第33話
駅前に着くと、昨日かすかと一緒に座ったベンチにしずむさんが座っていた。
「昼休み、あの後どこ行ってたんすか?」
「ちょっと、
「ん?」
「イタコの最終試験、身上がりの儀式にならったものです。注連縄を張った行場で白衣、白足袋、白鉢巻を身につけて、朝昼晩に三回ずつそれぞれ三十三杯の水を被ります。だいたい一週間から三週間ほどの期間、連日です。この間は食事も精進料理で通します」
「あれ、お昼に食べてたうなぎの蒲焼って……」
「材料はお豆腐や山芋などです。ちゃんとうなぎに見えましたか?」
「あ、うん。見えましたけど」
「よかったです。好物なので」
制服姿に学生鞄を持ったしずむさんは、いつもの無表情ながら、やはり少し顔が赤い。
「しずむさん、やっぱり具合悪いんじゃ」
「身体を極限まで追い詰めて、最後の秘法を師匠に伝授され、この身に仏を宿すまで続く儀式です。今夜行う呪術はかすかさん、それから私にとっても、重要なものですので」
予想は当たっていた。やはり、しずむさんはかすかの魂を自分に降ろそうとしている。
「……その冥婚呪術のほかに、方法はないんですか?」
「半端者の私では、今はこんな出来損ないの巫術しか、確実に成功させられませんから」
しずむさんは今にも倒れそうによろよろと立ち上がりながらも、細い眉を引き締めたその目付きに強い意志を秘め、しっかりと前を見据えていた。
確固として呪術に臨もうとするしずむさんの姿を見て、おれも最後の覚悟を固める。
しずむさんとともに電車を乗り継いで、かすかの実家に向かった。
昨日かすかの母親に通された畳部屋は襖を取って隣室へとぶち抜かれ、会場として設営されたそこに人々が集まっていた。
通夜祭は自宅で行われる小規模のもので、集まった家族親戚もざっと見で十数人ほど。近隣者やかすかが通っていた学校の友人らしき学生を含めると、二〇人程度だろうか。
かすかの死を改めてはっきりと突き付けられて、参列者との挨拶もおぼつかなかった。
斎主が唱える祭詞を聞きながら、おれとしずむさんは黙して式の次第を見届ける。
式の途中、御霊移しの儀が執り行われた。
故人の御霊を、仏式で言うところの位牌である
気になってしずむさんに視線を送ると、「差し支えありません」と小声で返された。
他の遺族がするのにならって玉串を奉り、静かに偲び手を打って拝礼する。
粛々と閉式を迎えた後、通夜振る舞いとして軽い会食と相成った。
かすかの母親、祖父母、伯父や伯母と改めて挨拶を交わした。みな年配で母親が最も若いが、心身ともに衰弱しきった様子で、夜伽の交代に出てやれる体力がないのだと、その任を負った若者ふたりに恭しく頭を下げてくれた。
夜も遅くなって会食も閉会し、参列者たちは三々五々に散って、母親ほか縁戚らは別室の寝床に移っていった。
翌朝の葬場祭まで、この畳部屋に安置されたかすかの遺体をおれとしずむさんのふたりで見守る、夜伽の時間が始まった。
小振りな神式祭壇の前に、かすかの入った棺が置かれている。
しずむさんはこの一夜に絶やしてはならないとされる、蝋燭の火を灯した。
闇の中の仄明かりに、しずむさんの白い肌がうっすらと浮かび上がる。
「抱き枕で夜伽とは、出来過ぎていますね」
「しずむさんでも、冗談言うんだな」
「これから七、八時間も、霊前の暗闇でふたりきりですから。楽しくいきましょう」
「呪いでかすかを蘇らせたおれが言えることじゃないけど、なんだか罰当たりっすね」
「これから、もっと罰当たりなことをします。私は独自の呪術理論を編んで、密教の真言だって半可通で唱えてしまう人間ですから、今更どんな罰当たりも気にしません」
「……冥婚って、一体何をするんですか」
「私の出身地に土着した、死者を供養する習俗のひとつだということはお話ししましたね。表向きにはされませんが、じつはその原形は、代々伝わるイタコの禁断の秘術にあります。私が修行の身にあったとき、祖母から少しだけそのことを聞かされました」
「秘術って、また冗談みたいな話じゃないか」
「いえ。イタコの起源は、古来より日本各地を渡り歩いて祈祷や託宣を行った歩き巫女です。公的に神に仕えるシャーマンである
しずむさんの長口上は、いつにもまして真剣味を帯びて広い畳部屋の片隅に響いた。
「ところで、ヘロドトスの『歴史』には古代都市バビロンの神殿売春について記されています。バビロンの全女性はギリシャ神話のアフロディテに相当する地母神ミュリッタの神殿にて、その御名において一生に必ず一度は見知らぬ男と交わる風習があったそうです。神の御名の下に結ばれる男女は、人間としてではなく、神として交接します」
しずむさんはかすかの眠る棺に目を落としながら続ける。
「古代の諸所の国や地方に、天の神と地母神の交わりによる創世神話や、豊穣を司る男女二神の交わりを象徴する聖婚の儀式が見られます。ヒエロス・ガモスです。古代の性観念において、性は私的領域に秘されるものでなく、宗教的かつ公的性格を有していました。性的宗教義務、性的快楽と宗教的法悦の一致をみる見解は、それこそタントラ密教から真言流に繋がります。古代宗教において性行為は自己と他者との境界を消滅させ、宇宙的、神的存在と一体となる機会として尊重されたのです」
「しずむさん、これから長いんだ。そんな一気に喋らなくても……」
「そうした聖なる性の祭儀は神聖婚姻、まさしく神に捧げるため選ばれた女性、特定の男性に所有されぬ聖女であるが故に多くの男性に性を共有される神の妻、聖処女の概念を生みました。誰のものでもあるが故に誰のものでもなく、実際に誰のものにもならない」
言葉を重ねるたびに息が荒くなり、しずむさんの白い肌がほんのりと上気していく。
「遊女の古語は
赤く染まった頬の上を、脂汗がだくだくと伝いはじめている。
瞳の色は、夜の闇よりなお
「しずむさん!?」
思わずおれはしずむさんの肩を掴んでいた。
「アッ……」
はっ、と驚愕したように肩を激しく上下させ、呼吸を忘れていたかのようにぜえはあと荒い呼吸を繰り返し、声のかすれた喉をおさえて苦しげに咳をした。
「しずむさん、どうしたんだ? やっぱり具合が悪いんだ、休んでいてくれ」
「いえ、少し油断しただけです。私の中に、何か強大な霊体が入り込もうと……」
想像していたより、よほど危険の差し迫った状態にあるらしい。
「お言葉に甘えて、少し休ませてください。先ほどのは私の言葉でありながら、私の言葉ではなかった。自分を開いた状態にすると、また取り憑かれかねません」
襖を隔てた廊下やほかの部屋には、まだ起きている人の気配がある。もししずむさんがその霊体に憑依されて何かの騒ぎにでもなったら、迷惑を掛けてしまう。
しずむさんは肩を掴まれたその勢いのまま、おれの胸にしなだれかかった。
全速力で走った後のような荒い息遣いのまま、しずむさんは目を閉じた。
おれは蝋燭の火を見つめながら、しずむさんの体温と深まる夜の冷気を感じていた。
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