第21話
「早速ですが、颯太さんにお手伝いしてもらいことが」
気恥ずかしさからしずむさんの顔がまともに見れず、架橋の柱に背を預けて少しの間ぼんやり突っ立っていたおれに向かって、しずむさんがそう切り出した。
「最近は舞踏と密教の応用がマイブームでして」
「えっ、どういうこと」
「舞踏を行いながら真言を誦することで、その呪力を増すことはできないものかと」
「さっきの踊りながら唱えてたのも、それの一環だった?」
「だいたい同じです。呪文っぽいものなら全部試しています」
「アバウトなんだ……」
「前例のない憑き物落としをするのですから、色々試しませんと。今日やろうと思っていたのは、狐憑きを退散させる和歌を歌いながらの舞踏です。これを持ってください」
しずむさんから、刷毛の突っ込まれた青のプラバケツを手渡された。
中身を見ると、何やら黄金に輝くどろっとした液体がたっぷり入っている。
「これは一体……?」
「金粉をサラダオイルで溶かしたものです」
「はあ。これで、おれに何をしろと……」
「私の全身に、これを塗りたくっていただけないかと」
「え?」
何を言っているか分からず呆けたような顔でしずむさんを見つめると、しずむさんはちょっとためらう素振りを見せてから、制服のブレザーのボタンを外しはじめた。
ブレザーを脱いでその場に落とすと、そのままワイシャツのボタンを外しにかかる。
驚いて目を逸らしたが、しずむさんとの距離が近く鼻をくすぐる女の子の香りがいやに強く感じられ、なおさら動転して思わず背後の橋脚にしがみついてしまった。
「なにをしてるんだ、先輩!?」
「金粉ショーというものはご存知ないです? 起源やそれにまつわる宗教的意味は寡聞にして存じませんが、舞踏系ダンサーに伝わるダンスパフォーマンスのひとつです。六〇年代の何かのヒット映画で、全身に金粉を塗られて皮膚呼吸ができなくなった女性が窒息死するというシーンが話題になったらしいです。それで観客に受けたりもしたのでしょう、下積み時代の舞踏家がキャバレーのバイトで出し物にして、ひいては舞踏集団の公演や大道芸においても見られるようになったというものなのですが」
「それ、密教とか呪文とか関係ないんじゃ?」
「まったくの無関係ではないでしょう。舞踏では白塗りの手法も有名です。白骨を砕いた粉をまぶして死者との一体化を目指した白塗りの舞踏家までいたと聞きます。立ち返って金粉ショーでは、『カンノン』というポーズがよく取られます。空手の騎馬立ちに似た姿勢を取って腕を観音像のように合掌させるものなのですが、これはまさしく見世物でありながらも神仏との一体化を目指す
「あーいやごめん悪かったそれより、おれがしずるさんに金粉塗るって、それ……」
恐る恐る振り向くと、言っている間にしずむさんは衣服をすべて脱ぎ終えたらしく、こちらに背を向けてコンクリートの地面に座った痩身が、闇の中に浮かび上がっている。
春の深い夜に、川の匂いが混じる風が吹いていた。
「あーっ、ちょっとちょっとちょっとちょっと」
おれは大慌てで羽織っていたジャケットを脱ぎ、迷ったあげくに長袖のシャツも脱いで、砂や小石の落ちるざりざりとしたコンクリの地面にそれらを敷いた。
「せめてその上に乗ってください。しずむさんのは制服だから、汚すわけにいかないし」
「……ありがとうございます。でも、油に濡れますよ? キャバレーで踊られたときもステージが油まみれになったらしく、他の踊り子やボーイさんに不評だったらしいですし」
「いいから。地べたに直接じゃ、春とは言ってもさすがに寒いでしょう」
「はい」
肌着のシャツにジーパンという格好になったおれは、しずむさんが地面に脱ぎ捨てた制服を畳み、手にしたバケツの重みを確認すると、おれの衣服の上に腰を落ち着けなおしたしずむさんの背中へ改めて目を向ける。
「自分ではうまく全身にまんべんなく塗れないので……お願いします」
「は、はい……」
橋の下の
先に触れたかすかの背中は肉厚で、脂が乗ったとでも形容できる、柔らかなものだった。
手で触れると、しずむさんの背中は闇に溶けたように冷たく、力を入れれば簡単に折れてしまいそうな痩せ形で、ほっそりと浮き出た肩甲骨の線がなぜか愛おしい。
汗の一滴も見られない肌が不気味なほどになめらかで、手がつるりと滑ってしまう。
「できれば早く……お願いします」
胸のほうに流した長い黒髪をいじりながら、しずむさんが小さく言った。
「……じゃあ、やります」
おれは傍らに置いたバケツから刷毛を取り、金粉油がとろりと滴り落ちる様子をちょっと眺めてから、しずむさんの肩のあたりに毛先をそろりと這わせた。
「んっ……」
刷毛は続いて肩甲骨をなぞるように滑り、白い背中の下へ下へと落ちて、尻に近づいてきたところで折り返し、椎骨の通る正中線に沿って肌を舐め上げていった。ぬらぬらと光る金色の軌跡が暗がりの中でなお鮮やかに走り、しずむさんの痩せた身体を彩っていく。
「あぁ、ぁ……んぁ……ん」
しずむさんの息が次第に荒くなり、寝静まった街の片隅に秘密めいて響く。
金粉油の立てるぬちゃ、という淫靡な音が、静けし川音が鳴っていることを忘れさせる。
「あぁっ……そこは、や……」
背中を塗り終えた刷毛が脇腹に滑り込み、肋骨の上の皮膚をくすぐる。
「しずむさん、次、腕を……」
