか女の人ばかりで…。泪さんの事をお兄ちゃん、って呼ぶようになったのは。最初は男のきょうだいが…欲しかった。初めは単純にきょうだいが欲しかっただけだったけど、私が何をしても泪さんは全然笑わなくて…。何日か話をしていく内に少しずつ私と話をしてくれて、初めて私の前で笑ってくれたのが…凄く嬉しかった。だけどいつの間にか泪さんは…お兄ちゃんは私の前から居なくなってた。


十年ぶりにようやく会えたと思ったら、いつの間にかお兄ちゃんの周りには、沢山の人がいて…。私の知らないお兄ちゃんを知っている人が近くにいて。今までのお兄ちゃんとは違う人見たいだと思っていたけど………本当は全然変わってなかった。


少しでも目を離したら、私の知らない所へ離れて行って行く感じがして……それでも追いかければ追いかける程、私の知っているお兄ちゃんはもうどうしようもない位、手の届かない所へ離れていって。お兄ちゃんを追いかけていく内に、今度は好きって告げる人がいて、でもその人が何度も好きと告げても、どんなにお兄ちゃんへ好意を表しても、お兄ちゃんは誰の声にも……私の声にも傾けない。


ううん。本当のお兄ちゃんは、誰も何も見ていなかった……。正直な気持ちを言うと元の生活に戻りたい。でも…ここで元の生活に戻ってしまえば、二度とお兄ちゃんに会えなくなる気がして…」


瑠奈の声は無意識の内に震えていた。今ここで、元の日常に戻れば二度と泪に会えない。破滅へ進み続ける泪を追いかけたい気持ちと、元の日常に戻りたい気持ち。今ルシオラに告げられているのは、どちらかを選べと言われているようなもの。


「あの…ルシオラさん。返事は、その……。か、考えさせて…ください。この事件が全部、終わるまで……」

「………すまなかった」


答えるルシオラはどことなく寂しそうに思える。どうせ異能力者同士の争いに巻き込まれるならば、全部終わってから考えたい。今起こってる出来事が全て終わった後、泪もルシオラも瑠奈自身もどうなるか分からないが、自分の感情が分からないのなら全てが終わってから考えれば良い。


「後、一つだけ……異能力者狩りの中にいた女の人。ルシオラさんはその人を同族殺しと言っていましたが、その人の事で何か知っていますか」


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