第37話
目を覚ますと、部屋に朝の光が落ちていた。
全身にふわふわと心地良さの余韻が残っているが、それが何なのかは分からなかった。
顔に手を当ててみると、泣き疲れた目が腫れぼったくなっていることだけは分かった。
畳部屋に差し込む朝日がやけに眩しくて、目をしかめる。
ごろんと頭を回すと、蓋のきっちり閉まった棺と、静かに燃える蝋燭が見える。
畳から上体を起こすと、すぐ隣にしずむさんが正座していることに気が付いた。
「おはようございます」
「うわっ」
しずむさんはしずむさんらしい眠たげな表情で、おれをじっと見つめている。
「驚くのはひどいです、颯太さん」
「ご、ごめん。おはよう、しずむさん」
おれが返事をすると、しずむさんは唇に人差し指を当てて、困ったように眉を曲げた。
「えーと。ひとつ、お願いがあるのですが」
「なんですか?」
「しずむさんでなく、しずむ、と呼んでいただけませんか?」
言ってから、一呼吸置いて、しずむさんはぽっと頬を染めた。
「……しずむ」
ますます頬を赤らめて、しずむさんは両手のひらを頬に当てた。
「あの、颯太さんは私に対して丁寧語が混じるので、それもやめていただけませんか」
「あ、ああ……えっと、努力してみる」
しずむはこくりと頷くと、恥ずかしげながらも満足そうに少し笑う。
「颯太さん。私は、かすかさんを降ろすことができたんですね」
「……ああ、見事に憑いてくれてたよ」
頭が重くぼんやりとしているが、昨晩交わした別れの抱擁は、はっきりと覚えている。
あの後に何があったのかは、霧がかかったように思い出せない。
「嬉しいです。初めて私は、神降ろしを成し遂げることができました。今まで独学で呪術を学んだことは、無駄ではなかったんですね。颯太さんとも、結ばれることができた」
「え?」
「颯太さん、今日はかすかさんの葬場祭です。私たちも準備しましょう」
「あ、ああ。そうでしたね、行きましょう」
「ん……」
「……ご、ごめん。行こうか、しずむ」
「はい」
まだ熱っぽく頬を上気させているしずむさんとともに、おれはかすかの葬儀に臨んだ。
式は滞りなく進行した。
弔辞、弔電、玉串奉納といった次第の後、かすかとの最後の対面の時間が訪れた。
蓋を取った棺の中に眠るかすかを覗くが、不徳ながら昨晩ほとんど開けっ放しだったので、改めて感慨が湧くということもなく、むしろ安心した気持ちで別れることができた。
目に見えなくとも、彼女たちはずっとおれを見守ってくれている。
寂しい夜は、かすかや彼女たちの抱き枕を抱けばいい。
帰ったら早速、二本目の抱き枕本体を通販で注文しなければならない。
もちろんとびきり感触の良い、高級ポリエステルシリコン綿の使われたやつだ。
祈りはきっと、届いている。
棺の蓋が閉じられ、釘が打たれた。そして、近場の火葬場へと出棺される。
おれとしずむさんは隣同士に並んで、かすかが火葬される様を最後まで見届けた。
再びかすかの実家へ戻って帰家祭、そして参列者の会食を迎える。
遺族への挨拶を済ませて、おれとしずむさんは、おれたちの街へと家路についた。
「颯太さんが望むのであれば、私はいつでもかすかさんの魂を再び降ろすつもりです」
正午を少し過ぎたがら空きの電車の中で、しずむはおれにそう告げた。
「いいんだ、そんなことしなくても。心配しなくても、おれはもう大丈夫だから。それになんというか、えーと」
「はい、知っています。私も昨晩、かすかさんの裏で意識がありましたから」
「え、そうだったの?」
「修行の成果だと思います。常人の精神ではおそらく、あの感覚には耐えられない。私はイタコの家系に生まれて、巫術を諦めなくて、幸運でした」
「なら、しずむ自身に危険が及ぶことも承知してるんだろ」
「はい。結果的に何とかなりましたが、やる前は私など消えても致し方ないと思って」
「そんなこと言わないでくれ。しずむさんには、しずむさんのままでいてほしいんだ」
「もう……」
「あ、ごめん……」
電車が駅に着いた。しずむは素早く立ち上がって小走りに電車から降り、振り返る。
「わかりました。これからもよろしくお願いします、颯太さん」
おれが降りるのを待たずに、しずむはホームから改札方面へ消えていった。
その黒髪から漂う優しい香りが、まだおれの鼻をくすぐっていた。
それからおれは普段の生活に戻った。
アニメ見てゲームしてバイトしてたまにあさりの仕事を手伝って、抱き枕を抱いて寝る。
あんまりくだらない生活習慣に、今更に自分のことながら笑えてしまう。
平凡な高校生の毎日など、誰でも実際こんなものなのだろうか。
あさりは相変わらず仕事に忙しそうだが、イラストの取材旅行と称してちょくちょく国内各地のスポットへ飛ぶようになった。おれもたまに景観を撮影するカメラ係として連れて行ってもらうが、あさりは気ままに観光スポットを巡ってちょっとスケッチしてご当地のオタショップに寄ったり土産物を漁ったり、真面目に取材してるとは言いがたい。最近は温泉が趣味らしいが、温泉旅行には決まっておれの同行を許してくれなかった。