おれはバケツに手を戻して金粉油を刷毛にたっぷりと乗せ直すと、水平に上げられたしずむさんの右腕に向けて片膝立ちの姿勢になり、肩口のほうから筆を入れた。
ふにふにと握った手に心地良い二の腕を名残り惜しみつつ、手指の一本一本を取って、爪先、指の隙間に至るまで、金色の化粧を施す。
「次、あの、前か下、なんですが」
「……したを、お願いします」
しずむさんはおもむろに姿勢を崩し、おれの敷いたジャケットの上にうつ伏せになった。
肘をついて心細そうにこちらを見上げるその姿が、抱き枕絵によく見受けられる、アニメキャラを後ろから抱き締める体の絵柄そのままで、胸が不意にずきりと痛んだ。
「腰から、臀部、脚まで……おねがいします」
しずむさんの発音は舌がもつれたように危うげで、吐息が甘い湿り気を帯びている。
震える手で刷毛を近づけて、丸みをもって膨らんだそこに、輝きを滴らせる。
「ああぁっ……んぅ……」
尻肉の丘を慎重に滑り落ち、むっちりとした太腿には念入りに繰り返し筆を歩ませ、膝裏を通ってふくらはぎにかけては、つと、素早く足首まで走り抜ける。足先からちょっと持ち上げて、膝小僧をとくに意識しながら、塗り残した正面側も片付けてしまう。
「ふわぁんっ」
普段のしずむさんからは聞けそうにない嬌声が漏れ、しみじみとあわれなまでに思う。
刷毛を離さずそのまま足の裏へ。土踏まずのくぼみに上下した後、毛先は足指の隙間にその一本一本の微細さが持つ本領を発揮させる。しっとりとした灰色の山羊毛が幅広に揃った刷毛は持ち手の細かな動きに合わせて踊り、足指が五本それぞれにむずむずと暴れるのをものともせず、小指の爪先までをもぬらぬらとした山吹の色に染めてしまう。
「ひゃあぁ……あぁああぁ~……」
もう片方の脚も同様に塗りつぶすと、背面すべてが金色に染まり、身体のあちこちのくぼみ、隆起、その質感、薄い脂肪、筋肉の形作る曲線が、はっきりと強調されておれの目に飛び込んでくる。
「はぁっ……はやく、まえも……して、くださいっ……」
熱にうなされたように悶え、絶え絶えに息を吐きながら、しずむさんが身体を裏返した。
「わっ、ちょっと!?」
おれがたまらず視線を顔ごと逸らすと、「だいじょうぶ、です」と細く声が聞こえる。
視線を戻すと、しずむさんは右腕で胸元をおさえ、左腕を下腹部に這わせ、はあはあと肩を上下させながら、乱れた髪の毛の一本を唇の端で食み、たっぷりと涙をたたえて潤んだ深紫色の瞳でこちらをすがるように見上げ、仰向けに横たわっている。
上気した頬が愛らしく、半開きの唇が瑞瑞しくも妖しい。
向こうからわずかに差し込む常夜灯の光が、もっと強くなってくれないかと思う。
おれの身の内に潜む少年は、先ほどからずっと、青白い鬼火となって立ち昇っていた。
「おねがい、します……はや、く……」
「……わ、わかったよ」
おれはしずむさんの上に乗るようにその身体を挟んだ膝立ちになり、片手を地面について、折り重なるようにその裸体に顔を近づけた。
刷毛をしずむさんの首筋に当て、鎖骨のあたりと首まわりを手早く塗る。
「はわぁっ……くす、ぐったい……」
しずむさんの黒目がちな眼から、つうと、一筋の雫が落ちた。
おれはそっと彼女の後頭部に手を差し込んで、優しく頭を持ち上げると、喉元からつむじにかけて、ぐるりと刷毛を撫でつけようとした。
「あ、あ、あ……だめ、だめ、だめですそれっ」
たちまちしずむさんの身体が跳ね上がり、おれに全身でしがみついた。
「おおおおちちちょっと、どうしたんですか!?」
「くすぐった、すぎます……そこは、手で、直接して……?」
姿勢を引くと、しずむさんはそのままおれの腰の上に腰を重ね、びくびくと下半身を震わせながらおれの背後で両足を組み、首に両腕を回し、完全な密着体勢を作ってしまった。
あまりのことに言葉も出ない。
とにかく、全身を塗り終えなければならない。
使命感だけで意識を保ち、なんとかバケツに両手を突っ込んで手のひらを金粉油まみれにすると、しずむさんに上半身を少し引かせて、その首を両手で包んだ。
その光景は、抱き締め合って愛に沈む様か、想い人の首を締めて心中をはかる様か。
ふと、しずむさんの熱く蕩けた顔が、とても神聖なもののように思えた。
「そのまま……したも……」
促されるままに首から下に降ろした両手が、ぬるんという潤滑の音とともに、もはやさえぎるものの何もない、両の乳房へと吸い込まれていった。
思ったよりも豊かさの感じられる触り心地に、おれの少年がどす赤い火炎を吐いた。
「ッ……はぁん……」
顔にかかる近さで、噛み殺しきれない熱い吐息が夜気に溶ける。
たがが外れたようにおれの両手はしずむさんの脇の下、腹、臍、下腹にかけてを、さっきよりも力を込めて、指の動きをも利用して、勢い良く執拗にねちっこく撫で回していく。
「あっ、ああぁ、だめっ……そこ、だけは……」
足の付け根にいたって、両手の動きを止めた。
「そこは、下着を……あとで、金粉を塗った下着を、付けるので……」
おれは頷いて、しずむさんをジャケットの敷かれた地面にゆっくりと下ろした。
力無く手足を放り出して、しずむさんは地に横たわった。
星のない春の夜に、天体よりも鮮烈に輝く黄金体が落ちていた。
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