第9話 舌戦
「マナー違反だぞ」
冷淡な口調で語る女性は前を向いたままだ。
斜め横から交渉を嘆願しているゴールドの顔など見る気すら起きないらしい。
「本当に聞かなくてよろしいのですか?」
斜め横の位置から、バッカスの目の前にゆっくりと移動するゴールドの姿は余裕そのものである。
これも交渉術の基本中の基本だ。
相手に余裕が無いと悟らせない。
「話したい事とは何だ?手短に言え」
よし話に食いついてきた。
後はこちらのペースに乗せれば勝機が見出せる。
おっと、その前に…
この交渉で一番初めに聞くことがある。
それは、なぜ単なる女性の奴隷に莫大な金額を払うと宣言しているのか、という女性奴隷の競売に参加している理由である。
希少種や貴族の娘と勘違いしているだけなら、事情を話せば交渉の席から降りてくれるだろう。
しかし一番厄介な理由は…
いや、考えたくもない。
もしあの類の理由で奴隷を買おうとしているのならばフォーレンの魔法を用いてでも、法に反してでも、依頼人の母親を避難させる必要がある。
精神が壊されてしまうからだ。
「私に言いたい事とは何だ!さっさと言え」
「その前にお尋ねしたい事があります。なぜあの女に莫大な金額をかけるのですか?」
ゴールドは余裕をみせるために笑顔を作ってはいるが、額には汗がビッショリと出ている。
頼む…競売に参加している理由で、交渉難易度が変わってくるんだ
この質問に対してバッカスは目を見開け、あっけらかんとした表情をしながらゴールドの目をしっかりと見た。
「は、お前は何を言っているのだ?女が女性奴隷を買う理由は限られているのだろう?」
「はぁ… と、言いますと?」
「全く。公の場で言わせるのか。私の欲望を満たすためだよ、つい先日に前のおもちゃが壊れてな。あの女、タイプなんだ」
バッカスの薄気味悪い微笑みは、ゴールドの精一杯の余裕を掻き消して、真顔にさせた。
恐れていた事態が起きたからだ。
一番厄介な理由、それは己の性的欲求を満たすという理由である。
人間の三大欲求の1つと言われる性欲。
原始的な理由から対象を求めるので、性欲を理由として行われる判断は合理的な判断とは無縁の世界なのだ。
(最悪のケースだ)
一瞬、性奴隷にされる依頼人の母親の姿が脳裏に浮かぶ。
ダメだ。
もし、負けたらどうなる?
母親がこれからどうなるのかを依頼人になんて言えばいいんだ。
―――何としても負けてはならない
依頼人の女児に対して、ゴールドは強く心に誓う。
そして目に力を込めて遂に本格的な交渉に乗り出した。
「先程お耳に入れたいという話は、犯罪についての話です」
「犯罪… まさか誘拐であの女はオークションに出されているのか?」
「実は、そうらしいのです。誘拐された人物をそのままオークションで売り捌いたと知れ渡れば、奴隷商会そのものの信用に関わります」
「なるほど…」
バッカスはゴールドの話を聞いて、顎に手をやり顔を傾けた。
ここまでは大体想定通りだ。
恐らく、次に来る言葉は…
「お前は、そんな事を言うためにオークションを中断させたのか?」
やはりそうだ。
そもそも、奴隷か奴隷でないという証明は出来ない。
被害者家族の訴えなど商会の金・政治力で押しつぶせるだろう。
想定の範囲内の反応に、ゴールドは笑みを浮かべながらゆったりとした口調で続けた。
「いいえ、もう一つあります」
バッカスは既にこちらの顔を見なくなっている。
横を向きながらであるが辛うじて会話をしている状態だ。
「それは何だ?」
「はい。実はあの女、娘がいまして…」
「…… そうだったのか。それでお前はその娘に頼まれて」
「そうなのです」
―――食いついてきた
そう。これは最後の手段である。
ゴールドはもう一つの本能、母性に勝機を賭けたのだ。
娘のいる母親を陵辱するなど、人並みの母性を有する女性には出来ないはず。
相手の子供の事を考える知性があるのなら
というよりも、性欲という原始的な本能に対抗できる可能性を持つのは最早、同じ原始的な本能である母性しかない。
もし、これでダメなら交渉とはまた別の手段を取る必要がある。
「ふむ……母親だったか」
遂に、手を口元に当てて目を瞑った。
バッカスは何かを考え始めたのだ。
あともう一押しか…
交渉相手の変化を見逃さず、交渉の条件を畳被せる。
「もう一つ言い忘れていた事がありました。仮に競争から降りた場合には、奴隷の購入額と同等の金額をあなた様個人に贈呈する事をお約束しましょう」
「ほぅ…」
これでこちらのカードは出し尽くされた。
母性で心を揺るがして、金でトドメを刺す。
これ以上はオークション内でできない。
ゴールドは、発言後も様々なケースを考えていた。
もしバッカスが交渉に応じなかった場合は?
