第33話 瑠奈side



-睡眠中。


先刻助けてくれたルシオラと別れた後、突然いなくなった自分を追って走って来た琳や芽衣子にどうしたのかと聞かれたが、ビルから飛び降りしたと言ったらまずいと思い、何とかはぐらかした。

家に帰ると茉莉が自分を見て物凄い顔で驚いていたが、何か思う所があったのか幸いにもこれ以上の追求はなかった。


茉莉からため息を吐きながら今日はもう休めと言われたので、すぐに食事を済ませ風呂に入って自室へ戻る。寝間着へ着替えベッドへ潜り込むと、予想以上に疲れていたのか一気に眠気が襲って来た。



―···起きろ···シネ···死ね···生き、ろ···。



瑠奈は光も何もない夢の中を漂っている。また誰かが瑠奈に語りかけてくる。生きろとか死ねとか、色々な雑音が混じりあった不快な声。


「······」


それにしても今日は酷い目にあった。

無意識とはいえまさか自分の手で包丁を喉に突き刺そうとしたり、挙句の果てに高層ビルから転落するとは思わなかった。あの時ルシオラが助けてくれなかったら、間違いなく瑠奈はここには居なかった。



―殺すな···死ね······すな······死ね······殺すな······!!



複数の他者の声の他に、聞き覚えのある声も聞こえてくる。


「誰?」

『僕の精神(こころ)に干渉したのは、瑠奈(おまえ)だな』


間違いないなく泪の声。既に自分が泪の精神世界に干渉した事を知っている。


「···私の精神に干渉したのはお兄ちゃん?」


頭の中から響く雑音じみた複数の声は、やはり泪の精神世界に潜ってからが原因の様だ。

泪の得体の知れない深層心理に影響され、危うく自ら転落する凶行に走りかけた。ダメ元でも泪に理由を聞く必要がある。


『どうして僕に構うんだ? 瑠奈が僕に構わなければ、あんな大事にはならずに済んだ』

「そ、それは···」


いざ泪の方から質問されると、どう答えれば良いのか分からない。

しかし泪の精神を勝手に覗いたのは事実だ、それも泪自身にとっては最も見られたくない部分。答えを言いあぐねている瑠奈の目の前に、泪の姿がはっきりと現れる。


「お兄ちゃん······」

「僕は何も望まない。僕は周りが幸せならばそれで良い。

僕は誰にも必要とされていない。僕の居場所はこの世界の何処にもない」


淡々と語る泪の目には生気が無く、中性的な顔立ちは人形の様に無表情で動かない。


「僕は皆が笑ってくれればそれで良いんです。

皆が自分の為だけに笑ってくれれば、安心して皆の前から消えることが出来ます」


泪が何を言っているのか全く理解出来ない。思考が追い付かない。

『赤石泪』はしっかり者で優しくて責任感が強くて、勇羅を始めとした皆に慕われている。それが瑠奈の知る限りの泪。


「そ、それじゃあお兄ちゃんはずっと一人で良いの? 私が『お兄ちゃん』って呼ばなくなっても? わ······私が、他の人を好きになっても?」

「その通りです。僕は瑠奈が幸せならば僕自身は何も望みません」


もしもの返答を持ち出した瑠奈に全く動じる事なく、場にそぐわない穏やかな笑顔で答える泪に恐怖を感じた。


「な···何、言って」

「どうせ人間の気持ちなんてそうでしょう?

どんなに素行や性格が悪くてひねくれていても、容姿が良くて母性本能の掻き立てられる男性に優しくされたら、すぐその男性へあっさり心変わりするんでしょう。僕は瑠奈にとってタダの薄汚い当て馬のモブ男に過ぎません。瑠奈にとっての格好いい王子様は他に沢山居るじゃないですか」


「あ、あの人は関係ないよ!! 私は今お兄ちゃんの事聞きたいのに、他の人の話題を持ち出して来るなんて訳が分からない!!」

「どうしてです? 本当は自分を助けてくれた『あの人』に、優しくされて嬉しいんでしょう。『あの人』は貴方がいつも困っている時に助けてくれる理想の王子様。目の前の僕はただただ貴方を突き放すばかりで、節操のなくどうしようもない、周りから良いように使われて利用されて擦りきれて潰されて使い捨てられるだけの『生塵男』」


『あの人』とは確実にルシオラの事を言っている。

瑠奈が何度かルシオラと接触している事と、ルシオラ本人が自分に関心を持っているのを泪は完全に把握している。それ以上に泪はなぜ此処まで、自分の事を自虐的にかつ否定的に見れるのだろう。


「本当は生きてるのだって苦しいんです。でも自分だけが苦しんでるのが楽しくて楽しくて楽しくて仕方ないんです。

僕だけが傷付いて痛め付けられて苦しんでれば、みんなが幸せで居られてみんな笑ってくれるんです」

「···お、おかしいよ!? お兄ちゃんだけが一人苦しむって! 今生きてるんだから···き、きっと」


「生きてる? きっと良い事がある? じゃあどうしろと!?

束の間の幸福を与えられてもすぐに誰かに壊される! 安寧を望んでもどうせ周りに踏みにじられて粉々に壊される!

それを何度も何度も繰り返して一生苦しみ続けながら生き続けろと!? 本当、笑わせてくれます。

······あれも駄目、これも駄目、それも駄目!! じゃあ僕は何のために生きて行けばいい!? 何もかも我慢しろと!? 全て望むなと!? そんなの絶対耐えられない!!

失うものも得るものも与えるのも与えられるのも僕には何もない······無いものだらけの僕の答えの行き着く先は決まっている。

······僕は『生塵』です。ただボロ雑巾の如く扱われて棄てられるだけの『生塵』です」


一体どうなっている? 目の前に居る泪は誰だ?

姿や声は紛れもなく『赤石泪』なのに、もはや別人と話している感覚だった。


「お···お兄······」

「僕の望みは何もない!! 僕は何もいらない!! 僕は何も望まない!!」


瑠奈に言葉を言わせる暇も与えず泪が言い放った直後、瑠奈の意識は一気に闇に沈んでいく。

瑠奈の意識が途切れる瞬間、泪の声が聞こえた。



『······大丈夫、瑠奈は悪くない。瑠奈は何も悪くない。今まで苦しめてごめんなさい。

···ー······これ以上は。僕の精神に苦しまなくて良い』


意識が途切れる直前に聞こえた泪の声は優しく穏やかだった。


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