「あんたの人生に温泉回なんてそうそう用意してやるもんですか」
冗談みたいなことを言ってごまかしながら、おれが安いデジカメで撮った写真にダメ出しして、細々とした撮影技術の拙さをえんえんと指摘してくるのでたまらない。
それでも、お互い引きこもりがちな生活に少々の改善は見られている。
しずむと魔術研究部の活動に出かけることも多くなった。
たいていは夜遅く、近所の怪しげな廃工場や取り壊し前のビルなんかに潜入して、探索をしたり真言を唱えたりいきなり踊り始めたり、もちろん死霊がどうの呪術がどうのといった講釈も欠かさない。神降ろしや巫術の研究は一応の成果を収めたということで、これからは廃墟に彷徨する死霊の鎮魂について焦点を絞るというのだが、おれはちょっと恐ろしくて腰が引けてしまうことも多い。彼女ひとりのときに祟りなんかがあったら事なので、結局は心配でついていってしまうのだけれど。
「こうしてふたりでいると、恋人同士みたいですね」
恥じらいながらそんなことをよく言ってくれるのだが、場所が場所なのでムードなんてありはせず、こちらに付き合ってる同士だとかデートだとかの感覚はさっぱり起こらない。それでも彼女と一緒にいると心地よいのは、自分たちが日陰者同士であることを夜の闇に再確認するためだろうか。
そうして繰り返す日々の中、いつかおれはかすかと過ごした時間を忘れてしまうだろう。
遠い昔の想い出もそうだし、かすかが抱き枕に憑依したあの時期も同じことだ。
それでも、彼女たちのことを想わない日など、一日たりとてありはしない。
様々なキャラに日替わりさせる抱き枕と、かすかの似姿のカバーがずっと装着された抱き枕、ふたつの抱き枕に挟まれて、おれは今日も安らかな眠りにつく。
ほんのささやかな、はかない祈りが、それでも彼女たちに届いていると信じて。
「…………ねえ、起きて……」
その朝、耳元に誰かの声が聞こえた。
「起きてよ…………ねえ、ねえったら……」
瞼を開けると、窓から陽が射して、柔らかくおれを照らしている。
両手に抱き枕の暖かな感触を確かめて、おれは二度寝に就こうと再び瞼を閉じた。
「もう、早く起きてってば……颯太くん!」
なにやら一瞬で目が冴えてしまった。
がばっと上体を起こすと、布団の上に二体の抱き枕と、うさぎのぬいぐるみがあった。
おれにぬいぐるみを抱く趣味はない。
「あ、やっと起きた。おはよう、颯太くん」
ぬいぐるみが中綿のへたれたよれよれの腕をひょいと上げて、言葉を発した。
「かすかなのか!?」
「うん、かすかだよ。みんなもいっしょ」
昔、かすかから貰った想い出のぬいぐるみだ。ほこりを被って灰黄色でぼろぼろである。
「この子も手洗いしてくれるって言ってたのに、汚れたままじゃない。もう」
「あ、ごめん。すっかり忘れてた……」
「昔から忘れっぽいから、やっぱり心配で……帰ってきちゃったよ」
しかし口もないぬいぐるみから甘ったるい声が妙に響いてくるのは不気味であった。
「ほんとにかすか……なのか? この前行った廃墟からついてきた悪霊とかじゃ?」
「あ、せっかくまた逢えたのにひどい! みんなとひとつになったかすかは、颯太くんの好きな女の子のこともアニメのことも全部頭の中に入ってて、だいたいのことは分かるんだから。今抱いてる子、あさりちゃんをお手伝いする名目でサークル入場して朝一で企業列に並んでようやく買えた限定発売の子でしょ?」
「うわっ、そういう事情まで知られてるのかと思うと……」
「ずっと一緒にいたような……本当に幼馴染み、みたいだよね」
「なんかおれのオタとしてのアイデンティティが脅かされてるなあ」
「そ、そんなことないよ?」
「もう高三かあ。なんか将来の目標とかまったくないんだよなあ」
「なんで将来に不安を抱いてるの?」
「かすかはなんだかすごい存在になっちゃったけど、おれはただの高校生だからなあ。そりゃ不安にもなるよ」
「これからはもっと傍にいてあげるから、元気出して?」
「そうだなあ。とりあえず休日だし、天気もいいから出かけるか」
「うんっ、かすかも一緒にいく」
「ヘタにまた抱き枕に憑いて、抱き枕を抱えて外出する羽目にならなくてよかった……」
「かすかの抱き枕も連れてお出かけしたら、本当にかすかと一緒にデートしてるみたいでいいと思うよ」
軽く聞き流し、おれはぬいぐるみのかすかを頭に乗っけて、玄関を出た。
すべてを得たような、すべてを失ったような、妙な気分のまま新鮮な外の空気を吸った。頭の上でもかすかは元気で、「空気がおいしい!」と人目をはばからず伸びをしている。
「ね、今日からあらためて、颯太くんとかすかは、恋人同士だよね?」
無粋なことを尋ねられている。
外にはいつもと変わらない、退屈な景色が広がっていた。
野暮な生き方しかできないおれたちが暮らすのに、ふさわしい街並みだった。
うつせみ天使 マルドロールちゃん @Maldoror_chan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます