第65話 ルシオラ&泪side



―神在市郊外・廃ビル。


「本気か?」


自室のソファーから目を覚ました直後。すぐに身支度をし、待合室内で自分の今後の対処に混乱している和真達の隙を突き、事務所を抜け出した泪は念話を通してルシオラと会っていた。

例の逮捕されたネット歌い手が、自分の個人情報を独自のルートで入手してネット上で漏らした事は、既にわかっていた。あの歌い手が自分へ注目を集める為に、裏で何をやっていたのかはとっくに知っている。表で日の目を浴びたいが故に自身の熱狂的なファンをも、自分の有名人としての人気上昇に利用していると言う事も。それでも自身の素性が政府に発覚した以上、もうあの場所に居る必要はない。


結局あの『暖かい場所』に泪の居場所などなかったのだ。


「どのみち異能力者の僕は『研究材料』として、政府の行っている研究に使い潰される運命です。ならば最後にファントムの『駒』として、使い潰された方が効率が良いと判断したまでです」


ルシオラは泪の話を黙って聞いているものの、普段より変化のない表情には僅かに曇りが見え始める。


「···その前に見せたいものがあります」


泪は無言で着ていた服を一枚、また一枚、初夏の太陽の熱が冷めきっていないコンクリートの地面へ落としていく。



―···。



「その傷は···っ」



ルシオラは何も言葉が出なかった。本当の自分を晒した目の前の青年相手に、何を言えばいいのか分からなかった。普段から必要以上の外出はせずあまり陽には焼けていないだろう、赤石泪の晒された素肌はおぞましいものだった。彼が宇都宮一族によって受けた非人道な仕打ちは前もって知っていたが、いざ目の前で見せつけられると全く言葉が出ない。

泪の両腕両足には無数にも及ぶおびただしい切り傷と打撲の跡。その肌には古い傷跡もあれば重なるように新しく出来た跡もあった。


「この傷ですか? そうだな···。受けたのはつい最近かな? 本当、『あの人達』手荒なんですから」

「······」


異能力研究所による凄惨な仕打ちは、かつて研究所に捕らえられたルシオラも幾度となく受けた。あくまで異能力者達を『実験材料』として見ていただけで、研究者や職員を始めとした研究所の非異能力者は、一貫して『人間』として見られていた。

もしかして彼が研究所で受けた仕打ちは、人間を人間としてすら見ていないものではないのか。


「···『あの人達』は気に入らないんでしょうね、僕が普通の人間として生活してる事。まぁ仕方ありませんよ。何時だって高い所にいるお偉いさんの気持ちなんて、僕達異能力者には分かりませんものね」


呆然とするルシオラには目もくれず、泪は淡々と話を続ける。あくまでも自分は、自分以外の全てを切り捨てている言動。


「『あの人達』の八つ当たりなんて昔からですよ。僕にとってこれらの行為など、当たり前の事でしたからもう慣れました。ただ単に彼女らの悪意を僕が受け続けるだけで良い」


「瑠奈は······。真宮瑠奈は、この事を知っているのか?」


この泪の凄惨な過去を。泪が受けた非情な仕打ちの全てを。何も知らぬまま無邪気に泪を慕う瑠奈。今の泪の心情を知っている彼女が知れば、必ず泪を止めようとするだろう。


「いいえ、彼女がこの事を知る必要はありません。『これ』を知った所で彼女に何か出来ますか?

······何も出来やしませんよ。異能力者の···人間の暗部すらも知らない彼女が介入した所で、あの色に貧欲な連中は餓えた獣が血走った目で群がって、骨すらも残らず貪(むさぼ)り喰らうでしょう。連中に取って自分達さえ欲に満たされれば、異能力者だろうが人間だろうが生塵と大差ない。


彼らは今まで助けを乞うて来た弱者すらも、蹂躙して踏みにじって滅茶苦茶にして壊して来た。彼らにとって人間と言う玩具など、壊れたらまた新しい玩具を使い捨ての道具のように買い換える感覚なんです。僕はそんな奴らの薄汚い業をずっとこの目で見て来ました」


瑠奈の、周りの事情などどうでもいいと言わんばかりの冷淡な口調。そして自分の事すらもどうでもいいと、吐き捨てる様に泪は言い放つ。


「······初めの内は助けを乞いましたよ。だけど、どんなに泣いても叫んでも奴らはまた笑いながら、更に強い痛みを繰り返して繰り返して、助けを乞えば乞うほど痛みは酷くなっていって、結局奴らを喜ばせるだけ。だから僕が望む願いはもう一つしかない。


自分はどうすれば死ねるのか。これまで何度も死ぬ方法を考え、奴らの目を盗んでは何度も自死を試みました。でも死ねない···いえ、奴等は僕を死なせてすらくれないんです。自分達が娯楽享楽快楽と言う名の愉悦に浸る為なら、奴等は何だってやるんです」


最早実験材料の扱いを超えている。身体を蹂躙するだけでなく心すらも徹底的に蹂躙し、泪に自死をする気力すら失わせ『何も』与えない。


「···後戻りなんて出来ませんからね。もうとっくに超える所は完全に超えちゃってますし。彼女らにとって人間の醜い争いすらも娯楽なんですよ」

「······人間までも、っ!」


ルシオラの声には明確な怒りが含まれていた。異能力者だけでなく人間ですら人間として見ていない者が居る。


「貴方も同じでしょう。異能力者···いえ、自分の全てを虐げた人間達が憎くて仕方がない。貴方と初めて会った時もそう言った眼をしてましたよ」


泪の正論にルシオラは言葉が出ない。自身が能力の高い異能力者であるが故に、研究所で受けた仕打ちは過酷なものだった。同じく研究所の実験台として捕らえられた力を持つ仲間達が、法すら無視した非人道な実験に耐えきれず力尽き、ゴミの様に次々と棄てられて行くのをルシオラは目の前で見てきた。


「···でも貴方は変わった。いいえ、貴方は生きている『人間』です。貴方は宇都宮の悪意に侵されていない」

「やはり」


表社会だけでなく裏の世界でも、良くも悪くも名を馳せている有名な宇都宮一族。私有の異能力研究所を持ち、噂によると異能力者を使い遺伝子操作だけでなく、不老不死などと言う余りにも人としての道を外れた研究を進めていると聞いた。


「···あの娘は僕の全てだ。あの娘だけは僕を『人間』として見てくれた。だからあの娘が笑ってくれるならそれだけで良い」


泪にとっての『全て』とは、瑠奈の事を言っているのだろう。自分を『人間』として接してくれた事を強く焼きつけていたから、初めから『自分が殺した真宮瑠奈』を偽者だと確信していたのだ。

泪は彼女の存在だけを支えに『自分の願いを叶える為』だけ、前へ進み続けているのだろう。そうまでしなければ、先程彼が語った宇都宮一族による、人を人とも思わぬ凄惨な仕打ちに耐える事など、到底不可能に近い。


「······あの娘だけはー」


泪の言葉を遮ると同時にルシオラは言い放った。


「私も君と同じだ······もう、後戻りは出来ない」


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