第23話

 時間も時間なので、おれはしずむさんを自転車の後ろに乗せて、家まで送ることにした。

 新しめのマンションや戸建住宅が立ち並ぶ住宅街の一角に差しかかったところで「ここです」と指されたのは、古びた平屋建てだった。

「ありがとうございます。正直、夜道はひとりでは怖いので」

「毎晩でも送り迎えしますよ、魔術研究部部員として」

「……恋人同士として、じゃないんです?」

 こつん、とおれの背中のあたりを叩いてから、しずむさんは自転車からそっと降りた。

「かすかさんがいるのに。悪い人、ですね」

「っ……あれは、その、つい口にしてしまったというか」

 あれは自分でも意識しないまま、口を衝いて出てしまった言葉だった。

「私も颯太さんのこと、好きです」

 心臓がきゅっ、と締め付けられる音が聞こえた気がする。

「いいです。もしかすかさんと、自分の闇と向かい合うのが辛くなったら、私が受け止めてあげます。でも、浮気はだめです。ただ、受け止めてあげます」

 なぜしずむさんは、こんなにも包容力に溢れているのだろうか。

 かすかもしずむさんもしたたかすぎて、おれはそれに甘えてばかりいる。

「……すみません。かすかにもしずむさんにも不義理で、不貞なことを言いました」

「抱き枕を取っ替え引っ替えの方に貞操観念なんて、はじめから期待していません」

 しずむさんは肩をすくめて、家の玄関へ向かって歩み出した。

「今夜は、かすかさんと一緒にいてあげてください。私は一人寝に慣れているので」

「……おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 しずむさんが玄関扉に消えるのを見届けてから、ふと肌寒くなって前籠に畳んでおいた金粉油まみれのジャケットを羽織ると、おれは急いで自宅に向かって自転車を走らせた。


 家に帰ると、かすかが拗ねていた。

 電気も付けないで、部屋の隅っこに体育座りをしている。

 薄緑色のウルフヘアで小柄、何やら狙撃銃らしきものを抱えており、物騒極まりない。

「あー、ただいま。かすか?」

「……」

 頭部に装着したヘッドセットに手を当てて、聞こえませんといったふうにぷいと顔を逸らす。おれはとりあえず部屋の電気を点けると、かすかに頭を下げた。

「ごめん、かすか。お前の気持ちも、抱き枕キャラの気持ちも、踏みにじってしまった」

「……颯太さんは悪くないです。私がちょっと、急いでしまっただけ」

 顔を背けたままにか細い声でぼそぼそ話すかすかの、その肩が少し震えている。

「お互いまだ、刺激が強すぎました。なので、今日は私と一緒に」

「そんなにキャラに寄って話すなよ、かすか。その子、デレるまでそっけないんだよ」

「……はい」

 かすかは狙撃銃を落として立ち上がると、その小さな身体をおれの胸に飛び込ませた。

「颯太くん。かすか、さみしかった」

 華奢な細腕から思いがけずぎゅっと強く抱き締められ、おれはその背中に腕を回し返すことをためらってしまう。

「颯太くんも、さみしかった?」

 おれにかすかを抱き締め返す資格があるのだろうか。

「ああ……」

「そう、だよね。かすかね、今晩颯太くんが帰ってこなくて、一晩中ひとりになっちゃったらどうしようって思ってたの。そんなの耐えられないよ……でも、颯太くんは毎晩抱き枕の子と一緒に寝てるんだもん、喧嘩してもきっと帰ってきてくれるって信じてたの。ね、お互いさみしくて、そんなの、耐えられないものね?」

「……ごめん」

 胸にしがみついてくる肉の薄い身体が、しずむさんの感触と似ていた。

「かすかね……なんでかな、さっきから、すごく眠いの」

「こんな時間までずっと起きてたなら、そりゃそうだよ」

「ううん、違うの。かすか、これでも夜更かし得意だもん。そういうのと、ちがう……」

「おいっ、かすか?」

 不意におれの胸を締めつける腕の力が抜けて、かすかがその場に崩折れた。

 すぐさま抱え起こそうと屈んで顔を近づけると、「すぅ」と寝息が聞こえる。

「布団すぐそこなんだから、我慢しろよな……先にひとりで寝やがって」

 抱え起こして布団の上に運んでやると、かすかの瞼が少しだけ開いて、瞳が動いた。

「ん、颯太くん……眠いの、眠くて、不安なの、ね……わかる?」

「大丈夫か? おれ、ちょっと歯磨いて顔洗ってくるから」

「だめ、いかないで……」

 ジャケットを脱ぎ捨てたところで、かすかに肌着のシャツを掴まれてしまった。

「かすか、おかしいの。何か、熱っぽくて、ぼっとしちゃう。遠いの、颯太くんの顔がぼやけてくるの。そんなのいやだよ……なんで、抱き締めてくれないの?」

「かすか、もしかしてどこか悪いのか?」

「わからない、わからないよ……はやく、お願い、抱いてよ、颯太くん……」

 おれは照明を常夜灯に切り替え、かすかの隣に身を横たえた。

 掛け布団をふたりの身体に被せると、望みどおり、かすかの身体を抱き締めてやる。

「あったかい……」

 かすかの体温が伝わってくる。安心したような声が吐息とともに、耳元に甘い。

「落ち着いてきたか?」

「うん、あったかい。ね、離さないでね。今夜だけ……ううん、ずっと」

 かすかの手が力無くもおれの顔にゆっくりと伸びて、慈しむように頬を撫でた。

 折れそうな背中を優しく叩いたりさすったりしてやるうち、かすかは「すぅ」と再び寝息を立てた。

 抱き枕を抱くのとは勝手が違う、頼りなげで溶けるような抱き心地に戸惑う。目の前にある幸せそうな寝顔にいつもの癖で口づけをしようとして、寸前で思いとどまった。

 おれの好きなアニメキャラが深い眠りに沈んでいく様を、おれはじっと見つめていた。


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