六
第24話
翌朝は気持ちの良い日和で、自転車で街を駆けると風が清々しかった。
「ね、かすかには彼氏さんがいるって、この前言ったでしょ?」
「抱き枕に憑依してすぐの、あの朝のことか?」
「うん。も、もし勘違いされてたらやだから言うとね、かすかはずっと、颯太くんがいるところへ、もしかしたらって会いに行ってたんだよ」
「どういうことだよ?」
「憶えてないかな、学童クラブ。小学校の三年生まで一緒だったでしょ?」
「あ、学童保育所? 鍵っ子が預けられて、放課後遊んだりする……そういえば行ってた」
「うん。学校の近くの団地の一階で、ちっちゃい公園が目の前にあって。たまにね、その公園に行ってたの。あの頃の颯太くんがいないかなって、探しに行ってた」
今朝のかすかはセミロングの黒髪に童顔眼鏡、低身長ながら出るところは出ている身体を制服エプロンで包んだ、ベテラン声優の奇声すれすれな鼻にかかった特別甘ったるい声が特徴の幼馴染みキャラである。
「なんだよそれ、彼氏って、そこでおれに似た子供見つけて付き合ってたって?」
「ち、ちがうよお。確かにいつも来てるから保母さんと間違われて、ちょっと遊んであげたりしてたけど。でも、颯太くんみたいな男の子なんていなかったよ」
「もしかして、それで遅くなった帰りに踏み切りで轢かれた、なんてことじゃ……」
「……あう」
休日に近所へ出かける二人乗りの最中に、さらりと大変な事実を明かされてしまった。
「ごめんね、かすか、ドジだから。颯太くんは悪くないのに、それで気にされたら悪いから言わないでおこうと思ってたけど……でも、かすかに彼氏さんがいるかどうか気にしてたんでしょ? それだけ言っておくつもりが、バレちゃった……」
「ごめん、それはおれがひどかった、結局……」
かすかをかすかだと気付いていないときの話だが、あんまりな失言であった。
「ううん、ごめんね……かすかたち、謝ってばっかりだね?」
「そうだな……」
「ね、もっと恋人らしく、したいね」
ゆったりした登り坂に差し掛かると、荷台に座るかすかの重みがずっしりと感じられた。
「かすか、坂だから、ちょっと降りてくれないか?」
「あっ……そ、そんなに重くないもん、颯太くんのばか!」
「いたっ、いたい。ほら、あさりの家、すぐそこだから」
「おはようございます、颯太さん、かすかさん」
あさりの家の前まで登りきると、しずむさんが玄関扉のあたりにぼんやりと突っ立っていた。
「今日も、仲睦まじいご様子で」
「しずむちゃん、おはよう。颯太くんったらひどいんだよ、かすかのこと重いって」
「颯太さん、それを言ってはだめでしょう」
「そ、そうじゃないんだ、しずむさん……」
「おーい、家の前でたむろってないで早く入ってきなさい」
見上げると、二階の窓からあさりが顔を出していた。ぼさぼさの髪が風に乱れている。
「お前、そろそろ髪切ったほうがいいぞ」
「うるさい、さっさと来いって言ってんの」
四方の壁に設置された背の高い本棚に蔵書がぎっしり詰まったあさり宅のリビングは、意外にも小綺麗に掃除されていた。四人揃ってソファに座り、ガラステーブルを囲む。
「なるほど、これが色々あって溜まりに溜まった新作抱き枕なわけだ」
あさりはおれの持参したリュックサックから何十枚と畳まれた抱き枕カバーを取り出すと、ばさりばさりと無造作に広げてその絵柄を確認していく。
「おい、まだ一度も抱いてない子ばっかなんだぞ! もっと丁重に扱えよ」
「うっわエグいなあこれ。アニメ系中心で突然どぎつい同人枕来ると引くからやめてよ」
「かすかさん、ああいうどぎつい姿になって颯太さんに抱かれておいでで?」
「ああいうのにはなっちゃだめって。かすかは、覚悟できてるのに……」
「そういう後でいいから、早速だけどそこに立ってモデルになってくれる?」
あさりがスケッチブックと鉛筆を手に取って、かすかに指示した。
「一度も抱いてないんだから畳めって! 床にほっぽり出すなよ……」
「あさりちゃん、ポーズ、こんな感じでいいの?」
「あさりちゃんってあんたね……あー、でも、いいねえ……」
今日はあさりがかすか似のオリジナル抱き枕絵の入稿を遅らせる代わりに、アニメキャラ姿のかすかをイラストや同人誌の参考にしたいと申し出たので集まることになった。
かすかはあさりの指示に合わせてポーズを変えたり静止したり、忙しそうにしている。
「いいねえ……しかしそのキャラ何年前よ、こっちのキャラになって」
猛烈な速度で紙上に筆を走らせるのを止めて、あさりが新作抱き枕の一枚を指した。
「あ、うん。その、変身するのは裸にならないといけないんだけど……」
「女と彼氏だけでしょうに、何をもじもじと。そっちの本棚の陰で着替えてくれば?」
「ひ、人前でなんて恥ずかしいもん……ちょっと待ってて?」
妙な関係と言えなくもないが、アニメキャラ姿のかすかと友達付き合いができそうなやつがいてくれてよかったとおれは安心した。毎日おれとふたりきりじゃお互い息が詰まるし、かすかは学校でも周りと上手くやっていけるか分からない、奥手の性格なのだ。
「颯太さん、お暇でしたら魔術研究部の活動を行いたいのですが」
「あ、あれ? そういえばしずむさんは何で来たんだっけ?」
「ひどいです。せっかくの休日なので、研究を進めようとご一緒したのですが」
「うわっ、なにそれ!? そうやって変身してるんだ!」
「きゃーっ、あさりちゃん覗かないでよ~……」
物陰のほうでかすかとあさりが騒がしいが、しずむさんは相も変わらず眠たげである。
「今日はコンテンポラリーダンスを研究します」
「えっ、なにそれ。かすかの霊魂とかと何の関連が?」
「はい。かすかさんの霊魂にアプローチする一方法として、有効であると考えます」
「ダンス、ダンスかあ……また真言唱えながらやるの?」
「前回の金粉ショーで神随の舞踏に可能性を感じました。霊魂と接触するには神憑りを極めなければなりません。イタコの口寄せもまずは神様を呼んで、神様の力で仏様を呼び寄せます。身体と霊魂の関係について、更に多角的に突き詰める必要があるのです」
しずむさんの金粉ショーには確かに神々しさを感じたが、あちこち手を広げすぎではないだろうか。手探りな研究態度がちょっと過ぎるような気もする。
「日常生活の制度化された動きに束縛された現代人である私たちがその身に霊的なものを降ろそうとする場合、第一にそのための体づくりが必要であると思われます。まずは闇への祈りを身体によって表現し、闇を招き入れる肉体をイメージするのです」
「もっかい変身して! もっかい、お願い!」
「もう、あさりちゃんたら。これむずむずして、変な感じになっちゃうのに……」
「しずむさん、なんか気になるからあっち行ってきていい?」
「よって今回はモダンダンスに立ち返ります。日本人的肉体の深奥に潜りその真実を抉り出す暗黒舞踏が手法として最適かと思われますが、そこから遡った源流のひとつにドイツ表現主義舞踊・ノイエタンツがあります。今日はその創始者であるマリー・ヴィグマンの『魔女の踊り』をやってみようと思い立って、準備してきました。『舞踏とは命がけで突っ立った死体である』という言葉通り『立てない』地点から出発する舞踏と通じて、この踊りは床に座りながら行います。そしてこの女性の獣性をイメージした仮面を被りまして」
「おれ、しずむさんのそういうところよくないと思うなあってうわ何その動き!」
しずむさんがあぐらをかくようにその場に座り両手を交差させて膝を掴んだかと思いきや曲げた両足をばしばし床に叩きつけて徐々に移動しはじめ痙攣したようにがくがくと上半身を揺さぶると全身の関節もねじ切れよとばかり上下左右に激しくじたばた踊り出したのでおれは恐ろしくなって飛び退いた。
「オン・バザラ・ダルマ・キリク、オン・バザラ・ダルマ・キリク……」
「ちょ、人の家でなに真言唱えてトランス入ってるの? やめてよ夜来さん」
「颯太くん、かすかがいない間にしずむちゃんとトランスするなんて、浮気者……」
「誤解だ!」
かすかの口から浮気者なんて言葉を聞いて、おれは胸がちくりと痛むと同時に、こんなおれたちの間に三角関係だとか色恋のいざこざが起こるわけもないのではないかと、心のどこかで何か安心したような気分になっていた。
四人でこうしてだらだらと過ごしていれば、かすかを抱くことへの葛藤、しずむさんに告白してしまったこと、どっちつかずに揺れているおれの甘え、そんなもののすべてが、このひとときだけでも許されるような気がしていた。
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