第18話

「颯太さん、また新しい抱き枕来てますよー」

 あれから数日経った休日の夜、控えめにフリルを施されたブルーのロングドレスを着たかすかがどすどすと重い足音を響かせて、品名に『日用品』と記された段ボール箱を持ってきた。

 口調をキャラに合わせており、フレームレスの眼鏡をかけて、ショートカットの黒髪に白いカチューシャを付けている。

「かすか、その身体すっごく重いから、気をつけて歩いてな」

 おれはテレビの前で布団に寝転がり、日課の深夜アニメ録画の消化に引き続き努めながら、かすかから段ボール箱を受け取る。箱を開けて簡単な包装を解くと、確かに少し前に注文した抱き枕カバーが入っていた。

「あ、ごめんなさい。この子、アンドロイドだもんね。まさかロボットの女の子にもなれて、しかも体重まで再現されるなんて、びっくりしちゃった」

 顔面以外は皮膚に覆われておらず、金属製の手足がドレスの袖口と裾から覗いている。

 こうしてキャラに寄っていても、気を緩めるとすぐにかすか本来の口調に戻るようだ。

「早速、その子になってみようか?」

「え!? いやいい、今日はそのままでいいよ」

 今回届いたものはエロゲキャラのかなり過激な絵柄なので、慌ててかすかから見えないよう、抱き枕カバー収納用のドライボックスにしまった。

「えー……その、エッチな絵柄でも、気にしないでいいんだよ? だって、そういうことするために、買ったんでしょ? それに使ってあげないと、その子が可哀想だよ」

 かすかが機械の身体をちょっとぎくしゃくさせながら言う。

 おれはこれまで一度も、かすかを性的描写の強い抱き枕カバーで変身させていなかった。

 パジャマ半脱ぎだとか胸元がはだけているだとか、アニメ系に多いソフトな表現なら多少整えるだけで問題ない……と言っても、脱げばどちらも一緒なのだが、最初から全裸なのと服を着ているのとでは全然違う。

「お、お前が抱き枕キャラに感情移入してやっていきたいってのはおれも嬉しいけど、そんなに焦ることないだろ。ほら、本人は少しでも長く純潔を守りたいかもしれんし……」

「そんなこと言って、かすかにそういうこと、まだ一度もしてないくせに」

 そのとおりだった。かすかが来てからのここ数日、万年床を譲ってこたつで寝ており、たまに乞われて添い寝はするが、そういうことは一切していない。

「ほんのすこしぎゅっとしてくれたかと思ったら、すぐに腕戻して背中向けちゃうし」

「それは、まだちょっと恥ずかしくて……」

 美少女抱き枕の時点で十分に刺激的なアイテムだというのに、それが実際の美少女になって、恋人同士として思う存分抱き締めることができるのである。

 据え膳がどうこうの問題ではない。

 理性などとうに崩壊している。

 それゆえに、いざというときになったら、自分でも何をどうしてどんなふうになってしまうのか、さっぱり分からないという危機感がある。

 七年間溜め込んだ膨大な種々の鬱積が渦を巻いて、奔流となって溢れ出しそうなのだ。

 おそらく、人ではいられなくなってしまう。

「かすかもアニメキャラも、一緒に愛してくれるって言ったのに」

 問題は、かすかを傷つけてしまうかも、なんて尻の青いガキ同士の屈託に留まらない。

 社会生活を営めないような廃人に堕ちてしまう可能性が、非常に高いのである。

 いくらおれが薄汚れた現実に疲れ果てて空想の中に生きていたいと願うオタであっても、折り合いは付けなければいけない。完全なる野獣にでもなったら、アニメを楽しむ最低限の知性も失われてしまう。おれはアニメ美少女と同じぐらいアニメ鑑賞が好きである。

 おれはかすかに人間として、社会の一成員として、抹殺されかけているのだ。

「颯太くんは、かすかが北海道の呪いで動いてるからって、嫌いになったの?」

「そ、そんなことないって! 髑髏本尊も法界髑も、かすか自体に直接の関係はないし」

「じゃあ、今日こそかすかに……エッチなこと、してくれる?」

「ヘエ!?」

 機械のはずなのに薄く膨らんで美味しそうな唇を思わず舌で割りたくなってしまう。

 自分でも信じられない速度で飛び出しそうになった舌先を、歯で噛み抑えるのに必死だ。

「この子の身体は機械だから、その、この子には悪いけど、練習にいいと思うよ……?」

 もし自分が抑えられなくなってかすかに襲いかかったとしても、スマートながら三〇〇キロの機械の肉体と怪力を持つ彼女ならば破滅的な結末だけは免れられると考えて、床が抜ける危険や下階への騒音を顧みず、今日はこのキャラを選んだのである。

 それでもやはりおれが抱き枕を購入したキャラだけあって、とびきり可憐なのだ。

 大変な勢いでだくだく流れ出る冷や汗を洗い落として、しばらくひとりになりたかった。

「ちょっと風呂入ってくるわ……」

「ほんと? じゃあかすかが背中、流してあげるね」

「いや当然のように付いてこないで、ひとりで入りたいの、ね?」

「えー! 待ってよ、颯太くんったら、もう!」

 かすかがおれを引きとめようと、咄嗟におれの胸板へ腕を回して、背後から抱きついた。

 ぐきっ、と鈍い音が鳴った。

「うげ……」

「きゃあ! 颯太くん、大丈夫? ごめんね、力の加減ができなくてっ」

 何十馬力かは知らないが、とにかく怪力のアンドロイドキャラなのである。

「大丈夫だから……とりあえず、ゆっくり風呂に入らせて……」

「んぅ~……う、うん」

 かすかは目尻に涙をためながらむずむずと身体を揺らして、おれの背中を見送った。


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