第31話
翌朝登校すると、担任にやんわりと昨日の無断欠席を注意されたこと以外、何事もなく時間は過ぎていった。しずむさんはおれの後ろの席に座り、かすかとあさりは欠席だった。
昼休みはしずむさんと一緒に昼食を取った。
「しずむさんも夜伽に付いていて大丈夫だって、了解してもらったよ」
「ありがとうございます。かすかさんの魂は、あの肉体と離れてしまったのですね」
「……ああ。抱き枕だけ、残ってた」
「おぼろげですが、霊的気配に変化がありました。魂が本来の肉体に戻ったようです」
おれはコッペパンをぼそぼそと食みながら、机の向かいでピンク色の小さな弁当箱からうなぎの蒲焼をつつくしずむさんを見つめた。
「少し、いりますか?」
「いいよ。しずむさん細いから、もっと食べたほうがいい」
「颯太さんこそ、今晩は夜を通すのですから、今から気を張らずにもっと食べたほうが」
しずむさんは口に運んだ蒲焼をもぐもぐ咀嚼して、丸い顎を上下させている。
心なしか頬が赤らんでいて、表情はいつにも増してぼっとしている。
「もしかしてしずむさん、風邪引いてないか?」
「いえ、平気です。放課後に駅前で待っています。式はかすかさんのご実家で?」
「そうだけど……」
しずむさんは空になった弁当箱を鞄にしまうと、立ち上がって教室を出て行った。
おそらく、しずむさんは冥婚呪術とやらでその身体をかすかに明け渡そうとしている。
おれはかすかにこれからも傍にいてほしいと願っているが、かすかが抱き枕の肉体に憑依している限り、おれたちの関係はぐねぐねと歪んでいき、心身の破滅を免れ得ない。
だからしずむさんは自分にかすかの霊を降ろして、おれに寄り添おうとしているのだ。
そうすれば、おれをかすかと取り合うことにもならず、あとはおれが抱き枕趣味との折り合いをつけさえすれば、円満な交際関係が築けるはずだと捉えている。
方法はともあれ、しずむさんの言動を見る限り、そんな筋書きしか思い浮かばない。
だが、本当にそれですべてが解決するのだろうか。
かすかが悪霊化する可能性、おれが死に至る可能性のほかに、何かもっと重大な危険が冥婚呪術には隠されているのではないか。
息が詰まりそうになり、少し考えてから、しずむさんの後を追おうと廊下に飛び出す。
校舎内をしばらく探し歩いたが、魔術研究部の部室にすらしずむさんの姿はなかった。
仕方なく教室に帰ろうとしたところで、アニ研の部室の前を通りがかる。
ひとりで思い悩んで疲れがひどかった。部員達と馬鹿話をして気を休めるのもいいだろうと思い、入口の引き戸を開ける。
そこにはかすかがいた。
十七歳に成長した、かすか本来の姿のままで、かすかはそこにいた。
一本のお下げに編まれた栗色の髪、優しげな碧い瞳、小柄ながら肉感的なその身体が。
それは抱き枕だった。
「――――!」
繊維の肌に中綿を詰められ、部員達の手に手に抱えられた、抱き枕のかすかがあった。
部長、久米、八王寺、青木、花山、五人の部員の腕に、五人のかすかが微笑んでいる。
「オッ、八木氏! ここここここれ、ホレ見てくだされコレコレ」
「部長、それ、一体、どうして……」
「すごいっすよ八木チャン、一昨日の夜にいきなりあさり氏の新作抱き枕が販売開始して、アマプラレベルでスピード配送されて、今朝もう配達されてたみたいな?」
「ん、んふ……ど、どうよ、この肌触り、ん、これAJの新素材で、良いよ、んふ」
衣服がはだけてあらわになったかすかの乳房に頬擦りをかましていた青木が「んふう」とうっとりため息をついて一旦汗を拭き、おれにかすかを手渡した。
かすかの肌はライクトロン生地だった。従来の生地よりもぐんと滑らかで餅のように手のひらに吸い付く。繊維は柔らかに伸縮し、力を入れると自分の肌ごと溶けるように心地良い。高精細な印刷には微塵のかすれもなく、線は一本一本まで丁寧に描き込まれている。肌色の発色も良好で、全体として印刷所とあさりの仕事の完璧さが伺える逸品である。
顔を近づけると、青木の皮脂の匂いが鼻を刺した。
「童顔巨乳で甘ロリ風ドレス……媚び過ぎだと思いきやなかなかどうしてこれはこれは」
「ロ、ロリ巨乳はやっぱ淫祠邪教みたいな? ここっ、ここまで良いのはさすがにっ」
「んふふっ、ふうっ、いいな……んふ、アリ、アリな、これアリ、ん、んふ……」
「恥じらいをたたえて微笑む唇、快楽と背徳に潤んだ碧眼、そして何よりこのおっぱい! いいよ? これでしょ? いや俺ぐらいになっとな? 結局こういうのでいいんだよ、ての分かっちゃうんだよな」
「ヒョ、個人的には? 個人的にはマア品性が無い? いささかエロ重視しすぎって感じで?」
「このクオリティで次回作は是非に青髪ヒロインを! ご所望いたしておりまするぞ~」
「ん、ブチョ、ブチョもなんだかんだでこのおっぱいに陥落? んふ?」
「ままままま、これはさすがに否定できない? でも裏面のおヒップもなかなか……」
「や、八木っちは意外にもまだ買ってないので?」
おれは青木に押し付けるようにかすかを返すと、踵を返して部室を出ようとした。
「ままままま八木氏、はやる気持ちは分かるが待ちたまえ! じつはこんなこともあろうかと用意しましたこれ、ジャン! ジャジャジャン!」
肩を叩かれて振り向くと、部長の手には新品未開封のかすかの抱き枕カバーがあった。
透明の袋越しに、顔が正面に来るよう綺麗に折りたたまれたかすかの碧い瞳が、じっとおれを見つめている。ずっと無意識に追い求め続けていた、おれの理想の少女が。
「最近元気のなかった八木氏のために、予備も確保しておいたのでござるよ。さあ、家に帰ったらこれをひしと抱いて八木氏も終わらない恍惚の夜を過ごすが良い! なに、購入資金は心配無用。この前の飲みも八木氏の持ちでしたからな」
部長はおれの両手を取って、かすかの抱き枕を握らせる。
「こんな……ものッ……」
おれはきっと部長を睨み上げて、それを払い退けようとした。
「どうしましたか、八木氏?」
部長は嬉しそうに口元をほころばせ、澄んだ両眼でおれを見つめていた。
部員達はみな欲望を剥き出しにして表情を歪めているが、かすかと見つめ合うその瞳は幼い少年のように情熱を秘めて爛々と黒く輝いており、かすかとくちづけを交わすその唇は不健康な青紫色ながらも、愛の言葉を囁くたびに純粋な喜悦に潤いを増していく。
抱き枕を抱いているときの自分も、あんな感じなのだろうか。
おれはあんな醜くも哀しい姿で、毎晩アニメキャラを抱き続けてきた人間なのか。
そしていま目の前に差し出されているものは、おれが七年間を費やして求め続けた、理想の初恋を夢見て瞑想の迷路を走り続けた、おれの思春期の結晶なのだ。
この光景を否定して、おれに何が残るというのだろうか。
おれは歯を食いしばって、かすかの抱き枕カバーを丁重に受け取った。
「……ありがとう。大切に抱くよ」
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