掛金を吊り上げ続けるか?
だが、高貴な身分でもないおれ達は、単なる冷やかしと認定されてオークション会場から追い出される可能性がある。
苦悶の表情を浮かべるゴールドに対して、バッカスの口が動こうとしていた。
この時、彼の心音は近くの観客にまで聞こえるほど大きな音を出していたという。
そして、遂に冷淡な口調で会話を再開する。
「分かった。私は、今後値段を吊り上げるような事はしないわ」
「… 感謝の意を表します。あなた様の商会は今後も発展してゆく事でしょう」
思わず口元が緩む。
ゴールドはやってのけたのだ。
天才と言われるバッカスとの交渉に打ち勝ち、手を引いてもらう事を宣言させた。
「では、失礼いたします」
一度、深くお辞儀をして軽い足取りでフォーレン達のいる席まで戻る。
心配そうな顔で待っていた2人に対して、満面の笑みで勝利の報告をした。
「交渉は上手くいったよ。安心してくれ」
「うぅ、、お兄ちゃん大好き!」
依頼人である女児は嬉しさのあまり飛びついてくる。
対照的にフォーレンはというと、まだ顔を歪ませながら唇をかんでいる。
ゴールドがフォーレンに、その表情について質問しようと口を開けたその時だった。
「お兄さん!もうオークション再開するからね!」
ピエロの声である。
交渉で勝利を勝ち取った嬉しさで忘れていた。
まだオークション中である事を
「すみません。再開して下さい」
「それでは、オークションを再開いたします。バッカス様の2000万Gより上に出す方はいらっしゃいますか?」
「3000万G!」
ピエロの質問に対して、ゴールドは晴れやかな表情で値を吊り上げる。
バッカスとの交渉で、ゴールド側が勝利するという事を確信しているのだろう。
値を吊り上げる際も焦っている様子が全くない。先程まで緊張していた人物とは別人のようだ。
ピエロも高額な競売に慣れたのか、最早、数千万単位の発言に対して動揺しなくなっている。
「他に名乗りをあげる方はいますか?いませんね。では、これで終了の鐘といたします」
〈カンカンカン〉
オークションが終了した事を知らせる音が鳴り響く。
しかし、勝利の音が響き渡っていてもフォーレンの表情は暗いままだ。
気になったゴールドはフォーレンに話しかける。
「フォーレンさん、どうしたんですか?浮かない顔をして」
「まだ、どうなるか分からないわよ。『必ず負ける』理由がまだ取り除かれていない」
「何を言ってるんですか、オークションは終わったんですよ」
浮かない顔をしているフォーレンを除いて、ゴールドと依頼人の女児は手を取り合って喜ぶ。
終わった。オークションは終わったんだ。
これで依頼人からの願いは完遂する。
この瞬間は、そう思っていた。
おれはフォーレンの言っていた『必ず負ける』という言葉の意味を正しく理解できていなかったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます